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2023/09/30 【感想】春待ちトロイダル

春待ちトロイダルをクリアした。



とても良かった。とにかく私の好みど真ん中の作品で、ゲームを起動したその瞬間からゲームをクリアする最後の最後まで本当にずっと楽しかった。GBAの良作ゲームのような雰囲気があり、なんとなく小さめの画面サイズでプレイしていた。


オタクなので、シアンがすき。


ゲームを起動してまず最初に目を引くのはやはりゲーム画面そのものだと思う。

かっこよさとかわいさが両立している最高のゲーム画面

コマンドパネルや体力などの各種ゲージ、テキストボックス等々が画面を占めており、キャラクターの立ち絵や背景は比較的小さい(ところどころで透過処理ははされているが)。それでも情報はちゃんと整理されていて、少なくともごちゃついている印象は受けなかった。クールな画をしている。

この画面を見てすぐにパワプロシリーズのサクセスモードを思い出した。画面の埋め方の方針みたいなのが似ている気がしたためだ。
さらに言えば、このゲームを起動した時点でなんとなく感じるGBAっぽさもあって「ああ、この作品はパワポケシリーズを踏襲しているのかもしれない」と思った。
私はそもそもパワポケシリーズが大好きなのでこのときにかなり期待が高まってしまったわけだが、この嬉しさは最後まで全く失われることはなかった。ぱっと見でウキウキする素敵な画面構成だ。


オタクなので、ふわ子も好き。


さて、このゲームは「対話」というコマンドが非常に重要である。
このコマンド自体はいわばものすごくシンプルなカードゲームなのだが、ゲーム内でも再三「対話が大事である」と言われるし、実際のところ対話をしなければ全然ストーリーが進まない。ストーリーの進展を得るためには対話が必要で、そのために対話で用いるカードたちを強くしていく……というのがこのゲームの大まかな方針だ。
体力を消費してカードを強化し、体力が無くなってきたら休む。こういった流れについては、他のオーソドックスな育成ゲームとそんなに変わりはないだろう。

ただ、このゲームは単に育成しているだけでもかなり楽しい。というかめちゃめちゃ気持ちが良い。
画面左上に常に表示されている2本のゲージ(スコップと筋肉のアイコンのゲージ)がカードを強化するためのパラメータなのだが、これがぐんぐん伸びていく様子がなぜかものすごく爽快なのだ。しかし正直なところ、ゲージが単に伸びていくだけでなぜあんなにも嬉しいのかは最後までよくわからなかった。そのときに流れるSEの妙なのか、GBAっぽさという話とはなんとなくよく結びついている気がする。
ゲージがぐんぐん伸びていくのがただただ気持ち良い。私はそれだけをモチベーションに効率的な育成方法について考えていた。すると緩やかにゲームの本編も進んで行った。考えてみれば当たり前なのだが、効率的な育成はゲームの進行のうえでは理想的に決まっている。あれは開発者に見透かされているような気がして少し恥ずかしかった。


では肝心の対話カードゲームはどうなのか。これはもう至ってシンプルなルールだ。相手が出してくるカードよりも数が強いカードを出せば勝つことができる。
するとこれの何が面白いのかという話になってくるわけだが、まず、プレイヤーは育成したカードを全部使えるというわけではない。育成したカード全体の中からあらかじめ10枚をデッキとして抜粋する必要があり、さらに対話カードゲームが始まったときにはその10枚の中から4枚がランダムで選出される。
そしてそれは相手も同様だ。私たちは相手のデッキの中身をゲームの進みに応じて見られるつくりになっており、対話カードゲームが始まった時点で相手の手札にもそのうちの4枚が配られる。
こうしてカードゲームをする準備が整ったあとに初めて、相手の表情を読み取って相手よりも強いカードを出すフェイズに移る。
使ったカードは手札から減っていき、ドローは無い。お互いの手札ががなくなった時点で終了だ。負けた分だけ主人公の体力が減り、勝った分だけ得点(=相手からの信頼)を獲得できる。どんどん選択肢が狭まっていく状況で最適解を更新していくのがとても楽しい。


「会話デッキ」というネット用語がゲームに活きている。ちなみにこの状況は結構難しい。


ここで何よりも重要になってくるのがその勝ち方だ。闇雲に相手よりも強い数のカードを出せば良いというわけではない。
先ほどは便宜上「強いカードを出せば勝ち」と書いたが、実際にはそれは正しくない。このゲームにおける本当の”勝ち”とは正しくはストーリーを進めることにあり、カードゲームの各ターンで勝つことではないのだ。
そこで初めてカードの色が重要になってくる。ざっくり言うと、同じ色のカードを出して勝つとカードゲーム終了時の得点が倍になる。
得点が倍にもなれば、前のターンの負けを取り返してなおプラスが生まれるケースもあるだろう。また、同じ色のカードを出して負けた場合はカードゲーム終了時の体力減少が大きくなってしまう。
つまりこのカードゲームは、毎ターン勝つこと以上に、小さく負けてでも大きく勝つことが優先される。このシステムによって、安定択と攻めの択の揺らぎが毎ターンで発生しており、裏目との相談が常に欠かせない要素になっている。

私にはこれがとても楽しかった。
このゲーム全体のボリュームで言えば対話カードゲームのたった1ターンなど些細な出来事なのだが、それでも読み通りに事が運んだら心から得意な気持ちになれるし、裏目を引いたらしっかりと悔しい気持ちになる。たとえ単純なルールでも、相手にしてやられたときはついニヤついてしまうものだ。
ここで大きく勝つことができれば信頼度のゲージもまたぐんぐんと伸びていく。その気持ちよさに痺れていたところもあるだろう。何度も言うが、このゲームのゲージが伸びていく様子はなぜか無性に気持ちいいのだ。

ルールもさることながらプレイしている感覚も非常に単純化されたポーカーという感じだ。とにかくシンプルな作りではあるがずっとプレイできるような面白さがある。


パグもだいぶ好き。


ではいよいよ、本編ストーリーはどうなのかという話になる。
このゲームはストーリーを重視したアドベンチャーゲームだ。当たり前かもしれないが、この形式のゲームではストーリーそのものの面白さが何よりも重要になってくる。

あらすじとしては、悪魔との契約によってとある島で学生生活をすることになった主人公が島の謎を解きながら卒業を目指すお話……ということになるだろう。しかし、主人公が学校に降り立つのはなんと卒業式のたった10日前であり、ゆえにループを繰り返しながら少しずつ謎を解き明かしていくことになってしまう。
このストーリーを見たとき、真っ先に思い出したのは『サマータイムレンダ』だった。(そう言えば『イハナシの魔女』をまだプレイしてなかったことを思い出した。)
島、学生、謎、ループという一連のテーマの組み合わせはずっと昔からフィクションで描かれているように思う。ただ、主人公の仕事量の膨大さが『サマータイムレンダ』のそれに近いのかなと個人的に思ったのだ。
今作の主人公はとにかく忙しい。クリアを目指そうとするとプレイヤー側はほぼ間違いなく効率化をすることになるだろう。(もちろんそれは島でのおだやかな暮らしを完全に侵害するものではない、というのが絶妙なバランスだ)
しかし効率化は苦痛ではない。
ループの合間にはちょっとした休憩時間のようなものが挟まれるのだが、そのタイミングで効率的な進め方について考えるのが私はとても好きだった。
人との対話や育成、島民らのしがらみからは一旦解放されて、椅子の背もたれに体を預けてなんとなく休みつつ、それでも頭ではぼんやりと次のループのプランを練っている。このとき一番「ループものの主人公をやっているな」と感じられたのだ。

ループものはある意味で脱出ゲームのようだ。
つまりループしてしまう現象そのものが鍵のかかった部屋になっており、私たちはどうすればその鍵を開けてループから解き放たれるかを考え続けることになる。
今作ももちろんその調子がある。ループから出るにはいくつもの条件が必要で、私たちはその条件を忙しなく集めなければならない。そしてその条件を獲得するためにはまた別の条件を既に踏んでいる必要があるわけだ。
しかし頭ではわかっていてもこのゲームはそう簡単にはループからは抜け出せない。なぜかというと、キャラクターがみんなかわいすぎるためである。


教授も好きだ……。


このゲームはキャラクターとの対話が非常に重要だ。それはゲーム内でも何度も示される。だが、キャラクターと対話しているうちになんだか素朴にそのキャラクターのことを気に入ってしまって、必要以上にそのキャラクターのことを知りたくなってしまうことがある。その結果、ループ中の貴重な1ターンを余分な対話に使うことになってしまったりする。
そしてこれは1つのループ全体にも言える。キャラクターが可愛すぎるせいで「このループは〇〇さんと△△君と遊んで過ごすか……」のようなモチベーションが芽生えてしまうのだ。
さらにこのゲームは、島というロケーションそのものもやっぱり魅力的に描かれている。そこに気づくと、1ループ丸ごとをただの散歩に使いたくなってしまったりもする。
確かアニメ『STEINS;GATE』で主人公岡部倫太郎がループの果てに精神を壊してしまいループをただの確認作業に使ってしまったことを後悔するシーンがあった覚えがあるが、今回はそれのめちゃめちゃポジティブなバージョンかもしれない。

キャラクターやロケーションの魅力はより切実な話へとつながっていく。
ここで一度強調したいのだが、この作品はビデオゲームだ。おおざっぱに言うと一本の太いストーリーがあり、過程がどうであれ最終的にはストーリーの終わりとスタッフロールがある。どこでどのようにストーリーが終わるかは明確には示されていない。シークバーや上映時間のようなものが存在しないためだ。
つまり、このゲームをクリアしてしまったら私はもうこのキャラクターたちとただ喋ったり遊んだりすることができないのか?というジレンマが常に生じることになる。『グノーシア』の終盤をプレイしているときの気持ちが近い。ゲームが終わることに素朴な寂しさを感じてしまう。
フィクションの中のジブン視点では毎回のループで満足の行かない結末を迎えてしまう。そんなことは承知のうえで、それでもプレイヤーとしての私はずっとみんなと遊んでいたい。迂闊にはクリアすまいと、気持ちにセーブがかかるのだ。

「これ以上進めようとするとうっかりクリアしてしまうんじゃないか?」という心情が働くことになる。そしてこの心情こそが、謎が次の謎を呼び謎そのものが拡張されていくストーリー展開の喜びに非常に強く貢献している。
そろそろ終わってしまうのか……と思ったら謎が伸長していく瞬間、それがあんなにもアガるとは思ってもいなかった。まだまだみんなと一緒に過ごしても良いのだと、ゲーム側から強烈に肯定されたような嬉しさがあった。


でもやっぱりふわ子が一番好きかもな……。


最後にサウンドについて。そしてこれこそがこのゲームの魅力を最大まで引き上げていると私は考えている。

SEやBGMも例にもれずGBAっぽい。
ピロピロとした一見チープにも感じる音が、まさに持ち歩きハードの内臓音源のような若干ノイズがかった調子で鳴っている。これは、島での学生生活という設定が担っているノスタルジーともたいへん噛み合いが良い。UIとも非常に自然に馴染んでおり、ゲームの進行を滑らかに促してくれた。
また、対話カードゲームをしているときのBGMはとてもイケイケだ。ヒリつくようなルールでなくともちゃんとプレイヤーを一喜一憂させてくれるノリの良さがある。単純なルールのカードゲームながら最後まで飽きずに楽しめるのは、きっとあのノリノリ感も影響しているだろう。
もちろん、各種ゲージが伸びるときのSEも嬉しい。おそらく多くのプレイヤーはこのSEをかなり頻繁に耳にすることになるが、あのスパッとしたSEはなんとも快感だ。
ゲージがぐんぐん伸びていく様がなぜか気持ちいいというのは前述した通りだが、それはこのSEで多少なりともプレイヤーの意識を引っ張ってくれることの影響も大きいと推察している。もちろん、このSE自体はそれ以外のタイミングでも何度も登場するが、それでも全然くどい印象を受けないのはやはりその爽快感というか、とにかく端的でハッキリとした音であることが良かった。少々ベタついたSEでも「GBAっぽさ」という味になるのはとてもユニークだ。



まとめに入る。

『春待ちトロイダル』はとても面白いゲームだった。ストーリー、ビジュアル、UI、サウンド、その他どれも非常に質が高く、さらにそれらが重なり合ってより良いものになっている。
ループを題材にしたアドベンチャーゲームでありながら最後まで周回に飽きることもなく、むしろ終盤になるにつれてどんどんゲームの魅力に気づいていった。このゲーム全体のサイズ感もとてもちょうど良かった。
そして何より、とにかく私の好みのゲームだった。「ゲームを遊んでるな……」みたいな気がして心地よかった。この先何度もこのゲームのことを思い出しては「良かったな……」と耽ってしまうんだろうな。

本当に素晴らしいゲームだった。プレイして良かった〜〜〜〜〜!!



最後に一番好きなシアン貼っちゃお





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