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私たちはどの瞬間「親」になると思う?

友人と、2週間に1度のペースで通っているインドカレー屋にて、将来の子どもについて話した。外国語で雑談をしている店員の声と、ガーリックの匂い。そしてスパイス。

将来子どもは欲しい?とかより少しスケールの大きな話だった。
そもそも将来得るかもしれない「自分の子ども」の条件に、血の繋がりは絶対じゃないのでは?という話。つまり、血の繋がりは関係なく、将来誰かの親になるのもいいよね、と。

発端はこうだった。

男女カップルでの恋愛がマジョリティなのは合理的であるからなのではないか。
実は大抵の人は、生まれつき性別の問わない恋愛感情を持っていて、けれど社会的な同調圧力とか、子孫を残すとか、そういうことに無意識的に配慮して、異性愛者になるんじゃないか。

だとしたら、本質的には別に同性愛とか、そんなに珍しく無いはずだ。そもそもやっぱり女性には女性だけが共感できることもあったりして(生理の不快感とその理不尽さとか)、そこに共感できる同じ属性(女性)と結婚したほうが上手くいくこともあるのではないか。

話の前後の色々もあって多少発想が飛躍・暴論化しながらも私たちの話は続く。

ナンの焼ける香り。客が入ってきて、それと共に吹き抜ける外の冷たい風。

最近、同性でも子どもをつくれる技術が開発されたらしい。なにそれすごいな。技術があれば、同性愛者も異性愛者も子孫を残す能力はノーボーダーなんだな。

でも、別に好きな人と自分の遺伝子がマストじゃないよね。例えばもし、私が子どもを産めない体質だったとしても、パートナーと誰かの遺伝子でもいいし、もっと言えば私とパートナーの遺伝子、どちらも無くてもいい。あと、1人で稼いで育てられる能力があるなら、私1人で子どもを持ってもいいはずだよね。

世の中にたまたま保護者に恵まれなかった子どもがいるなら、その子を飛びっきりに大事にする生き方もある。それもきっと幸せの1つだと思う。

そう言えばこの前授業で、「人はどの瞬間に親になると思う?」って意見を出し合ったの。
面白いね。妊娠が分かったとき?出産した時?いや、その場合子どもを産まない側のパートナーにはその瞬間は不明確だよね。

1人の子がね、「ある子どもに対して守りたいという気持ちが働いたとき」って。

そっかー。なるほどね。

それなら、自分がお腹を痛めて産んだ子じゃ無くても、自分の遺伝子が入ってなくても、養子でも、何でも関係なく、みんな親になれるのか。
自分とパートナーの性別とか、自分ひとりだとか、全て越えて、守りたい気持ちが生まれたらみんな「親」になれるんだ。

もちろんこの意見に穴はあると思うし、「親」とか「子ども(特に養子)」には色々なシビアな現実があると思う。

それでも、今日の私にとって、自分の性別やパートナーの性別、自分のライフプランとかそういうのじゃなく、誰でも親になれるのだというのはキラキラして聞こえた。

もし、世界のどこかで自分の意思とか性的指向とか、そういうので将来の孤独を感じる人がいたら、案外大丈夫かもよと言ってあげたい。

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