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私が新卒で入ったベンチャー企業を辞めた理由

2024年5月21日(火)、新卒で入社し約3年2か月働いた会社を退職した。
この記事では備忘録のため、私がなぜこの企業をやめたかを明確にして、次の会社の辞めどきを見失わないようにしようと思う。

何事も人生は勢いである

どういった会社で、どのような仕事をしていたか

「脱北者さんが嫌いなものは何?」という面接官(副社長)の質問に対し、「搾取が嫌いです」と答え、色々あって新卒で入社した企業。(後に入社後に「搾取の子」と呼ばれる。)
入社時の資本金は500万円にも満たず、社員数は日本国内に10人もいないという見事なまでのベンチャー企業。そんなベンチャー企業に私が入社した理由は

①社員数が20名以下であり
②アフリカ・中東いずれかに海外拠点を持っている

という2点の要素を兼ね備えていたためだった。

私は某中東の国に留学していたことがあり、英語とアラビア語がそこそこ話せる。せっかく得たこれらの語学力をどうにか生かしたいという気持ちと、また大企業は裁量権を与えられるまでに長い時間を要し、現地に研修ではなくしっかりとした主担当として行く頃には30代になってしまうな、という恐れがあり、ベンチャー企業に入ることにした。

私は浪人、留学、休学を行っているため、入社時の年齢は25歳。同年代の人たちが3年目でばりばり働いている時期にふらふら学生をしていたということもあり、周りに対して後れを取っているという焦りが、上記の恐れに繋がっている。

業務について

私は入社後、海外営業(というのは名ばかりで英語も日本語も何語でもすべて使って雑用から営業まですべてを行う)の肩書を貰い、日本の製品を海外に輸出を行う仕事を行うこととなった。

ベンチャー企業で働いたことがない人は想像つなかいだろうが、ベンチャー企業というものはサービスがほとんど何も完成していないことがよくある。私の所属していた企業も同様、サービスが完成していない状況で口八丁手八丁でなんとか顧客を捕まえ、顧客からお金を貰った後にサービスを作り上げるといったような不安定な状況が続いた。

退社前の1年間はインフラにかかる資材を西アフリカに輸出を行うため、現地の道路公団とゼロからコンタクトを行い、製品教育のためのセミナーを道路公団と共同で現地で行い、現地に材料を輸出、簡易製造、施工に至るまでを行うなどをしていた。

またそれに伴い西アフリカの拠点の現地スタッフとガンガンコミュニケーションを取って一緒に営業を行う必要があったので、入社時よりもかなりスピーキング能力が付いたと感じている。留学しているときよりも今の方がよっぽどマシな英語を話せるようになった。性格もキツくなった。

辞めるに至る経緯

さて、本題である私が会社を辞める経緯についてだが、大きく5点に分けて記載してみようと思う。

①業務量の多さ


退社する1年前、新規事業を取ってきた国内営業が、経験のない全く関係のない部署の私に業務をすべて丸投げするという出来事が起きた。営業担当者はその業務に10年以上前に経験があったらしいが、私の上司ではないため直接教えを乞うことはもちろんできず、また何も下準備が無い状態で業務だけ投げられてしまったため、手元にあるのはまっさらなエクセルシートのみという状況で業務が始まった。もちろんスムーズに業務が進むはずもなく、9:00出勤、終電帰宅という生活が3か月程度続いた。その際に元々怪しかった不眠症の症状が爆発。睡眠外来に通いながらなんとか業務をマニュアル化し、他人に引き継げる程度のものにする。

②後輩からのストレス


上記の業務は入社してきた新入社員に将来的は引き継いでもらう必要があったため、マニュアル化を進めると同時に後輩に業務についてレクチャーを行う。ただ、その後輩は残念ながら要領が良いタイプではなく、まず1か月間タイピングの練習をさせるところから業務が始まる。やっとタイピングができたころには、取引先にメール1本打つにも、貿易書類を作成させるにも、半年近くすべての業務のダブルチェックを行うこととなる。ダブルチェックなしでやっと業務が遂行できるレベルになったかな、と感じ上司に許可をとりダブルチェック体制を無くした瞬間1000万の誤発注を起こしたりと、色々なしりぬぐいで更に不眠が悪化する。

③上司との決裂


後輩からのストレスがあまりにもひどいため上司に相談をし、OJTを外してもらう。数か月間は業務に平穏が訪れたものの、会社が「海外展示会に初めて出店し、ブース内で調理をするぞ^^」と展示会の2か月前(年末年始休暇を除くと1.5か月前)に言いだし、その申請、許可、配送、デザイン、現地のアルバイトの採用に至るまでを全て担当することとなる。もちろん社内に経験者などいないため、またまっさらなエクセルシートから業務が始まり、終電生活が再来する。そんな私に対し上司が「そんなに忙しいなら他人に仕事を振ればいい」という旨を私に伝えてきて、「例の後輩と死にそうな同期と上司しかいない状況で、どこに仕事を振るんだ?もともとはあなたが私に振ってきた仕事なのに?」という旨で口論となり、お互い2~3か月程度信頼を失う。

④ストックオプションに対する不信


私は入社時に会社からストックオプションを提示された。それが付与されるまでになんと3年かかり、どうやら中途で入ってきた方たちは未経験なのに私たちよりも100万円以上高い年収と、同様にストックオプションを貰っているようだった。
それまでは「この会社が上場したらSOでかなりの金額を貰えるから」という心のよりどころがあり、ボーナスが2年以上もらえていなくても何とか平穏を保ててきた。しかし入社から3年。今だに完成しないサービスを口八丁手八丁で販売し、「システムを導入します」と顧客に説明して契約を取ったと思えば、システム=脱北者(マニュアル)だったりと、残念なことに上場する希望を個人的には失ってしまった。

ストックオプションや経験を積めることを餌に給料以上の労働を強いること、これはあれじゃないか?私が面接のときに嫌いと言い放った「搾取」ってやつではないか?と気づき、Googleで「退職届 テンプレ」と検索するに至った。

退職届を書いているとき、「プリキュア5、スマイルgo go!」をBGMにすると元気が出るのでお勧めです。

⑤結婚する

上記の理由に併せ、結婚を機に彼氏のいる大阪に引っ越すことにした。
会社には「結婚するので会社を辞めます」と穏便にお伝えしている。

今後どうすんの?

晴れて5月末より無職の身となった私は、絶賛実家で夏の北海道を満喫している。山に行ったり、湖に行ったり、ランニングをしたり、猫を触れ合ったりとつかの間の休息を全力で楽しんでいる。

雌阿寒岳山頂にて
野幌森林公園の天国みたいな場所
民宿で当たり前のようにミーティングに参加する猫

3年間いた職場には辞めるほどの理由はあったものの、かなり感謝をしている。経験のない人間を即戦力として使い、業務を完遂するか会社を辞めるかという逃げ道のない状況で仕事ができたため、ホワイト企業で働いている同期の話を聞いていると「私も3年就職が遅れたけど、もしかしかたら業務レベルは見劣りしないかもな」と思えるほどには社会で戦える能力が付いたと思う。

そういった背景もあり、現在9月からの業務再開に向けて面接を受けているが、「あれだけの環境で3年間も生き抜いてきたのだから、就職できないことはないだろう」という自負が、焦燥感なく夏の北海道を満喫できる状況にしているのだと思う。

今この記事を見てくれいる方か、将来「仕事辞めようかな」と考えている私がこの記事をきっかけに仕事を止めるか居残るかの良い判断を下せるひとつのきかっけになれることを祈っている。

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