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小学校という社会

今日はグリーンジャーニーのポッドキャストで教育をテーマに話し合った。私は昔から学校は大好きでその在り方に特に疑問を持つことなくここまで生きてきたけれど、息子と共に久しぶりに小学校の門をくぐった時そこがあまりにも自分の時代と変わっていないことに違和感を覚えた。世の中の他のことはこんなにも変わっているのに、なぜそこだけこんなにも変わらずにきたのか。そんな中、これからの学校のあり方を提案し続けているスクールアシスタントの方にお話を伺い、深めていった。とまぁ、そのお話は来月配信のグリーンジャーニーポッドキャストにゆずるとして、この一年は親子共に学びが多かったなぁというのを今日はちょっと書いてみたいなと思う。

保育園と小学校は全然違った。小学校に入って息子は小さな「社会」の一員になった。それはまるで大人の世界の縮図だった。その社会は本当によくできていた。

例えば、トワイライトスクール(学校の中に夕方まで居られる教室)にやんちゃな上級生がいた。最初息子は「何もしてないのにT君に叩かれた〜」と泣きながら帰ってきた。先生にも「すみません。Tくん今逃げちゃってて」と謝られた。いいのいいの、あるある。大人になってもそういう理不尽なことってある。さぁ、それとどう向き合っていくのかな…と私は観察していた。いや、どう声をかけていいのかわからず、ただ見ていたというのが正しかったかもしれない。

その話を同じ分団の仲良しの四年生Iちゃんに話すとIちゃんは「Tのやつそんなことしたの!今度私が一緒にトワイ行って守ってやるよ!」と言ってくれた。理不尽に叩いてくる人もいる社会だけれど、同時に守ってくれる人もいるんだということは息子を勇気づけた。

それからしばらくするといつのまにか息子はT君と一緒に鬼ごっこをして遊ぶくらいにまでなっていた。すごい!仲良くなったんだね!と思っていたら「鬼ごっこの後、僕とRくんとJくんの3人ぼっこぼこにするって言われた…。でもTのお母さんが早く迎えにきてくれたから助かった」と言いだし、ドラマみたいだなと何だか私はおかしくなってきた。

それから息子はTとの距離感をうまく見つけるようになった。「Rとブロックで遊んでたらTが来たんだけど、また嫌なことされると嫌だからやめたのね。でも、T別に大丈夫そうだったから、今度はTとNが遊んでる野球のゲーム見に行ってたの」とか。感心してしまった。そう!それなのだ!大人になるまでに一番身につけたいスキルというのは。

他人とうまくやっていく距離感。

そんなすごい武器をよく自分で手に入れたね。えらいよ。私は息子を誇らしく思った。

勉強ばかりに目がいきそうになるけれど、そういう数字には決して表すことができない力こそ学校で身につけてきてくれたらいいなと思ってる。それは決して私が教えることはできなくて、家にいても絶対に身につかないものだから。子どもの社会の中で生き抜くために自分自身で考え、体得していかなければならないものだから。


こんなこともあった。
「JくんがTにいつもからかわれてるの。Jくん何でかわからないんだけど、Tだけじゃなくていつもみんなにからかわれてるんだよね」と言うから「そんなのJくんかわいそうじゃん。誘ってあげなよ」と口を挟むと「うん、でもJくんも怒って追いかけるからいつも追いかけっこになってるよ」と。意外なJくんの強さと、子どもの社会の気持ちよさに驚いた。

きっとこれからもっとドロドロしてくるのかもしれない。でも一年生のまだ明るくて気持ちがいい、でもしっかり大人の縮図の社会から学ぶことは本当に多いのだ。

息子は昨日も「放課(休み時間)に運動場でTに会ってさ、声かけたらTおっとっとって転ぶ真似したんだよ」と嬉しそうだった。何だかんだTの存在は息子の中で大きいようだ。ジャイアンをどうにも嫌いにはなれないみたいに。

私はずっと家での教育…というか体験の機会みたいなのを大事にしてきて、私が子どもたちにどんなことをしてあげられるかなと力をいれてきたけど、もう私の出番より友達の出番がこんなに早くきたんだなと思う一年だった。私自身も自分の性格や興味はまわりの友達が作ってくれたと思っている。

ご近所物語の最終巻で実果子のお母さんが言う
「あたしは夢中で育てただけ。

子どもをたくましくするのは親の知らない所で起こるたくさんの出来事かもしれないわね。
実果子が出逢ったすべての人たちにママは感謝してるわ」
という言葉が昔から好きだった。

これからも子どもたちのまわりに起きるたくさんの出来事が彼らをたくましくしてくれますように。

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