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マシーナリーとも子EX ~灼熱の西口篇~

 ひなびた小さめの本が並ぶテントを発見した錫杖は本棚をろくに見ずに店主と思わしき老人に話しかける。

「おっちゃん! ホームズあるか!? シャーロックホームズ!」
「ホームズぅ?」

 老人はくしゃくしゃのスポーツ新聞から顔を上げた。フンフンと鼻息を荒くする錫杖と目が合う。

「嬢ちゃん、それなら悪いけどうちに当たるのはお門違いだよ」
「なんで? ここにあるの文字ばっかの本だろ? ホームズの小説ないんかよ」
「うちが扱ってるのは“新書”だからね」
「シンショオ?」

 老人は新聞を置くとおもむろに本棚から一冊の本を取り出す。その表紙には「ロボは駆動系が9割」と書かれている。

「新書ってのは厳密に言うと製版サイズのことなんだが、内容も文庫とかとは結構違うんだな。文庫ってのはハードカバーとかの単行本や、古典的作品を手に取りやすくするために作られたもんが多いんだ。一方、新書ってのは新しく書かれた教養本であったり、自己啓発本が多いな」
「ノンフィクションばっかりってことかあ? 禁酒法時代の本があったら欲しいけど今は用がないのう」
「いやいや、そんなことはないぞい。例えばこれだって新書だ」

 老人は別の棚からまた一冊の本を取り出す。先ほどの本の抽象的な図と違い、こちらは色とりどりのキャラクターが描かれている。そしてポップな字体で「レベル99鯖、店主から冷蔵庫に置き去りにされたけど足が早い」と書かれている。

「ライトノベルってやつだ。こいつも新書サイズがほとんどだな。でもまあ、ジャンルとしてはこの辺りで、嬢ちゃんの言うようなホームズものはちょっと違うなあ」
「どこなら置いてる?」
「ほら、あっちだよ」

 老人は二つ隣にある、一際小さなテントを指差した。

「夏川堂書店……ミステリものなら古典も最新も色々揃ってるぜ」
「かたじけねえ、見てみるわ……」そう言ってから錫杖は走り出そうとして……振り返って聞いた。「あー、お爺ちゃん。禁酒法時代の本はあるかい?」
「あるとも。こいつはどうだ? 「禁酒法時代のワルたち」って本だ。500円」
「すげえな、生き字引きって奴だね。そいつもらうわ。色々聞かせてもらったしね」
「いまどき感心な若い衆だねえ。よし、おまけして300円にしてやるよ」
「親の教育がいいんだよ。じゃ、ありがとな!」

 錫杖は得物をジャラジャラと言わせて走り出した。

***

 遅れて夏川堂書店まで辿り着いたワニツバメは目をしぱたいた。目の前の光景が信じられなかったのだ。
 狭いテントの中に幾十と積まれた本棚は歯抜けが目立ち、スカスカになっていた。冷静に精査してみるとエラリー・クイーン、江戸川乱歩、綾辻行人、アガサ・クリスティーなど錚々たるメンツが並んでいるが……ツバメの求めるあの名前がないのだ! アーサー・コナン・ドイルの名が……シャーロック・ホームズものが根こそぎ買われているッ!

「おっ、おっちゃーん!!! これはどう言うことでスか!? なんでこんだけ探偵小説や推理小説があるのにホームズだけ無いんでスかァ!?」
「あぁそれ……? さっき赤〜い、蛇みたいな髪の毛の女の子がたくさん買っていってくれてねえ……」
「赤い、蛇みたいな髪……?」

 セベクの中にほのかに残った徳人間の本徳が、ツバメの既視感に呼応するようにビクビクとワニの身体を粟立たせた。その時、ツバメの背後から声をかけるものがあった。

「悪いのうワニさん、ホームズは全部……私がいただいたぜ!」

 そこに立っていたのは直径2メートルには達しようかという巨大な風呂敷を抱えた錫杖!

「そこだけじゃあない、あっちのヘンリー書店や鍵本堂にもたーっぷりホームズものがあったぜ……。全部いただいたがのう! ガハハ! ガネーシャ先生ン店のバイトで日銭を稼いどかいがあったぜ!」
「なにぃーっ! き、貴様なぜーーーーっ!?」

 チチ、と錫杖が人差し指を振る。

「禁酒法時代が好きだって言ったろ? アメリカのギャングたちは禁じられた酒を売ってボロ儲けしたんだぜ? つまり……」

 錫杖は気合と共にその得物をガンと地面に突き立てる! シャリンシャリンと涼しげな金属音が西口公園に響いた。

「このホームズ本をよぉーっ! 今のうちに買い占めておいて2045年まで保管すればッ! 私はその利鞘でボロ儲けできるって寸法よぉーーっ!」
「な、なにぃーーーーーっ!!!」

 西口に錫杖の大笑いが響く!

「今日はいい日だワニさん! おかげで金儲けの算段がついたぞい!」
「…………許せん!」

 ワニツバメはダン! と左足を力強く踏み締めた! バリツ震脚! 推理力を高め、シャーロック発勁によって格段に技の破壊力を引き上げるバリツ必殺の動作!

「お前の行為は未来のシャーロキアンの芽をつむ行為でス……。探偵の端くれとして許すわけには行きまセン! その小説……渡してもらいまスよ!」
「できればワニさんとは闘りたくないんだがのう。ウチら友達じゃん」
「転売屋の友達は……いまセンよッ!」

 踏み締めていた地面がゆみなりにたわむかのごとく、力強く左足を踏み蹴ったワニツバメはグルンと左回りに3回転! 同時に左腕のセベクが勢いよくデスロールを始める! Y方向とZ方向2種類の回転でセベクに刻まれたマントラが超高速で読まれ、本徳の輝きを放つ!

「セイヤァーッ!」

 ワニツバメが高速横回転しながら錫杖に向け右腕を伸ばす! バリツスピンナックル! 破滅的威力を持つバリツの大技だ!

「よいしょお!」

 だが錫杖は得物を地面に突き刺し、垂直に立てた腕とスネを柄に添えて支える! 地球と一体化した防御態勢! バリツスピンナックルの恐るべき破壊力を地面に伝えて最小限に抑える!

「これで終わりじゃ……ありまセンよッ!」

 ツバメは拳を受け流されても回転を止めようとはしない! そのまま更に1回転すると回転の勢いを乗せてセベクの尻尾を叩きつける! バリツウィップ! 2段構えの回転技!

「こっちもそうでのう!」

 それに応えて錫杖は地面に刺していた得物の柄を、添えていた脚で蹴り飛ばす! そのまま高速回転させての回転防御! ツバメと錫杖は互いに5メートルほど吹き飛ばされて距離を取る!

「ムゥっ! さすが徳人間……このセットプレイを見切って防ぎ切るとは! 凄まじい徳馬力! 転売屋をやらせておくには惜しい!」
「ギャングのシノギって言ってくれんかのぉー! 人聞きが悪いぜ!」
「黙らっしゃい! こうなったら手加減抜きでスよ! お仕置きしてやりまス! セベクっ!」
(合点任されよ!)

 セベクが超高速デスロール! その回転の軌跡はもはやワニとしてのシルエットを失わせ、竜巻のようになっている!

「くらえっ! バリツビーム!」

 ワニの大口から黄金のエネルギーの奔流が噴き出す!

「どっこい!」

 受けて錫杖も自らの得物をフル回転! その錫杖はジャラジャラと音を立てながらやはり金色の徳の輝きを放つ……インパクト!

「ぬぐぅぅーっ!!」
「うぬぬーっ!!」

 徳と徳がぶつかり合い、弾き飛ばされたエネルギーが西口公園中を舞った! ビームが放たれ、いよいよ異常に気づいた人類たちはざわつきはじめた。

「なんだぁ!? 何やってるんだあいつら!」
「アチッ! この光なんだか熱いよぉ!」
「ウワーッ! 本が!」

 大変だ! 徳のエネルギーは飛び散り、古本に引火した! 長い年月を経て乾き切っていた古本は燃えやすい! そして密集していたことで大きな火種となる!

「アギャギャーッ!」
「アバーッ!?」

 古本市が西口公園の外周を沿うように展開していたのも良くなかった! またたくまに炎は燃え移り、公園をぐるりと取り囲む炎の渦が発生! 公園の中にいた200人弱の人類が全員焼死!

「ぐおおーっ!」
「こなくそーぅ!」

 炎のリングの中心でワニと錫杖は回転し続けている! 公園を燃やし尽くして尚ぶつかり続ける徳と徳! もはやこの勝負、一歩でも下がった方が負ける!

「グガガギガーーーーッ!!!!」
「ドリャリャリャリャリャーッ!!!!」
「何やってんだお前らぁーっ!」

 突如、ツバメと錫杖は中心に引っ張り込まれるようにつたたらを踏み、同時にすってんころりんと地面に突っ伏した!

「ぶげっ!」
「ほぎゃっ!」

 ふたりは大の字になってピクピクと四肢を痙攣させた。

***

「あーあー、こんなにしちまって……」

 2者の均衡を破ったのは帰ってきたマシーナリーとも子だった。とも子は徳の奔流の中に両腕を突っ込み、マニ車を高速回転させ、両腕を広げて徳を引き裂いたのだ。
 ツバメと錫杖は起き上がると、周囲の惨状にようやく気づいた。

「アララ! 何事ですかこれはぁ〜!?」
「ワニさん、水! 水!」
「わかってますヨォ! セベクっ!」
「んがぁ〜〜」


 セベクの口から西口公園にナイル川が注がれる! 消火! あとには黒い焼け跡だけが残った……。人も本も、物語る者はすべて灰になってしまった。

「ハァ……まさか錫杖が買ったことでホームズが救われるとは……」

 ツバメは改めてへたり込んだ。それを見て錫杖はポリポリと頭をかく。

「それなんだが……なぁワニさんよ、ホームズ本いる? いや、私が買った値段でいいからさ」
「ほっ?」

 錫杖の思わぬ殊勝な発言にツバメはビヨンと、へたり込んだままの体勢で跳ね上がった!

「ど、どういう風の吹き回しでスかぁ?」
「いやぁ……冷静になって考えてみたらそこまで保管して捌くの面倒だしさあ。それにこんなふうに買い占めたら確かにワニさんの言う通り、未来で欲しがるやつがいなくなっちゃうよなぁ。需要は普及してこそよな」
「なにお前、転売なんかしようとしてたの?」

 遅れて事情を理解したとも子が眉をハの字にする。

「だーから、やめることにしたんだって! のう、どうだワニさんや」
「フン……言わずもがな! 買いまスよ。ただーし!」

 ツバメは人差し指を立てる。

「……2〜3冊は持っておきなサい錫杖。そして読んでみなサい。そのあと取っておいて売るなりなんなりは好きにすればいいでシょう。アンタもシャーロキアンになれる素質はきっとありまスよ!」
「えぇ〜〜? そう? まぁ確かにそれもいいかもなぁ……。じゃあ第1巻ってどれよ?」
「これでス!」

 ツバメは錫杖の風呂敷からはみ出した山ほどのホームズ本の中かからすぐに1冊を取り出し錫杖の眼前に掲げる。表紙に書かれたタイトルは……『緋色の研究』。

「緋色……? まるでオメーの髪の毛みたいでピッタリじゃねーか。おい錫杖よ」

 とも子はわしゃわしゃと錫杖の髪の毛を弄る。

「おいおい私の頭は緋色ってほど黄色さないってばさ。まぁ……じゃあありがたくこれは取っとくわ。買い取ってくれてサンキューなワニさん」
「ふん……今日は殺し合いまシたが、次はシャーロキアンとしてならもうちょっと親しく接してやりまスよ! 錫杖!」

 探偵たちは拳を突き合わせ、そして去っていった……。池袋西口に人間の脂の悪臭が漂う、爽やかな午後だった。

***

読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます