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「関係するのに適切な人数」を見つけ出す。

7月は早すぎた。それもこれも中盤の息子〜自分の夏風邪リレーによる、2週間強の家族機能不全によるもので、その期間の時空がリープしている感覚。

一番ひどい時の息子のそれは、咳が比喩ではなく本当に一日中出続けていて、苦しそうで苦しそうで不憫でならなかった。何か食べても咳のせいでもどしてしまうし、それでも何か少しでも食べて欲しかったのでここぞとばかりに好物のバナナなり蜂蜜なり惜しまず提供したのだけど、何食べてもそんな感じなので、甘味がトラウマになってしまったのか、治った今は辛党になってしまうくらい。

一番の難所だった晩は咳が止まらず寝れないことに泣いて泣いて、#8000に電話した結果、夜間救急にタクシーすることに。その時の担当のお医者さんが、深夜3時にもう何人この夜は診てきたんだろうかわからない中、穏やかにゆっくり、しゃがんで視線を息子に合わせて語りかけてくださり、本当に医業というのは尊いなと頭が下がりまくった。

友人の心療内科医の鈴木裕介さんと対談した時の話をふと思い出す。人間には人それぞれ、「関係するのに適切な人数」が決まっていて、全国民を相手に演説をするのが向いている人もいれば、たった一人の人を更生させるために何ヶ月も向き合うことが向いている人もいる。ここでの「向いている」というのは、最もエネルギーが出るというニュアンス。だから、多くの人に影響を及ぼせる人物や職業の方が素晴らしいとか、たった一人のために何時間もかけている自分は果たして世の中の役に立っているんだろうかとか、そういうことじゃないのであると。大勢の前でみんなをその気にさせるプレゼンが巧みな人に対して、「サシで話したら大して深いこと言わないペラペラした人物だった」とかいうのも実はお門が違うという話でもある。

でもまあ、なんでも数字でボリュームが可視化されがちな現代と照らすと、特に「少ない人に深く関わる」職業のあり方の方が、自己肯定しづらい空気を感じる。明け方4時近くに家に帰ってきて、あのお医者さんの優しく丁寧な息子への向き合いを思い出しながら、いろいろな経験を踏んで、自分が関係するのに適切な人数規模を、どうか見つけ出してほしいなあと我が子にも思った咳の日々。

今は完全復活して、冒頭写真のように、夏に向かって駆け出してます。皆様もお身体何卒お大事にお過ごしください。

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