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新入生にかけたくない言葉

娘が小学校に入学しましたと言うと必ず返ってくる言葉がある。

「友達できた?」

私は一年生の子の親として、その一言を娘にかけてもらいたくないなぁといつもこっそり思ってきた。友達なんてそんなにすぐにできないし、半年後にはクラス全員が友達になっていることを息子の経験から知っているから、全然焦る必要はないと思っている。だけど、この一言を言われると焦るのだ。実際全然気にしていなかった娘もこの言葉をかけられる度に「明日は友達できるかな…」と心配し始めていた。

私は絶対にその言葉を使わないことを注意して、代わりに「今日は放課(休み時間)は何してたの?」と聞くようにしていた。

1日目、娘は「じゆうちょうに絵描いてた。楽しかった!」と言っていた。…一人でいることを気にせず楽しめるって大事!

2日目、「1時間目の放課はねぇ、次の時間の準備してたら終わった」…(心の中で大笑い。かなーりおっとりペースの娘なのでこれは事実だろう)

「2時間目の大放課はね、運動場でうんていしてた!そしたら、トワイライトで一緒にぬり絵したお兄ちゃんが来てくれて話してた。楽しかった!」…すごいな、友達いなくても運動場に遊びに行こうと思う精神力!

3日目、今日は仕事だったので分団では帰れず、トワイライトに娘を迎えに行くと「○○ちゃんバイバーイ!」と同じクラスのお友だちに見送られているではないか!!

「私は普通にしてたんだけど、Rちゃんが話しかけてくれたの。一緒に遊んでた!友達できたー!」と嬉しそう。私のように自分から話しかけにいくタイプもいれば、話しかけてもらうタイプもいる。

思ったよりも早かった娘の友達の出現に、となりのトトロでお父さんが朝「さーつきちゃーん」と友達が迎えにきてくれた時に「もう友達ができたのか」と驚くシーンを思い出した。あぁ、あの一言にはお父さんの子どもに対する良い距離感が出ていたんだなぁと思った。

それにしても二人目は要領がわかっている分、本当に楽だ。赤ちゃんの頃、完全母乳で育って哺乳瓶から飲まなくなった息子を保育園に入れるのに苦労した経験から、娘は生まれた時から哺乳瓶からも必ず飲めるようにしていたのと同じように。息子の時は学校に慣れるまでは帰宅時私が家にいられるようにと仕事を調整していたのを、今年はトワイライトを嫌がらないようにと春休みから敢えて仕事を入れてトワイライトに行かせ、娘はもうトワイライトに行くのが大好きになっている。

性格もあるだろう。

冬でも裸足で、整列もしたことのない自由な保育園で育った二人。息子はその環境からのギャップで最初、一日中椅子に座っているのが嫌でたまらなかったけど、娘はそのギャップこそが新鮮で楽しい。「腰ピン、足ペタ、(背中に)グーひとつ、手はおひざ!」と何度も歌うように言いながら、はじめての「前ならえ」を一日中家の中でやって遊んでいる。

それにしても、子どもが最初から学校に楽しんで行くというのはなんて楽なのかと、2年前の春を思い返すとその差に驚く(毎朝泣きながら行く息子と一緒に通った2年前の私おつかれ!)。そして二人とも送迎なく自分で行くというのはこんなにも楽なのかと、乳幼児期の子育てが終わった実感に感動してる。

そういえば、卒園のときバタバタしていて何も振り返り記録を残さなかったけれど、二人が通っていた保育園は最後の最後まで最高の園だった!

卒園式の時に配られた文集。娘の将来の夢のところには「かんがえちゅう」とあった。


実は娘とこんな会話をしていた。「今日ね、保育園で大人になったら何になりたいか聞かれた」「なんて言ったの?」「言わなかった」「なんで?」「私ね、大人になったらペンギンのお姫さまになりたいんだけど…言うの恥ずかしいもん!」(娘は大のペンギン好き)

そんな娘の気持ちを知っていた訳ではないのに、無理に職業を言わせないでいてくれた先生に感謝した。そして考え中のあとに(おおきくなってのおたのしみ)と書いてくれたやさしさにも。こんな風にしてこの子たちはずっと守られてきたんだなぁと思った。


家に帰って、もらった卒園アルバムの1ページ目の夢のところに娘は自分で「ぺんぎんのおひめさま」と誇らしそうに書いた。かわいいイラスト付きで。

人生で何度も聞かれる「将来の夢」。私自身はずーっと大人が喜ぶ答えばかりをして、本当に自分がなりたいものや、好きなことが分からなかったので、どんな夢でもいいから自分で自分のほんとうの気持ちをいつもちゃんとわかる子どもたちの良さが、このあともずっと続くといいなと思っている。

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