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マシーナリーとも子ALPHA ~禊がれた英国篇~

 プシューと音を立てて電車が止まったのを感じ、私は瞑想を止めて目を開けた。
 この国の電車は日本と違って混んでないのがいい。なにより人類が乗っていないのが最高だ。こうでなくてはならない。
 しかし……天候ばかりは如何ともしがたい。地上に出ると相変わらず濃い霧が街を包み、パラパラと雨が降っていた。日照時間が少ないからか、街並みもどんよりとした雰囲気を覚える。日本のジメジメした気候も嫌いだが、この雰囲気も好きになれない。
 ウンザリしながら指定されたパブに入る。なかなかいい雰囲気の店だ。照明は薄暗いがランプやジュークボックスが黄色く光り、年季の入った木の内装を照らしていた。客も店員も静かに、だが落ち込んではおらずめいめいにダラダラ過ごしている。これでいい。騒がしい酒場は嫌いだ。
 私はのそのそ這い出てきた店員に注文する。
「エールを1パイントと……あとフィッシュ&チップスをくれ」
「無いよ」
「あ?」
「フィッシュ&チップスは無い。アンタ観光客?」
「なんで無いんだよ……。アレだろ?名物なんだろ?」
「ああいうのは外で売ってるもんなんだよ。ウチには無い」
 私は無愛想な店員に一瞬ムカついて睨みつけたが、すぐに無駄な消費だと思って諦めた。
「じゃあ……チリコンカンをくれ」
「あいよ」
 ため息をつきながら席を探す。指定されていたのは……確かAの3。
席はすぐに見つかった。狭い店内に客が詰まり切ったなかで、その席だけポッカリと穴を開けるように空いており、テーブルの上には「reserved」の表示が浮かんでいたからだ。
 席に着き、数分ボンヤリする。ほどなく人を掻き分けてホールスタッフがエールとチリコンカンを運んでくる。
「お待ちどう」
 トロンとした目つきのスタッフが、テーブルに料理を供したその瞬間、Aの3テーブルと私が座っていた椅子は地中に沈んだ。

***

「オゲッ……なんだあ?」
 私は思わず周囲を見渡す。テーブルを載せて地中に沈む畳2枚分ほどの床には、料理を運んできたホールスタッフも涼しい顔をして立っていた。
「オメェー、シンシアの部下か?」
「はい。私は昇華ソーウェルと申します。ロンドンにようこそマシーナリーとも子」
 ソーウェルと名乗る小柄なサイボーグがペコリと頭を下げる。私は警戒を解かずにサッと片腕を上げてマニ車を見せる。
「オメェーの回転体は?」
 回転体の開示は互いに敵意が無いことを示す、サイボーグ同士の名刺交換のようなものだ。私やたか子のようにあからさまなタイプはともかく、このソーウェルとかいうやつはパッと見の回転体が見当たらない。念のため確認は必要だ。
「回転体ですか……私は」
「あっ」
 ソーウェルはテーブルの上に置かれた私のエールのグラスをひったくると一息に飲み干した。
「テッ、テメェ〜何しやがる!」
「ヒック……これが私の回転体です」
「何?」
「とも子、殴らないであげてね」
 いつの間にか床は停止し、広い空間に到着していた。その空間の奥から気取ったアクセントをつけた声が私の名を呼ぶ。回し車のカラカラという音が徐々に近づいてくる。イギリス方面のリーダー、ロンズデーライトシンシアがその姿を現したのだ。
「その子は酔いが回ることで擬似徳を得るタイプなの」
「酔いぃ〜〜っ?」
「ヒック」
「だから支部が酒場なのか……? こんな大仰な装置で連れて来られるのはビックリしたけどさ」
「池袋支部はただの貸しビルだもんね。せっかく徳が高い土地なのにもったいない」
 そう言いながらシンシアは懐からスニーカーが入るほどの大きさの箱を取り出した。箱は金属製で高貴そうなエングレーブが施されており、いかにも高級そうだった。
「そういえばあなたとやったことはないけど……できるでしょ?とも子は」
「オイオイ雀将かよ。仕事の話はいいのか?」
「こういう時間がかかりそうなミーティングはゲームしながらやるのがイギリス流なのよ」
「いまここには3人しかいねー。雀将は8人でやるのがルールだろ?」
「それは国際ルール。イギリスでは"三麻"が一般的なのよ」
「どう違うんだ?」
「使うコマを少し足すだけよ。教えてあげるからやってみましょう。仕事の話はルールを覚えてからでいいわね?」
 そう言うとシンシアは箱から見慣れぬトークンと爬虫類のコマを出した。面倒そうなルールだ……。私は仕方なく付き合うことにした。

***

 イギリスは現在地球上に6つある、サイボーグに完全占領された国のひとつだ。元々住んでいた人類の大半は殺され、少数は労働や娯楽の提供のため名誉サイボーグとして、あるいは改造人間として生かされ、残りのわずかな人類は別の国に逃亡した。
 そのため街中で人類の姿を見ることはほとんど無く、あったとしてもすぐに殺されてしまうため街は非常に清潔で快適さが保たれている。
 ロンドンに数多くあった街灯の半分がまちかどマニ車に置き換えられ、バグパイプ屋はうるさいのでマントラ屋になった。
 人類が行っていた娯楽の多くにも検閲が入った。とくに大きいのはサッカーとクリケットの禁止だ。サッカーについては単純にヨーロッパ内で大きな権力を持つロンズデーライトシンシアが好きでないからという理由で禁止。クリケットはそもそも全宇宙で行なっているのが地球人類くらいというほど忌避されている野蛮なスポーツのため、この禁止はヨーロッパ方面サイボーグの悲願であった。イギリスでのクリケット禁止によって地球の「住みたい星ランキング」は500も順位を上げたのだが、愚かな人類がこの偉業を知ることはない。
 また、シャーロック・ホームズも禁止された。シャーロック・ホームズはサイボーグ知識層にも人気の作品だったのだが、シンギュラリティのイギリス侵攻に際して大きな障害となり、サイボーグにトラウマを残すこととなったのでやむなく禁止措置が図られた。
 その障害というのがバリツである。これはシャーロック・ホームズが16歳の頃にベーカー街で創出した人類歴史上指折りの破壊力を持つ格闘技であり、その奥義をすべて身につけた者は滝壺に落下しても傷ひとつ負わないと言われている(注釈せねばなるまいが、ひ弱な人類は防御力が極めて弱いため、ふつうは滝壺に落ちたら死ぬ)。
 数多くのサイボーグを破壊したこの格闘技はその恐ろしい力とは裏腹に、シャーロック・ホームズシリーズを読破したものなら自然と扱えるほど習得が容易で、イギリスにサイボーグが侵攻し始めた2039年の段階で実に国民の98%がなんらかの形でバリツを行使可能な状態であったという。このあまりに恐ろしい格闘技を人類の歴史から抹消するため、すべてのシャーロック・ホームズ作品は焚書され、パイプで煙草を吸うこと、麻薬、ステッキを使うことも禁じられた。

***

「そうしてイギリスは平和になったわけだが……」
 私は話しながら八索を3マス前進させる。これで三巡後にゲッター2の成りが確定し、ワニのデスロールが目に見えてくる。
「ええ、この数ヶ月で支配も安定した。いよいよ踏み出すべき時が来たのよ。そのために侵攻部隊顧問としてあなたを呼んだの……。ポン!」
「えっ」
 シンシアはソーウェルが2六に打った♠️の5をすかずポンする。ツモ順が入れ替わる……!先程まで優勢だった私の手駒は色彩を欠き、王将の眼前には凶悪なカルノタウルスが進軍してきた。その駒はシンシアによる丁寧なペイントが施され、実際の戦況以上の威圧感を与えてくる。
「ウソだろオイ。お前ら"通し"てねえか?」
「まさか……人聞きが悪いですよとも子さん」
「そうよ。っていうか遊びの雀将で来客をいじめてもなんの得もないでしょ?」
 シンシアがニヤニヤと笑う。ぜってーやってる!畜生め。
 私はペースを取り戻すために仕事の話を続ける。
「それでいつ行くんだ……暗黒大陸には」
 暗黒大陸。それはシンギュラリティ未踏の地アフリカの別称だ。強大なパワーを持つ人類たちと人類に協力的などうぶつたちが集合するアフリカ大陸は人類希望の地となり、シンギュラリティの侵攻を防いでいる。とくにアフリカへの入り口となるエジプトは侵攻の足がかりとなるだけでなく徳の高いピラミッドが多数あることからサイボーグ垂涎の地であり、断続的に戦いが行われているシンギュラリティと人類の最前線となっている。
「1週間後……エジプトにある人類の一団が到着することになっている」
「ある一団?」
「数年前に私たちが放逐した勢力よ……シャーロキアン! シャーロック・ホームズの叡智の末裔!」
「シャーロキアン? 生き残りがいたのか?」
「ええ。その数30人を超えるらしいわ。全員バリツレベルはランクWatsonを保持してる。一筋縄ではいかない相手よ』
「そんな奴らがエジプトに渡ったら……」
「そう。ピラミッドパワーを得て手がつけられなくなります」
「マシーナリーとも子……あなたにお願いしたいのは私たちヨーロッパ方面が派遣する対シャーロキアン部隊のアドバイザーよ。池袋ではたくさん殺してるんでしょ?」
「バリツ使いはいなかったけどな……。まあわかったよ。1週間後ね……。その前に殺す必要があるな」
「そう、だから明日にはこのロンドンを出発してもらうわよ……。ピンゾロ!」
「えっ!?」
 シンシアの3つの24面ダイスはすべて1の目を表して止まっていた。この時点で私の負けが確定。
「ウソだろオイ!!!! イカサマだぁ!」
「ホホホホ……負け分はすべて池袋支部に請求しておくわよ」
「……2戦めやります?」
 ソーウェルがワインをぐびぐびと飲みくだしながら言う。こいつが怪しいんだよなぁ!
「やめとく……っていうかもう寝るよぉ。明日早いんだろ?」
「7時には出発してもらうわよ」
「クソ最高だな。ロンドンくんだりまで来てやったことが雀将でボロ負けとかよぉ〜〜」
 私はソーウェルからワインの瓶をひったくるとラッパ飲みしながら寝室に向かった。出張1日めから最悪に幸先の悪いスタートだ……。
その夜はフィッシュ&チップスに寝込みを襲われる悪夢を見た。

***

読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます