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何で最初に、犯人を明かしちゃうのさ。

こないだの「映像研には手を出すな」推薦記事の、ある意味続きです。アイデアには、「アイデアそのもの」と「そのアイデアを成立させるためのアイデア」という2側面があるというお話。アイデアと思考の関係性のお話でもあります。

そんな訳でFOD。「コンフィデンスマンJP」きっかけで入り、「映像研は〜」にハマり、思ったより楽しめちゃうなこれと番組一覧を下の方にスワイプスワイプしていたら、見つけてしまった「古畑任三郎」。シーズン1〜3まで、ジャニーズNGやその他事情で消されているものを除けばほとんど全話、搭載されている。これはあかん。中2の時の国語の教師が三谷幸喜(あるいは演劇全般)のオタクで、私情を授業に持ち込みまくるスタイルだったので、そこで初めて「古畑見てますかみなさん、シーズン3が始まって。西園寺くんっていうニューキャラがね、いい感じなんですよ」と話し出したことで初めて認知した、この神ドラマ。「伏線とは何か」っていう授業だったんですが、しっかりと黒岩教授の検死官の回を使ってそれを説明し、今泉くんの役割が伏線そのものである、と確かそういう話しだったっけ。何やねん古畑って、と思って試しに一話見たのが終いで、はまってしまった訳です。

それがFODでほとんど入ってるじゃありませんか。見ない訳ないということで改めて最近見まくっております。

言わずもがな、古畑任三郎は「倒叙モノ」という最初に犯人がわかっている状態で話が進む推理ミステリーなので、”犯人は一体誰なんだ?”というスリルはなく、その分純粋に「古畑任三郎の天才的な推理による追い詰め」を、犯人側にも感情移入しながら味わえる訳です。捕まって欲しいけど、どこかバレて欲しくないような、そんな自分ごと化された対象が両サイドにいる、不思議な感覚。

このアイデアがもう一つ可能にしたのが、「犯人を大物俳優にできる」ということ。犯人が最後までわからない形式だと、大物を据えると配役でバレちゃう。かといって犯人以外の登場人物全員を大物だけで固めると、連続ドラマとして毎週やるにはキャスティング費がはまらない。そこで、倒叙モノにすれば犯人が最初から読めてしまっても問題ないし、大物俳優の演技を序盤から寄りで見せても不自然にならない。キャスティング費も1点豪華でかけられる。これこそ「アイデアを実現するためのアイデア」なわけです。

エッセイとかを読んできたのでわかる気がするんですが、三谷幸喜は2つのアイデアを両方とも、一人の脳みそで考えられる人な気がする。彼は映画ができた後も、ものすごく仕事する。コントやったり被り物かぶったり宣伝カーで街頭演説まで、何から何まで御自ら体を張る。チケットが売れて映画館に人がきて、目にしてもらえなきゃ意味がないと、本当に思っていて、「それは別の人の仕事」などとは思っていない、きっと。だから、そのなりふり構わなさが苦手で、冷笑する人もいるんだろうなあと察する。でも、そのなりふり構わなさは「アイデアを実現するためのアイデア」には必要なことなのかもしれない。品がないとか、がめついとか、恥ずかしいとかは、「アイデアを実現するためのアイデア」を発動させるのが億劫であることの言い訳でしかなかったりするんだろう。

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日本が世界に誇るゲームプロデューサー、任天堂の宮本茂さんの「アイデア」の定義が大好きで、事あるごとに自らに戒めるのですが。

アイデアとは、複数の課題を一度に解決するもの

古畑任三郎がなぜ、犯人を最初に明かすのかは、「アイデア」だなあと、何年かぶりの古畑の冒頭の犯行シーンで、またそんなことを思い出してました。「複数の課題」が、冒頭のアイデアの2側面の両方にまたがっていれば、なお良いアイデアなのでしょう。視聴者とミステリーの関係性、クリエーターと動員の関係性。色々考えるのにいい題材。そんな今日4/13で、古畑1stシーズンの第一回(中森明菜が犯人)から26年経ったという、記念日の記事でした。

ちなみに個人的に好きな回。ミステリーとしての出来は、最終スペシャルの藤原竜也&石坂浩二の「今蘇る死」。犯人のキャラクターの魅力は、「動機の鑑定」で古物商の主人を演じた澤村藤十郎。ストーリーの総合点は、明石家さんちゃんでした。

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