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「スピリチュアル」という言葉の誤用

先日、とある日本のポッドキャストを聴いていた時のこと。

リスナーからの相談メールの紹介中に、
気になる表現を耳にした。

「私もスピリチュアルな人に視てもらいたいです。」

日本のメディアなどでも頻繁に
「スピリチュアル (spiritual - 精神性、霊性)」と言う単語を、
「サイキック(psychic - 霊能力、霊能者)」の意味で使っている。

少し前のテレビ番組の影響なのか
日本で「スピリチュアルな人」と言えば、
「オーラや霊が視える」「チャネリングができる」などの
超常能力を持った人のことを指すようだ。

国外に住んでいて日本の情報に疎いせいか、
この場合の「スピリチュアルな人」と言う表現は、
どうもしっくりこない。

重箱の隅をつつくようだが、
この場合は英語を用いるならば
「サイキックに視てもらいたい」が的を得た表現だろう。

どうして私がそこに引っかかるのか?

目に見えないものが視える人、
つまり「サイキック」が、
「スピリチュアル」な生き方をしている人とは限らないから。

では、何が「スピリチュアルな生き方」なのか…

はっきりと定義できるほど
私には知識も経験もないけれど、
少なくとも儀式や形式にとらわれることでもなければ、
オーラや天使、妖精を視たり
パワースポットや不思議体験を追い求めたりすることではないだろう。

英語圏において、
「I'm spiritual」、「He is spiritual」などと言う場合がある。

これは、その人に霊能力があると言う意味ではない。

多くの場合、
精神性や霊性に重きをおいていると言う意味だったり、
特定の宗教を信仰しているか否かに関わらず
「大いなるもの」や「神」のような存在に感謝したり、
その存在を感じて生きていると言う意味で使う。

必ずや「サイキック」の方が
「スピリチュアルな人」ではないし、
サイキック能力が無くても
「スピリチュアルな人」は存在する。

だから、占いや霊視を受けるにあたり
「スピリチュアルな人に視てもらう」と言う表現や、
「スピリチュアルが好き」と言うことに
違和感を抱いてしまう。

そうは言っても、
言葉は時と共に変化するもの。
今の日本に於いては
「スピリチュアル」と「サイキック」や「オカルト」は
同意語なのかな…

八百万の神と言う考え方を持ってきた日本人が、
「スピリチュアル」の意味を履き違えたり
怪しいものとしてしまう風潮が、
少し悲しく思えてしまうのは
私の日本人としての価値観が
平成元年で止まっているからなのか…?!

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