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マシーナリーとも子EX ~カニ虎伝説篇~

「ガマちゃんさあ」
「な〜に?」

 店主のガネーシャに呼ばれ、鎖鎌がレジカウンターに駆け寄る。高円寺のアンティークショップ「ムンバイ」。鎖鎌と錫杖がバイトしている、ほとんど客のこない古道具屋だ。しかもたまにくる客は大抵まともな人間ではない。亜人や宇宙人……そうでなければサイボーグといったところで、時たま警戒した表情で普通の人間が入ってくることはあるが、大抵置いてあるものの価値がわからず帰っていく。 それもそのはず、古ぼけた真鍮の燭台や埃を被った本棚が法外な価格で売られてるのだ。なにも知らない人間たちは困惑と共にこう思うであろう。「この店は商売する気があるのか?」と。

 だがその価値を解する上位存在にとってはこの店は都内で有用なアーティファクト……絶大な力をそのうちに秘めたマジックアイテム……が手頃な価格で手に入る店として重宝されていた。そのため店はひまでも家賃や給料を払うことに苦労はしていなかったし、ガネーシャはしょっちゅう旅行に出掛けていた……。それは珍しいアーティファクトを仕入れるための旅行も兼ねてなのだが。

 この日はちょうどガネーシャが旅行から帰ってきた次の日だった。その日も店は暇で、数時間ガネーシャによる授業を受けた以外は商品にハタキをかけたり、スマホを弄ったりするだけで客は皆無だった。そんな時、沈黙を破るようにガネーシャは鎖鎌を呼んだのである。

「これ、今回の旅行で仕入れてきたんだけどさア」
「なにこれ?」

 それは木彫りの虎と蟹だった。サイズはミニカー程度の大きさで、漫画的にデフォルメされており、角も落とされ曲面主体で造形されたそれは、ずいぶんユーモラスに見えた。

「かわいいっちゃかわいい。これ、なんなの?」
「古代中国で作られたアーティファクトなんだけどさあ」

 ガネーシャは右下方の手で虎を摘み取ると(彼の腕は4本あった)、つまらなそうにそれを見つめ、ため息をついた。

「これ両方ともガマちゃんにあげるよ」
「え? いいの? アーティファクトなんでしょ? 売ればいいのに」
「うーん、正直売れないと思うんだよね……。これ役に立たなくてさあ。っていうかなんのためにこんなモン作ったのかよくわかんないんだよなあ。元々そんなに手に入れるのに苦労しなかったしさ。お土産と思ってもらってチョーダイよ」
「まあそういうことならありがたくいただいちゃうけど〜」
「それにこういうの、お宅のママさん好きだと思うよ?」
「どうかな〜。ママもまあ、こういうかわいい系嫌いじゃないけどさあ……」
「いや、これがね。ちょっと仕掛けがあってね……」
「仕掛け?」

***

「で、これとこれを机の上とかで向かい合わせてえ」
「ふむふむ」

 テーブルの上で木彫りの虎と蟹を向かい合わせる。鎖鎌は家に帰ると早速ガネーシャからもらったアーティファクトをマシーナリーとも子に見せていた。

「正面から勢いよく衝突させる!」
「え!? なんでだよ!?」

 虎と蟹を滑らせる。木彫りの底面は滑らかな造形をしていて設置面と干渉するような凹凸はない。しかし車輪も無いのにこれだけスムーズに動かせるのは驚きだった。
 虎と蟹の顔が……まるで虎が蟹を頬張るかのようにぶつかり合う。その瞬間、継ぎ目ひとつ見えなかった滑らかな木彫りの滑らかな表面に幾何学的な模様が浮かんだ。

「なにっ」

 マシーナリーとも子は目を見開く。そしてサイボーグ観察力によってすぐさま気がつく……。それは模様ではなく、凄まじいレベルでの工作制度により、表面に溶け込んでしまっていた継ぎ目だったと……。みるみるうちに二つの木彫りはがばりと展開する……。木彫りではない、寄せ木細工だったのだ! 名状し難い形状になった二つの寄せ木細工は互いを噛み合わせ始め……合体している! やがて…元々そうだったかのように、また継ぎ目を表面に溶け込ませた滑らかな木彫り人形へと姿を変えた……。合体前は蟹と虎のふたつの木彫りだったものが、ひとつのサメの木彫りへと変化していた。

「意味わからんな」
「でしょ?」

 マシーナリーとも子は急激に冷めた。この興奮をどうしてくれるんだ?

「いや確かに仕組みはスゲェーよ? どうやってあの複雑な機構をあの箸置き見てぇーなサイズに詰め込んでるんだとかどういう設計してるんだとか展開のための動力はなんなんだとか驚きのつるべうちだよ。でも……蟹と虎が合体してサメに? 全然わかんねー。論理的なところが一個も無いだろ。なんなんだこりゃ。企画者出て来いよ」
「まあだから……ガネーシャさんも売れないなあって思ったのかなあ。でもまあ、おもしろいよね」
「まあおもしろくはある。このサメの形もでっぷりしててカワイイしな」
「あらそれ、サメじゃ無いわよ」
「あ?」

 振り向くと背後にはスパゲッティをたらふく食べたネットリテラシーたか子が立っていた。特に用もないのに食事をせびりに来たのだ。

「シャチよ。それ」
「シャチ……? この曖昧なディテールでよく区別がつくなあ。でも言われてみればそう見えてきたぜ」
「文脈があるからね。そのおもちゃ、中国に伝わる故事をモチーフにしてるんだわ」
「コジ?」
「話してあげましょうか?」
「聞きたい聞きたい!」

 たか子はゆっくりと目を閉じ、語り始めた……。中国に伝わる伝説、虎と蟹の壮大な物語を……。

***

 いまは昔、とあるカニが山登りをしようと試みた。生まれてこの方海岸から遠くに行ったことの無い己を恥じ、自分の限界に挑戦しようとしたのだ。カニはこれまでに無い勇気を発揮し、海岸を抜け出た。

「海岸を抜け出た……ってカニ歩きで?」
「まあ、そりゃあそうよね。カニですもの」
「前にいるカニもいるらしいけどな」
「でもこのカニは横にしか歩けないわよ。どの種類のカニかまでは物語中で指摘されることはないけど……まあいわゆるカニだと思ってちょうだい。みんながカニだといわれて最初に頭に浮かべる、キャラクター的なカニよ」

 カニの道のりは困難を極めた。これまでこんなにでこぼこした道を歩くことはなかったし、こんなに水気が無いところで長く活動することもなかった。
 なによりも怖いのは進行方向から来るものだ。ときには石ころが坂道を転がってきて、カニを押しつぶそうとした。カニは横に歩くことしかできない……つまり進行方向から襲い来るものがあっても、瞬時に垂直方向にかわすことができない。そのため、そうしたトラブルに見舞われるたびにカニは素早く角度を変え、緩やかなカーブで回避行動を取るしかなかった。もちろん、間に合わずに石を身体に受けてしまうこともままあった。カニの身体は傷だらけだった……。
 だが、そんな中でも眼前に広がる景色は格別のものだった。これまで海抜ゼロメートル地点でしか生活したことがない蟹にとって、標高の世界はすばらしかった。自分の住んでいた浜辺があんなに小さく見える! しかもカニは平行移動することによって、常にその素晴らしい景色を見つめながら山を登ることができるのだ。

 だが、そんなカニの旅は唐突に終わった。
 標高1300メートル地点にあった竹林で、突然現れた虎に一口で食べられてしまったのだ。

「は? うそでしょ」
「サプライズ虎すぎる。そんな話の終わり方があるか。伏線とかないのかよ」
「うるっさいわね! まだ終わりじゃないわよ。話はまだ半分しか行ってないのよ。ネットリテラシーが低い親子ね。黙って聞きなさい」

 虎は生まれてはじめて食べたカニの味に驚いた。なんてふくよかな甘みと旨みだろう。こんなおいしいものがこの世にあるなんて……。
 虎は竹林でいちばんの物知りの虎にこのことを話した。するとその生き物は山を遥か下ったところにある海に住んでいるのだという。

「主人公交代したよ」
「そういう行きつ戻りつの話なんだ」

 虎はもっともっとカニが食べたいと思い、意気揚々と山を下って行った。虎は急いでいたため、景色を楽しむ暇はなかったが障害物に苦しむことなく順調に山を下って行った。

「なるほど、そういう対称性なんだな」
「別にうれしさはない対比だね」

 そして海に至った虎は……カニを食べるため水中へと潜った。だが虎の身体は水中活動に適しておらず、たちまち溺れてしまった。

「両方死んだわ」
「悲しい話」

 だがそのとき……虎の身体の中に眠っていたカニの海の因子が覚醒した。

「何?」
「どういう話?」

 そしてカニと虎の身体は融合し、変化した……。その体は黒く、流線形へと変わった。海の獰猛な肉食ギャング、シャチの誕生である。

「嘘だろ」
「どういう話??」

 こうしたことから、シャチという感じは魚ヘンに虎……鯱と書かれるようになったのである……。


***

「と、いう話なわけよ」
「いやカニは!? 漢字の話だとしても魚ヘンじゃねーかよ! カニはどこいったんだよ!」
「古代中国ではカニも魚の一種と思われていたのよ」
「そんなバカな……」
「ていうかじゃあこれは何? その昔話をおもちゃで再現したものなの……?」

 鎖鎌はシャチを左右に引っ張る。するとスルリと結合は解除され、カニと虎の木彫りの人形がふたたび姿を現した。

「なんなの???」
「別にどんな人形があってもいいでしょうが。昔の人類だってきっとなにかモチーフがなければ創作なんてできなかったということよ」
「なんか……聞いて損したとは言わねーけどとくに得るものも何もない話だったなあ……」
「まーでもガネーシャさんがただでくれた理由もわかるかなあ。なんか不思議なパワーとかあるわけじゃないんだね」

 ふたたび合体。シャチモード。

「ママこれどーする? いらない? 捨てちゃおっか?」
「いや……もらっとくよ。変なおもちゃは嫌いじゃねー」

 とも子は鎖鎌の手からシャチをつまみあげると、適当な棚の上に乗せた。

「それに」
「ん?」

 とも子はジッと鎖鎌の顔を見つめた。

「珍しくおめーがプレゼントしてくれたものだからな」
「ほへっ?」

 突然の言葉に鎖鎌は固まった。そのあいだにとも子はぺんぺんとおもちゃ棚のほこりを手で払うと洗い物をしに台所へと姿を消した。
 たか子はこのまま夕飯にも預かろうとソファに寝っ転がるのだった。

***

読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます