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守人 #前

 長谷部は商品棚の整理に没頭していた。
 最終電車が去った深夜、コンビニエンスストアを一人で切り盛りしている。
 つつがなく作業は進んでいた。
 そんななか、それはなんの前触れもなく起こった。
 ゾクリ。
 戦慄せんりつ悪寒おかんが背筋をはしり、長谷部は胸騒ぎを覚える。
 店内に客がいないことを確認し、長谷部はすぐに休憩室に向かった。
 鞄に入っているクッキーの缶を取り出す。缶の蓋を開けると、中にはスイッチが入っていた。長谷部は、そのスイッチのボタンを指先でしっかり押し込んだ。
 ため息とともに深く呼吸をし、長谷部は業務に戻る。
 今日もまた、人類を救った。

 そのスイッチは、長谷部のもとに突然現れた。
 あの不思議な夢をみてからだ。
 月光に照らされた広大な竹林の奥深くに、それはいた。光り輝く存在。その姿は、どこか現実離れしていた。
 人間の見た目をしているが、全身は柔らかな金色の光に包まれ、その光は竹林の間をすり抜ける風に吹かれて静かに揺れている。顔立ちは穏やかで、瞳は深い智慧と優しさをたたえていた。長い黒髪は風にそよぎ、揺れる光を反射している。
「長谷部よ」それは、脳内に直接語られる。「お前に使命を授ける」
 長谷部は、以下のルールのもと日々繰り返される使命が与えられた。
 ・一日に一度、スイッチを押すべきタイミングが訪れる。
 ・タイミングは長谷部にしか分からないが、必ず訪れる。
 ・スイッチを押すことで、人類が救われる。
 ・押さなければ、長谷部の知らないどこかの誰かに不幸が起こる。
 その存在は煙のように消え去り、長谷部は目を覚ました。
 ぼんやりとした頭で、一連の出来事を思い出す。馬鹿らしくなって、小さく吹き出した。夢だと一言で片付け、二度目の微睡まどろみに落ちようかとしたとき、手に握られているそれに気がついた。
 そのスイッチは片手に収まる大きさで、四角い灰色の金属のような材質でつくられていた。中心には円形の赤いボタンが飛び出している。複雑な形をしているが、よく見ると角という角は緩やかなカーブを描き、面と面の接着部やネジはどこにも存在しなかった。

 夢をみてから、スイッチを手にしてから、長谷部は一日に一度、必ずそのボタンを押した。
 それは自分に与えられた使命で、このスイッチを押すことで誰かが救われるのだ、と思い込むようにしていた。
 押すタイミングは、感覚として確かに分かる。背筋に悪寒がはしり、なにか嫌な胸騒ぎがするのだ。
 長谷部がスイッチを押すようになってからも、どこかで発生した事故や戦争のニュースは絶えず報じられた。
 スイッチを押すのは一日に一度とはいえ、そのストレスは長谷部のなかに少しずつ溜まっていった。肌が荒れ、抜け毛が増えた。
 押さなければどうなるか、と考えることもあったが、そんなことはできなかった。
 スイッチを押しっぱなしにする案が浮かんだが、万が一のことを考えるとそれはできない。そもそも、タイミング外でスイッチが押されたらどうなるのだろうか。なにかの拍子に、意図せぬタイミングで押されることがあるかもしれない。そんな懸念を抱くようになってからは、ちょうどいい大きさのクッキーの缶にスイッチを入れて持ち運ぶようになった。
 こんなことを毎日、一生続けていかなくてはならないのか。  神経は衰弱していった。
 長谷部は、メンタルクリニックに通うようになった。主治医は気のいい人で、長谷部のとりとめのない小さな疑問や問題にも逐一耳を傾け、その解決策を示してくれた。  
 ある日、長谷部はその悩みの種であるスイッチのことについて、ついに打ち明けた。 また、触らせこそしなかったが、スイッチの実物を主治医に見せた。
 主治医は、うんうんとうなずき、真剣な表情で長谷部の話を聞いた。
「そういうことにね、興味があって昔から調べている人を知っているよ。変わった人だけど、よければ紹介するよ。なにかのヒントになればいいが」

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