35年目の新曲を聞いて考えた、エレカシのファンとしての正しい生き方
前書き
この記事は以前書いた楽曲レビューと内容が被る部分がある。が、それを承知の上で、あえてこの記事を公開させてほしい。
昨日、アリーナツアーの初日に足を運んだ。ベテランバンドの本気を感じる素晴らしいコンサートだった。その凄まじい演奏を聞き、また、新曲「yes. I. do」と「It's only lonely crazy days」という素晴らしい2曲を聞いて、どうしてもこの記事を書かなければいけないと思った。
ギリギリの攻撃性
まずはニューシングルB面、「It's only lonely crazy days」の話をしたい。
この曲には「戦争反対 U.S.A」という歌詞がある。
ここに注目した人は多いと思う。よくぞ言ってくれた!という声も少なからず見かけた。しかし、私は「戦争反対 U.S.A」の部分だけを取り出して論じたくはない。
ここは、取り出すとすれば「無粋な showbiz テンパってんじゃん 戦争反対 U.S.A」までをひとまとまりとしてみなければならないはずだ。
「戦争反対 U.S.A」のインパクトに気を取られて見落としがちだが、「無粋な showbiz テンパってんじゃん」も相当な攻撃性をもつフレーズである。しかも、ミュージシャンは戦争には関わっていないが、showbiz には関わっている。諸刃の剣なのだ。そして、自分自身に対してもギリギリのところを攻める、高みの見物ではないメッセージだからこそ、続く「戦争反対 U.S.A」が力をもつ。安全地帯から物を言う人間を人は信用しない。
いつまでエレカシだけに戦わせる気だ?
この歌詞は計算で書けるものではない。本気で生きている人間からしか出てこない。「俺は信じてきた revolution」という歌詞もあるが、過去形で歌われていようと、その心情は過去形であるはずはない。
むしろ逆だろう。これは呼びかけなのだ。
「俺は信じてきた revolution、おまえらは違うのか?」と、この曲を聞いている私たちが問われているのだ。
そうであるなら、私は呼びかけに応えたい。戦争反対なんて当たり前すぎる。何も大きなことはできないが、個人でだってできることはあるはずだ。寄付でも募金でも、署名でも、真剣に選挙に行くでもいい。何もしないよりははるかにマシだ。
エレカシは35年、戦いつづけてきた。
「権力者の力には鼻で笑ってこたえろ(1988年、ファイティングマン)」
「もっと力強い生活をこの手に!(1999年、ガストロンジャー)」
「革命も瞬間の積み重ね(2000年、so many people)」
そして、35周年。
「戦争反対 U.S.A(2023年、It's only lonely crazy days)」
というメッセージが、ここにきて、歌に乗せられた。
これまでは婉曲的に革命を、戦うことを促してきたエレカシが、ついに直接的に「戦争反対」と表明した。これは、35年かけてもまだ革命が起こせなかったからではないのか。このストレートな反戦表明は、もはや最終手段と言ってもいいと思う。
エレカシは35年、戦いつづけてきた。そして、今でも戦い続けている。
力強いサウンドで「戦争反対 U.S.A」と歌っている。
言わせてほしい。
我々は、本当に、それをただ見ているだけでいいのか?
エレカシだけに戦わせていていいのか?
音楽を武器に戦い続けてきた彼らが、ついに革命を起こせないまま玉砕していくのを、ファンはただ見送るつもりなのか?
アリーナツアーで「革命も瞬間の積み重ね」と歌う彼らの前で、みんなが突き上げた拳は、コンサートではしゃぐためだけにあるものなのか?
違うはずだと思う。エレカシが戦い続けるなら、私は一緒に戦いたい。
「俺は信じてきた revolution」を過去形に終わらせたくない。
それが、エレカシと宮本浩次のファンとして、誇れる生き方だと思う。
簡潔さに見るベテランバンドの凄味と覚悟
しかし、反戦のメッセージが含まれていようと、この「It's only lonely crazy days」は全体としてはシンプルに格好いい曲で、大半の歌詞はいつも通りのひたすら夢に向かっていく宮本調の歌詞だ。
反戦の意を示しているのは、「戦争反対 U.S.A」の一言のみである。
これはベテランバンドだからこそ為せる技だろう。強いメッセージを35年間歌い続け、「エレカシってこういうことを歌ってきたバンドだよね」のパブリックイメージが完全に形成されているからこそ、唐突とも言える「戦争反対 U.S.A」の一言だけでも成立させられる力を得た。そして、その力を使って、戦い続けようとしている。
35周年の今、この曲を出してきたことに、年を重ねて、いつか活動停止することも当然視野に入っているだろう彼らの、最後の覚悟を感じるのだ。
その覚悟の本気さは、アリーナツアーの初日で、彼らの演奏を聞いたことでさらに確信に変わった。本気の音が鳴っていたからだ。エレカシは本気だ。
「yes. I. do」とゴッドファーザー
そしてニューシングルのもう一曲は、「yes. I. do」である。
この曲のメインである「yes. I. do」のフレーズは、素直に取れば、いつも宮本先生が言っている「俺はやるぜ」ということだろう。
しかし、映画「シャイロックの子供たち」には、罪を犯した人間が「お前がやったんだろう?」と問われるシーンがあり、この映画の主題歌として聞いたとき、この「yes. I. do」は「私がやりました」と罪を認めるセリフになる。このダブルミーニング的な巧みさに感嘆した人も多いはずだ。
が、私はもう一つ、別の意味でも解釈できることに気づいた。
ニューシングルが発売され、宮本先生は大量のラジオに出演されていたが、ある番組で、映画のゴッドファーザーが好きで何度も見たという話をしていた。私はミーハーなので、そのあとすぐにゴッドファーザーを見た。字幕版で。
ゴッドファーザーには教会での洗礼のシーンがある。その流れは、正確なセリフではないが、次のように進むのだ。
「あなたは神を信じますか?」「信じます(I do.)」
「あなたは悪魔を退けますか?」「退けます(I do.)」
ここで私は、「yes. I. do」は、誓いの言葉でもあるのだと気づいた。
何もキリスト教の話がしたいわけではない。宗教的な話に持ち込みたいわけでもない。が、この洗礼の流れは、もっと日常的な言葉に置き換えれば、
「あなたは正しく生きていますか?」「正しく生きています(I do.)」
ということでもある。罪を問われたとき、正しい生き方をしているかと問われたとき、どちらのときに「yes. I. do」と答えられるか。私は後者でありたい。
終わりに
この記事は楽曲レビューとは呼べないと思う。ギリギリ、曲の解釈の話ではあるが、政治や宗教とも絡めているので、エレカシの曲でそういうことをするな、と怒る人も中にはいるかもしれない。
だからこの記事は、楽曲レビューとは呼ばない。ただ、「yes. I. do」と「It's only lonely crazy days」の2曲の格好よさに感銘を受けた一人のファンが発信している、個人的なメッセージだと思ってほしい。
でも、先日のスッキリで加藤浩次さんが「僕にとってエレカシは生き方です」と言っておられた、あの気持ちがよく分かる一人のファンとして、やっぱりこの記事を書きたかった。
本当に、エレカシだけに戦わせていていいのか?
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
追記:私自身の戦いと覚悟
この先は完全に個人的な話なので、興味のある人だけ読んでほしい。
こんな記事を書いている以上、私自身も安全圏にいようなんてことはもちろん思っていない。私も戦争反対の立場だが、戦争は日本人にとっても他人事ではない。コロナ禍のことを言っているのだ。あれはひとつの戦争だろう。
私は、コロナ禍を明確に人災だと考えている。戦える人間たちが、立ち上がって、止めないといけないものだと考えている。
コロナ禍が人災だということを、最初の緊急事態宣言の頃からずっと考えていた。私は例のワクチンを一度も接種していない。あのワクチンの推進の仕方はどう考えてもおかしいと思う。
残念ながら、感染症やワクチンについての正確な知識は私にはないので、その判断の理由を正しく伝えることはできない。しかし、ウイルス学者の宮沢孝幸先生が、専門家としてずっと戦ってこられているのは知っている。ぜひ、宮沢先生の話を耳に留めてほしいと思う。
これまでも、個人として出来る限りのことをしてきたつもりだ。例えば、自分がワクチンを打っていないことを出来る限り喧伝している。いつか刺されるかもしれないことを覚悟で、街中をノーマスクで歩いている。署名活動にも協力している。コロナ禍という人災に反意を表明する「芝居小屋」という曲も作った。
でも誰も私の歌なんて聞いていない。これを完成させてリリースして広く聞いてもらうような力もない。無名の一個人にできることはあまりに小さい。
エレカシの名前を使ってこんなことをすることを許してほしい。
私も一人では何もできなかった。でも、エレカシが戦い続けようとするなら、せめて私も一緒に戦わせてほしい。私はあらゆる戦争に反対する。
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