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母であること (ダメな母親編)

昨日は、自分の母親としてのスタンスをお話ししましたが

自分で、読み返しながら

これは、めちゃくちゃポジティブで良い母さんみたいに見える

今は、こうなれているけど、過去の私は違っていた...


その事を話さないといけない気がしたので

ちょっと、私の負の部分もお伝えすることで

同じお母さんたちに、勇気をお渡しできるのではないかと想い

再度お伝えしようと思います


私の性格は、昔からの友人に言わせても

明るい、だれとでも仲良くできる、前向き、集中力が凄い、突拍子もない行動をする、個性的

という事をよく言われました

それが、周りから見た私の印象なのでしょう


しかし、当の本人は

根暗、人見知り、怖がり、人の反応が気になる、動きを止めると死ぬ、いつも何かに追われている感覚

という真逆の感覚の中で生きていました

気分が下がると ”モチベーションを上げないと!” と

自分を奮い立たせていた、そんな人間だったのです


ちなみに、私は結婚に悲観的な人間でした

子供は好きだけど、結婚生活という事を考え,ると

人生の墓場だと思っていたほどです

そんな私が、夫と出会い結婚を決めてからの人生の舞台は

韓国という異国の地が、人生を生きる舞台に変わりました

正直、最初は知らない国、よくわからない言葉

似ているようで似ていない文化

まだまだ発展段階だった韓国という国の変化

全ては新鮮で楽しかったです


しかし、そんな楽しさも子供を出産してからは大きく変化していきました

言葉の良く通じない家族、そして子育てに対する文化の違い

日本の当たり前が、こちらでは非常識になる

外を歩いていても、見ず知らずの人に

”そんな薄着で子供を外に出したら、風邪をひくだろう!”

と道端で叱責されたこともあります

私は私の子供を、私らしく育てようとしただけなのに

韓国と言う文化の枠に縛られそうになる事が

嫌で嫌で仕方がなかったのです


そんな時、私本来の根暗が息を吹き返してきました

根暗、人見知り、怖がり、人の反応が気になる、動きを止めると死ぬ、いつも何かに追われている感覚

動きを止めると死ぬと思っていた私が

子育てという、どうすることもできない

逃げられない檻に入れられた感覚になったのです


可愛い子供を目の前にしながら、涙をポロポロ流した日々もあります

決して、子供を悪い存在だと思わなかったけど

自分は最低な人間だ、自分はこの世に存在する価値なんかない

家庭という檻の中で私が何をしていけばいいのかわからない

そんな、ネガティブループへ巻き込まれていったのです

育児うつではありませんでした

ただ自分喪失していったのです

この時の私の状態を夫は知りません

子供も1歳半くらいだったので知らないでしょう

毎日が苦しかったし

毎日が地獄でした

なんで韓国なんて国にいるんだ!!!と

自分の今の状況を呪う毎日だったんですね


私は一人になる度にボロボロと泣いていました

しかし、人がいる前ではニコニコと笑っていたのです

モチベーションを上げることは限界に達していた気がします

両極端なココロの状態...毎日が暗闇でした

自分はどうやって生き抜いていったらいいのか分からない毎日でした


だから完全に演じるしかなかった気がします

誰にも弱音を吐けない性格だったという事も状態を悪化させた気がします

今でも、あの時涙を流した自分の姿を忘れません

私に、こんな弱い自分がいたことを教えてくれた貴重な体験です


私がこの状況を抜け出せたのは

目標を持つことが出来たためです

このままではいけない、家庭の主婦では終われないという事を

私が一番知っている

ならば、何かのアクションをして

もっと広い世界で自分を表現できる場が私には必要なんだ

そう思った時、韓国でのエステティシャンの国家資格というものを知るのです

そこから、私は韓国語と格闘しました

試験を突破するには、韓国語の読解は必須だったからです

この時、今までの人生の中で、一番勉強したかもしれません

外国で、国家資格を獲得するのは簡単そうで簡単ではありません

自国民と争って、合格率10%の枠に入っていかなければなりませんでした

一緒に勉強する仲間は全員、韓国人

私が日本人であることが嫌な人もいたくらいです(歴史的感情ですね)

その中で、日本人として、日本人への印象を変えることも

私がこの国にいる役割を果たす事だと思ったのも、この時がキッカケです


そうやって手にした国家資格は、私に新しい世界を見せてくれました

韓国人と対等に仕事をする

韓国人に出し抜かれることもありました

韓国人にバカにされた時もあります

何度も何度も、悔しい思いもしたことがあります


でも、自分自身が存在する価値を感じられる仕事に感謝しかありませんでした

手に技術を持ったことで、外国生活への自信が付きました

しかし、反対に仕事を持つことで

私の居場所、存在場所を仕事と言う場に変更してしまったのです

仕事に熱中すれば、するほど

家族のことを疎かにしていました

韓国では、仕事をしている人は子供を午後9時半まで保育園に預けられます

それを理由に、私は遅くまで働いたのです

朝から、夜まで、子供は安全な保育園にいることを理由に

仕事に明け暮れていました

今、思い返せは酷い母親です

幼少期に子供と過ごす時間が、3時間しかなかったのですから

一番下の子供は、ほとんど赤ん坊の時からですから

正直、私が彼を育てたというよりも

保育園の先生が育ててくれたと言っても過言ではないと思っています

私は子育てをするよりも、仕事をすることの方が

幸せを感じられました

サロンを独立オープンしてからの私は

もっと、もっとその事にのめり込んでいたったんですね


これは、私の中にあった 「承認欲求」 です

私は、この「承認欲求」と言う存在に気が付くまで長い長い

取り返えすことのできない

大切な時間を無駄にしてきたと気が付くまで、多くの時間を要しました


私は、ほぼ7年ほど子供の成長をまともに見ていなかった

ダメな母親です

本当にダメな母親だと思うのです

今振り返ると、悔しいのです

その時間を仕事に費やして、私に残ったものは後悔しかありませんでした


しかし、子供達は私をとてもいい母親としてみているようです

このギャップが何なのか...

私はダメな母親だと思っていても

当の本人たちには、お母さんは一生懸命、自分たちを育ててくれた

優しいお母さんなのです

私が求めていた「承認欲求」は目の前にあったのに

それを無視し続けた結果が今までの私です

自分のダメさに気が付き、自分のダメさを認め

自分が何を求めわていたのか...

それを問うた時、返ってきた心の言葉は

「穏やかな生活」だったのです


この「承認欲求」という面倒で厄介な存在に気がつけたのは

私にとって、大転換になりました

そのキッカケは、私がお伝えしている紡ぎノートセラピーを続けたことです

今の自分を認め、今までの自分を癒してあげる

そうすることで

自分が本当に求めているものが何なのかに確信を持つことが出来たのです


今は、見える物質は無くなったかもしれないけど

いつだって物質は手に入れられると思えるのです

それよりも大切な時間という価値

これからは、時間を大切にすること

価値はその時間の中に潜んでいること

足元にある幸せをいつも見るようにすることを

大切に、日々を過ごすことをしています


私がこの過去の経緯から、これからの人生で3つ捨てたことがあります

それは

モチベーションを上げない

認められようとしない

がんばらない

です


モチベーションを上げたら、下がります

認められようとしなくても、自分は認めてもらっている存在なのです

がんばらなくてもいいのです。器用に生きようとしないでいい

あるがままの私で、スピードの調節だけしていけばいい

休んでもいいし、やる時はやればいい


そうやって、自分への余裕を持つことで

見えてくる世界が変わってきます

お母さん達、いいお母さんなのか決めるのは子供達です

自分をキチキチの、良いお母さんルールに縛り付けることを止めましょう


こんな私が言うのもなんですが

子供を愛する気持ちを持っているだけでいいんだと思いますよ




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