頭がおかしく、そしておかしくない


最近「頭がおかしい〜〜なんだかおかしい〜〜」とよく独り言を言う。

お隣さんに聞こえるか聞こえないか、ギリギリの音量で言っているので多分、そんなにおかしくはないのだと思う。

しかし「ギリギリおかしくない」くらいの脳を頭のてっぺんにひっ付けて歩くという心理状態には結構厳しいものがる。

おかしさゲージが「結構やばい」くらいのレベルまで上がったとしても「本当のやばい」を主張できないので、いざ他人にやばさを主張したところでそれは「かなり変な人に話しかけられた」くらいの説得力しか持たない。それは、冒頭のような独り言を言う者としてはかなり屈辱的だ。おかしいっつってんだろ!!

というわけで今日も家に着くなり「頭がなんだかおかしい!」と叫んだ。アパートの周りをうろうろ監視してから部屋に入っていたというのに3日前ついに会ってしまった隣人(ガタイの良いヒゲの男性)の顔がふと思い浮かび、「おかしい!」の「しい!」が小声になる。

男性の部屋の前にはずっと前からウォーターサーバーの水が入っているであろう段ボールが置いてあり、「あ、ウォーターサーバー断れない系の人かな」と思っていたので、クマのような人が出てきてかなり驚いた。全体的に私の二倍くらいあった。

私はウォーターサーバーの人に「あ、お疲れ様です。水道屋さんですか!?あ、ウォーターサーバー!?いやいやごめんなさいめっちゃ狭いんですようち、見ます?ほら!え、卓上のもある?あのあれです、在宅で、、でっかいパソコンがあって、、、もうお酒を置くスペースだけで精一杯なんです、、、」と可哀想な表情を作って追い返したというのに。二倍の彼は断れなかったんだ。

まあ、最近はそんな毎日で、明日から仕事。お金をもらえるものはなんでも仕事なのだろうけれど私にとっては「朝の9時から平日働くこと」が最も言葉としての仕事レベルが高いので、この状態はこれまでの人生の中で最も仕事だといえる。最も仕事って何


話は変わるが最近、というかここ3、4ヶ月ほど、本を読めていない。

部屋のデスクの横には本棚があり、ふと目をやると町田康とか川上未映子とか吉村萬壱のような「おかしいっつってんだろ!」系の人や、川上弘美や内田百閒や本谷有希子のような「おかしい?知っていますよふふふ」系の人や、バキシリーズの登場人物たち(特にシコルスキー)が、心なしかざわざわし出すような気がする。

一人が好きだし、たくさんの人と会うと疲れることには間違いないのだが私はおそらく静寂が苦手で、目の前にどすんと静寂を置かれると人肌恋しくなったり、誰かの話をふんふん聞きたくなったり、ファンクとか聴きたくなったり、高校生の時の騒がしすぎる毎日を思い出したり(青いでっかいゴミ箱に腰掛けながら先輩と話していたら爆笑の衝撃で尻がどんどんめり込んでバナナみたいにゴミ箱が裂けたことなど)、する。


「人生には限りがあるからなんかでっかいことしなきゃいけない」と「人生には限りがあるので何も起きないはずがない(鼻ほじ)」がバチバチにやり合って、その衝撃波から生まれた虚無の空間に、いつもいる気がする。

いつでもバチバチなやり合いを目撃していて、それが−−人生だなんだの限りが−−あることは重々承知しつつも、こいつらがいつか私を遠く遠く知らない場所に運んでくれるに違いない、と、ぼんやり思っている。

そしてぼんやり思いつつも、たまに酔った勢いなどでそのバチバチに参入する。「お前ら!生きてるのは私なのに知らない場所でなによろしくやってんだよ!!」と金属バットを持って飛びかかるのだが、酔いのせいでそれは実はよく見たらこけしで死にたくなってまた


「頭がおかしい〜〜なんだかおかしい〜〜」

となるのかな。



↓明日絶対にコインランドリーに行かなきゃいけないから服入りのゴミ袋と

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