【霊見えます】「今全く『芸術』理解出来ないけど合理主義で強いままの自分で良しor『芸術』理解出来ていて何方かというと非合理主義な所もあるけど弱いままの自分でも良し」の何方か一つ(に偏り過ぎ)という奇妙な法則の背景。

今回も一応殆どの人が読めばネタ記事確定ですwしかし書いてる本人は真面目です。まあその、芸術の秋ということなんでw
さて・・・このタイトルの内容,なんですがー、これをずっと昔から、とか最近何度か考えてた方の人(です自分)・・・ではなくて。ただ度々、二年に一回くらい?ここ数年で考えることがあったくらいのものですね。その際にも、一分とか考えこまずに10秒以内で終わらせる程度の思考で閉めてました。それくらい、自分には(頭の中でわざわざ取り扱う程のものではなく)無縁で興味の無い内容のものでした。
それでもう一つ、(これは少し余談になるんですが)私は最近色んな属性の霊を排除し続けていて、もう数千体にもなるので流石に、その中で自分の周囲、または他者についてる霊のタイプと性格を、重ねて色々法則性なんか見つけたりしてたかというと、全くしてませんでしたw何故なら元々霊に興味無いし恐れてもいない方の人だったのでねw見えても排除出来ても基本そこは変わらんのですw
それでタイトルの内容に移りたいと思うのですが
>「今全く『芸術』理解出来ないけど合理主義で強いままの自分で良しor『芸術』理解出来ていて何方かというと非合理主義な所もあるけど弱いままの自分でも良し」の何方か一つ(に偏り過ぎ)

どうやらこの前者のタイプの人、本当に昔から芸術が理解出来ていなかったり、芸術より文字だ、科学だ、思想だ教育だ技術だ、という方に好奇心や学びたいという欲求が傾いていたというのではなく、『ある時を境にそちらで生きるしかない(芸術を理解するのは諦めるしかない)という決断をするに至った』というパターンが非常に多いようでした。
何が言いたいかというと、この前者の方、実はある時を境に『芸術が理解できない/感性が鈍くなってしまっている』という、ある種のマイナス負荷を抱えてしまってた,ということなんです。これには賛否両論でしょう。
例えばこういう事を言ってしまう事も出来る。「脳が老化しただけ」「脳細胞が芸術を受け入れられなくなった。情報量が多くなったので古い物から切り捨てて、新しいもののみを受け取り保存するようになった。その新しいものが子供の趣味(芸術)ではなく大人の仕事,関係性,楽しみ方へと(後天的に)移行しただけ」「ストレスだったり鬱だったり、精神病を抱えている状態では何をしても楽しくないに決まっている。多忙という事情もあるだろう。そんな人がわざわざ人より楽しめないであろうことが分かっていて芸術を手に取るような真似をするはずがない」
まあ3つだけあげるとこんなところでしょうか。代表的なやつだけパッと思いついたものをあげてみました。
この記事で主に言いたいのは、「本当にそれだけか。」という事。芸術が理解出来ないのは脳に負荷がかかっていたり、不健康であったり、新しい趣味が、子供が楽しんでいる趣味ではなくて仕事(または大人趣味)・・・に変わっただけ、または優先順位を下げていて、手に取らないという選択肢を取られているだけ、これもあるのでしょうけど、実は大多数の人は、
『本当に芸術を理解する感覚が鈍ってしまっていて、それは自身で理解できる不健康要因だったり、脳の劣化であったり、興味の無さ、鬱や病気などやる気を削ぐ要因だったり、そういうものに限らず、頭の中を整理出来ていないまま、脳内のある存在を消しきれていないというだけだ』という事なんです。
よく有名人でも、アニメ・ゲーム・映画・漫画等に興味を示さなかったり、見ても「へえ、これが面白いの?全然楽しめなかったんだけど」という、素朴かつ平凡極まりない感想をされる方っていますでしょう。(それでTVでもネットでも視聴者が『ええ、あの名作が楽しめなかったのこの人・・・』と。)また5chでも「〇〇ってアニメ、全話観たんだけどこれ何処が面白いの?何で流行ってたの」というスレ立てが稀によく見かけます。
実はこの「芸術音痴」の感覚を強く持った方には何故か共通する点、というものがありまして、その内の一つが
「目(眼)を他の人以上に怖がる」「目に抵抗感がある」というもの。この一言に尽きると思ってます。
>「今全く『芸術』理解出来ないけど合理主義で強いままの自分で良しor『芸術』理解出来ていて何方かというと非合理主義な所もあるけど弱いままの自分でも良し」の何方か一つ(に偏り過ぎ)という奇妙な法則の背景。
↑のタイトル文ではまるで「100:0どちらかだ」と、シンプルに左右上下で括ってしまっていますが、無論50の方もいるでしょう。しかしそれは少数派かなと。大体100:0に寄りがちですね。私の見る限りだと。
>「目(眼)を他の人以上に怖がる」「目に抵抗感がある」というもの。
この法則が、殆ど当てはまっている人は芸術が理解できない、感覚を劣化させられている。また殆ど当てはまっていない方は芸術が人並み程度に理解出来ている、と。
二つ目は、前者の方は頭の中で、目玉に関係する非現実存在であるモンスターの映像・画像を人より長く印象に残しやすいというもの。
目玉モンスターと言えばゲゲゲの鬼太郎の目玉の親父が代表格ですが、自分は遊戯王最初の頃の目玉系モンスター三種、が思い浮かび易いかな。ゲゲゲの鬼太郎も再放送で三期くらい?楽しんで観てはいましたけどね、90年代。
三つ目は速読・早口・移動距離短縮、をモットーにし易いというもの。これらは基本、メリットなんですが、「速度を落とすことも、もちろん場合によっては出来るよね?」→「いえ出来ません、やりたくないです。ていうか不思議とそれやるの難しいです」という奇妙な状態に陥ってしまっている(期間が長期化してる)ケース。
四つ目は(地味すぎますがw)天井だったり空だったり、または星だったり、目を結構上方向に向ける時間を長く取らない、ということです。これは、本人の感覚では「難しい」という事になっているっぽい。理由無い場合は「絶対に避ける」、に近い感覚だと思います。
おっと。一応付け加えておくと、この記事は芸術を理解する感覚が劣化している、鈍っている人を小馬鹿にしたいとか、見下したいとか、反面教師にしなさいという視点や狙いは微塵もなくて、ただ「そういう現象・マイナス状態異常のようなものが存在しているという見方もあるよ」と言いたいだけですね。
それで結論なのですが、頭の中で仮に、目玉系モンスターが存在していて「芸術を理解する感覚」を長期間鈍らせている、劣化させているのだとすれば、それは自分の物差しで言えばゲテモノタイプのS-SSSS級に相当する、と。なので頭の中でその目玉系モンスターをイメージ化し、消えるまで意識を集中する時間を作るとか、「対象化」した上で南無妙法蓮華経を唱え続けるとか、まあ色んな方法があるんですが、最後に見事消すことが出来れば、晴れて若返ったかのように芸術を理解する事が出来るようになるわけです。他の人と同様にね。それが叶えばその後の人生が白から赤、虹色、ピンクとか色合いが全く、変わるというケースも。
このタイプの方は芸術を理解する感覚をほぼ一生投げ捨てる(実際捨てさせられている)代わりに「自分が勝ち得て楽しい」「達して嬉しい」という、代替物を探そうとする傾向が多いようです。対人関係やらギャンブルに逃げる人も多いようですね。基本的に、長期間S級以上の岩タイプ・ドラゴンタイプの霊を持ち続けている人が、人から優しく注意されようがまた自分みたいな変な除霊師(笑)から仮に除霊を勧められようとも「お断りだ」と返す場合が多いのと同じで、こちらゲテモノ目玉系モンスターを頭の中に飼っているタイプの人もまた、変化を望まずスポーツマンシップや根性論のような思考で、「ただ行動だ」と朝から夜まで不足点を補う行動パターンをひたすら取る傾向が高いようです。
おっと、この記事では「芸術を理解する感覚が失っている人」のデメリットばかり書いているようですが、しっかりメリットも書いておきます。
「人から舐められにくい」「見下され難い」「実力者、存在感強い、尊敬出来る、大物、大人と見られやすい」というものです。逆に芸術を理解する感覚が優れている人はその逆で、子供に見られ易かったり馬鹿にされ易いです。まるで陽キャ陰キャみたいな話に近いですなw一年間の安定・・・という視点で捉えるならば頭の中に目玉系モンスターを飼っている方の方が敵無し悩み無し、で一年過ごせる事も多いと思うのでそれもメリットと言えなくもないか・・・。まぁ岩・ドラゴンタイプよりはデメリットが目立ってないように思えなくもないですが、しかし自分からしてみれば十分不幸・・・いや、幸福と不幸の中間、という事にしておきますか。
ああ、この記事の内容ですが芸術を理解する感覚が鈍っている人が読んだ場合、「仮にそれが事実だとして、」という感じで自分の頭の中で少しでも考える機会を持つ、というより「何だこの人・・・」と言った感じで書いた私のキャラクター性を注視する場合が多いと思います。しかしあくまでも重要なのは、(法則上の)結果ですからね~。
それとこの記事は過去の私のブログの一記事と同様の扱いで、数か月後数年後誰かが掘り下げて真剣に議論したり別の角度から問い質したりした場合、私はしっかり内容にチャンネル合わせて答えられますので実は内向きだったり、賞味期限付きの記事ではないです。

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