見出し画像

放課後まほらbo第十三話 「遊びと仕事」を考える

【第十三話】
■こどもは「お仕事」が好き
■マリア・モンテッソーリの気付き
■ごっこ遊びと役割

放課後まほらboでは、「あそびは、最高の学び!」の構造化をすすめ、遊びを科学することで、こどものより良い成長を促す「遊び」と「お仕事」の関係を考えています。

■こどもは「お仕事」が好き
 第十一話の「遊びの必要性」の話題の中で、こどもにとっての「お仕事」について少し触れました。資質・能力を高めるための放課後の在り方を研究目的とした東京学芸大学放課後児童クラブの実践を始める時の議論で、印象に残るものがあります。当初、経済格差が教育格差を生む状況を変えるには、放課後で体験できる教育コンテンツを開発すればいいのではという意見から、放課後に無償で行う塾的なものを大学生のマンパワーを集約して提供する仕組みが出来ればいいのではないかという意見まで様々でした。私は、それまでの公立学校における放課後活動の経験から、「お金がなくて塾に通えないから、子どもの学力に格差が生まれるため、その解消には無償の学習保障を行えばよい。」という捉え方は、小学校を対象にした場合は本質ではないと考えていました。つまり「お金があれば、塾に行くことができて、学力がつく。」という考え方にも懐疑的だったのです。このことの詳細は別にしたいと思いますが、実践の骨子や組み立てを任されていたこともあり、方針を「生活と遊び」におきました。いわゆる教育困難校といわれる公立小学校で奈良教育大学の学生たちと行っている放課後子ども教室や通学合宿、土曜日活動などを核とする「教育コミュニティづくり」の活動の中で出会う子どもの成長にとって重要なのは、学力を「教科学力」として捉えるだけではなく、学習を支える「学ぶ力」を整えることも大切だという広義の意味で学力を考え基盤にしていたからです。また塾に通うことで学力がついているように見えても、それは先取りで知っているだけのことで、本当に理解できているかどうかは別の問題かもしれないとも考えていました。つまりお金があって、塾にいけても、学習の自立には至らないという意味では、経済力に関係なく、子どもにとってより良い放課後の過ごし方が学力を伸ばすという本質を探究することになるからです。
 ここでいう「生活」とは、これまで学童保育で求められた子どもを保護する家庭的環境の再現というものよりは、子どもの「自立した生活」という観点から組み立てたものでした。自分たちで見通しを持ち、計画を立て、分配を行い、協働をすすめ、個人と集団の目標を達成していくというものです。もちろん野外での遊びも、屋内での遊びも、この要素で組み立てることを基本にしました。ここでは詳しく扱いませんが、その中でも、子どもが爆発的に集中力を発揮したり、子どもの大きな変容のきっかけになったりすることがあります。それが「お仕事」です。子ども自身で、おやつの準備をしたり、掃除をしたり、するのは実は指導員にとっては手間のかかることで効率的ではありません。子ども同士で公平に作業分担したり、意図的に多種類で準備されたオヤツを納得できるように分け合えたり、家でも滅多にしない雑巾がけを綺麗に出来るようになるには、それに必要なスキルと乗り越えるべき壁が多くて時間もかかります。それでも床磨きのコツを身に付けた子どもは、驚くような集中力を発揮し、綺麗になった床を見て達成感と満足感を得ることが出来ます。汚れていた時と、美しくなった床では何が異なるのかを説明しはじめ、自分がどんな工夫や努力をしたことが良かったのかを振り返ります。そんな時、指導員は結果を褒めるだけでなく、そのプロセスに関心を示し、子どもの驚くほどの集中力に感服した感想を伝え、きっとその体験が他でも生きることを伝えるようにします。これが生活で得た体験を学習にも生かすよう「転移」を促す第一歩ですが、これについては別途考えたいと思います。

■マリア・モンテッソーリの気付き
 カイヨワによる「遊び」の定義からは、この「お仕事」は真逆のことになるかもしれませんが、放課後の時間に体験する「お仕事」は「児童労働」とは異なります。むしろ、模倣と呼べる遊びなのかもしれません。ライオンの子どもたちがじゃれ合いながら、狩りの技としての身体的な動きを獲得していくように、子どもたちは「お仕事」をしながら関係性の中で技術を磨き、もっと高度な資質・能力を獲得していくように見えます。
 早期英才教育のように理解され広まっているかもしれませんが、モンテッソーリ教育を提唱したマリア・モンテッソーリは、自ら障害児の療育で積み上げた知見を、経済的困難な家庭で育つ子どもたちを教育することにつかった感覚教育法がもとになっています。彼女の発見は、障害のあるなしや、お金のあるなしに関係なく、子どもを成長に導く幼児教育の基盤に着目したところにあるといえるでしょう。自発的に学びを始める力を持つ子どもを、どのようにしたら身体的、認知的、社会的、情緒的、発達を促せるのか、その環境設定や教具の開発、カリキュラムや指導者要件などの精緻化に着目したのは、その気づきから生まれたことです。自立を成長の目標にするのは、放課後まほらboでも共有している視点です。

 幼い子どもは実際、単なる遊びよりも仕事の方を好むものです。もし選ばせてもらえるなら子どもは、遊ぶことよりもむしろ、洗濯、料理、庭仕事など、本当の仕事を選ぶでしょう。彼は仕事に対して大きな憧れを持っており、大人の世界に入れてもらって、意味のある、役に立つ仕事をしたくて仕方がないのです。「マリア・モンテッソーリと子どもたち」(テリイ・マロイ著、正田幸子訳、エンデルレ書店)

■ごっこ遊びと役割
 ままごとから、お店屋さんごっこへと、「遊び」によっていろいろな役割を体験することを通して、子どもは多くを学びます。キッザニアは、それをうまく活用した体験型施設です。あれを児童労働体験という人はいませんね。「お仕事」を通した遊びの中で、社会的スキル、意欲や粘り強さなどいわゆる非認知能力といわれるような資質を高めることにもなります。それは、日常生活の遊びの中でも十分出来る事が分かると思います。まわりで関わる大人が少し工夫と配慮をすることで、こどもの「遊び」は豊かさを増します。そのためには大人が子どもとの関係を対等で相互的なものとして捉えることが大切です。子どもの意欲を見逃さず自然発生的に「お仕事」に誘うことが出来れば、それは楽しい「遊び」であり、子どもを成長に導く機会になることは間違いありません。
 子どもは多様な「遊び」を経験することで多くの知恵を獲得します。「お仕事」ですら、トム・ソーヤのペンキ塗りの様に、子どもにとって楽しみの一つに変える力があるのです。
 こういった「あそびを広げる」という視点で、放課後まほらboの考え方について紹介していきたいと思います。
 次回は、子どもの力を伸ばす「危険な遊び」について考えたいと思います。
では。
 
(みやけ もとゆき/もっちゃん)