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マシーナリーとも子ALPHA ~揺らぐトンカツ篇~

 2017年、池袋西口。
 とあるテナントに黒塗りのトラックが数台停まり、荷物を降ろしていた。降ろされるのは業務用コンロやフライヤー、木製のカウンター、大型の冷蔵庫など。どうやら新たに飲食店ができるようだ。
 それを腕を組んで見守る女性がいた。その左腕はプリント基板が取り付けられたビームライフルであり、背中には銀色に輝く飛行ユニットが取り付けられている……。シンギュラリティのサイボーグ、アークドライブ田辺だ!

「またこうしてトンカツ屋を開くことになろうとは……」

 田辺は以前、人間の老人から受け継いだトンカツ屋を経営していた。グルメバトル番組に出演するなど(もっとも、その回は田辺自身による破壊工作によって放送されなかった)確かな味を提供する店として評判だったが、春先に田辺が機能停止したことで閉店。人が出入りしなくなった店舗は急激に寂れ、解体され、いまは家系ラーメン屋になってしまった。
 その後、紆余曲折の末に田辺は恐るべき人類至上組織N.A.I.L.の一員となり、その資金援助によっていまふたたび自らの店を構えることとなったのだ。
 とんかつ処田なべ……。いまここに新たな味伝説が始まる……。 

***

(新店舗開店おめでとうございます、田辺)

 カウンターから田辺にテレパスで話しかけるのは彼女の盟友にして現在の上司、N.A.I.L.の首魁たるサイキッカー、トルーだ。
 彼女は田辺が見事に揚げたトンカツを箸で掴むと、口のそばまで運ぶ。が、ここで問題が発生する。トルーは音を極端に嫌っているため、自ら声を出さないように唇をホチキスで留めているのだ。口が開かなくてはトンカツを食べることができない!
 すると箸で掴んでいたトンカツがフッと消えた。

(ウン……ウン……)

 ムシャムシャとトルーが咀嚼する。口の中にトンカツをテレポートさせたのた! なんというサイキック食事であろうか! ちなみにサクサク音はしない。音が嫌いなトルーはクリスピーなものを食べるときは能力を使って口の中にミュートをかけるのだ。

(美味しいですねぇ〜〜。この味ならすぐにお客さんがつくでしょう。流石です田辺)
「いえいえ! これもすべてトルーさんとN.A.I.L.のみなさんのおかげです。お手伝いまで手配していただいて……」

 田辺が視線を配ると店の奥で下ごしらえをしている男たちが会釈をする。トルーの命令でトンカツ屋のスタッフとなったN.A.I.L.の構成員だ!

(存分に腕を振るってください、田辺。このトンカツで池袋の人類たちの心を満たすのです)
「……はい」

 未だ人類のために働くという感覚がピンとこない田辺の胸にもやっとしたものが浮かんだ。

(それに有能そうな人類やうだつが上がらなくて救いを求めてそうな雰囲気の者が来ればスカウトできますしね……。この店は実質的なN.A.I.L.の池袋支部として機能しましょう)
「……そういえば」

 田辺はふと疑問に思った。

「最近ピラニアさんやイルカさんを見ませんが……どうしているのですか?」
(ああ、そうでしたっけ……? ピラニアなら近いうちに連れて来ましょう。最近彼は忙しくしていましてね)
「イルカさんは?」
(彼女には特殊な任務を任せていまして、もうずいぶん単独行動です。そのうち戻って来ますよ……)
「そうですか」

 田辺はトルーの遠回しな語り口に、少し違和感を覚えたが新しくグループ客が入店したことですぐにそのことを忘れた。

***

「はい、ヒレカツ定食お待ちどぉ〜」
「来た来た」
「うめぇ〜〜。やっぱこのトンカツ最高だよ!」
「ハハ……お客さんたち、前のお店の時も来てくれましたよねえ」
「覚えてますか」
「前のお店にはじめて行った時は店長の腕に銃が付いてて驚きましたよ」
「これはギプスです」

 とんかつ処田なべは開店から4日ほどですっかり評判の店となり、今日もお店は満員だった。そのカウンターでうんうんと頷きながらトルーはビールを啜っていた。

(田辺……うまくやれているようですねえ)
「いやー、前にやってたお店の時からの贔屓のお客さんもたくさん来てくれまして! ありがたいこってす」
(田辺のトンカツ、美味しいですからねえ)
「吟味した豚をたっぷりのラードで、このビームライフルを使って揚げるのがコツなんですよ。企業秘密ですよ? ムフフ」
(うんまあ……ふつうのトンカツ屋はビームライフル持ってないでしょうからねえ……)

 田辺は満席の店内で自らが揚げたトンカツに舌鼓を打つ客たちを見て、久し振りに満ち足りた気分を味わっていた。

***

「へっ……なんだこのトンカツは!」

 店の角から怒声が響いたのはそんな時であった。田辺は何事かとカウンターから首を伸ばす。40半ばほどと思われる男性の人類が、不満もあらわにトンカツを睨みつけている。

「お客さん、すいませんが静かにしてくれませんか。ほかのお客さんの迷惑になります。ネットリテラシーが……」
「はん……姉ちゃん、あんたがここの店主か」

 男はジロリと田辺を睨む。

「そうです。なにかウチのトンカツに不服でもあるんですか?」
「大いにある。このトンカツは出来損ないだよ」
(……なんですかあなた。美味しいトンカツじゃあないですか)
「うおっ!? なんだ!?頭に声が直接……!」

 トルーの思念が男に飛ぶ。

「あなた、なんですか? 他所の店の回し者ですか? 文句があるならお代はいらないから帰ってくださいよ!」
「言われなくてもこんなトンカツに金なんか払えるかあ! まったく、評判になってるから来たのに飛んだ無駄足だったぜ……。あばよ!」

 男は肩を怒らせズシズシと不機嫌な足音を鳴らしながら出て行った。

***

 ランチタイムの営業が終わり休憩時間。田辺はスタッフとトルーとお茶を飲みながらくつろいでいた。今日は夜営業は無しだ。以前と違いトンカツで生活を立てているわけでもなし、ワークライフバランスはキチンと保たねばならない。

「しかし今日は災難でした。あの口が悪い親父! めちゃめちゃなケチをつけやがって! どっか近所のトンカツ屋の嫌がらせでしょうかね」
(そうですね。……しかし)
「ン……なにか気になりますかトルーさん」
(あの男……確かに迷惑でムカつきましたが……。少し心を読んでみたんですよ。そしたら)
「そしたら?」
(あの怒りは演技とかイチャモンではない、本気の怒りのようでした。原因まではわかりませんでしたが、彼はなんらかの理由から本気であなたのトンカツの仕上がりに不服があったのですよ)
「 ……私のトンカツに、問題が?」

 田辺は思わずスッと立ち、キッチンに向かう。まな板やフライヤーを見回し、ふだんのトンカツ作りの工程を反芻する。わからない。大王から伝授され、自らのビームライフルを使うというアレンジを加えた田辺のトンカツのレシピは完璧だった。お客も満足してくれている。……今日のあのデカい声のオヤジを除けば。

(……会いに行っていますか)
「えっ?」

 いつのまにかトルーが後ろに立っていた。

***

「食パン、6枚切りでお願いね」
「あいよ」
 池袋の繁華街近くにあるパン屋「ウェストイースト」は夜中でも開店しているパン屋として、西・北口の住民に人気のパン屋である。店主のセイカイは眠らないこの町の住民の腹を満たそうとこの地に根を張って20年。週休二日でパンを焼き続けてきた。ときには北口に多く住む中国系の住民のためにマントウを棚に加えるなどこまかな気遣いも功を奏し、いまではすっかり町のご意見番として住民たちに親しまれていた。

「セイカイさん、そういえば交差点のあの店知ってるかい」
「……とんかつ処田なべか?」
「そうそう。最近できたんだがあの店ぁウマいよ! 連日盛況してるらしいぜ」
「ケッ!お前さんも焼きが回ったな。あんなトンカツ食えたもんじゃないぜ。あんなもの……」
「なにがどう食えたもんじゃないんですか!?」

 セイカイは会話に急に女の声が割り込んだのを不思議に思って顔をあげた。入り口には昼間見たあの女……とんかつ処田なべの店主が立っていた。

(私の能力を使えば、歩いた痕跡や心の残り香を追って居場所を突き止めることなど造作もないことです)

 田辺の横に立つトルーが満足そうに鼻息を鳴らす。
 セイカイは彼女らの剣呑な雰囲気に押され、思わず手元のフランスパンを構えた。

「なんだお前ら……トンカツをけなされたからって討ち入りか!? てやんでえ、メシ屋ならもっとマシなトンカツを作ってみろってんだ! 汚えぞ!」

 セイカイはフランスパンを振り回して威嚇する。彼はパンフェンシング3段の達人だ!

「ち、違います……。あの、私どうしてもわからないんです!」
「なに?」

 食ってかかってくるかと思われた田辺が迷いの表情を見せたことにセイカイは訝しんだ。関東きっての暗黒街・池袋では店舗間どうしの諍いも多い。ライバル店に殴り込まれて店を破壊されることなどしょっちゅうだ。だからこそセイカイはいつもフランスパンを硬く焼き上げていたし、トンカツに悪態をついたときも抗争やむなしの覚悟のうえだった。それほど彼には田辺のトンカツが、いや、適当なトンカツが評価されていることが許せなかったのだ。

「お前、殴り込みに来たんじゃないのか?」
「はい」
(いえ、これからの応対によってはまだわかりませんよ。こんな店は5秒で消し飛ばせます)
「ウッ! 頭のなかに直接声が!?」
「ちょちょちょ、トルーさん! 物騒なこと言わないでください! いまから頼み事をしようってのに」
(こういう輩にはまずナメられないようにしないといけないんですよ田辺)
「とりあえずっ! 私に任せてください!ねっ!」
(え~~~……)
「な、なんなんだオメェら……」

 セイカイはだんだん怖くなってきた。そもそもコイツら見た目からして異様だ。店主は左腕に銃がついてるし、連れのデカい女は真っ黒で、口をホチキスで留めている。怖い。

「あの……つまりですね! 恥を忍んでお聞きしたいんです。私のトンカツの何が悪いのか……」

 田辺は頭を下げる。

「自分で研鑽してこその料理というのはわかっているんです。でも……私にはどうしてもわからない! 私のトンカツのどこに足りない点があるのか、あなたはなにが気に食わなかったのか……。それを知りたいんです」

 田辺はロボットアームでトルーの袖を引っ張って促す。

(え~~~……)

 トルーはしばらく逡巡したが、やがて諦めて頭を下げた。

(私からもお願いします……)
「ウッ! 頭のなかに直接声が!?」

 セイカイはトンカツ屋の態度にまた腹が立って嫌味のひとつでもくれてやろうかと思ったが、突然テレパスで思念が送られてきた恐怖でその気も失せた。

「ハァ~~……。わかったよ。教えてやる。お前に足りないものはな……」
「ワッ……! ありがとうございます!」

 田辺はパッと笑顔になって顔を上げる。すると店主から袋を投げ渡されたので慌てて受け止めた。

「これは……?」
「パン粉だ」

***

読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます