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とーます模話のこざこざシリーズ 16「こっちががまんしてるのにおまえはなんだ!①」

自分と向き合うことはたいへん難しく、
向き合っているつもりになっているだけで、
実は逃げていた、すり替えていたということは
あまりにも多い。

しかし、現実で直面する生きづらさは、
そんなにすぐに変わるものではなく、
地道に気長に自分を育てるプロセスが続く。


日常で、自分に起こる感情を、
それに乗っ取られず、なおかつ感じきるまで感じて、
かつ、観察し、自分の内面に何が起こっているのか…
何を感じていて、それはどこにつながっているのか…
感じ取ろうとしてみた。

【ある日の観察1】
DAISOのお菓子コーナーでお母さんと一緒に買い物に来ていた女の子が…パンチで孔をあけてつりさげてあるお菓子コーナーでいたずらしていた。

手前に出ていたお菓子を4列分を奥まで押し込んでいた。

大したいたずらではないが、私の内面ではさざ波が立ち、いなくなった後に、すべてを元に戻すという、しなくてもいい〈正しいよいこと〉をしたのだった。

もちろん、ここでいう〈正しいよいこと〉とは、見方によればであって、正しさでいえばそこまで世の中的には役に立たない正しさでもあった。

女の子に私が注意することもしない。
店員はもちろん注意することもしないどころか、
見ても気にすらしないであろう。


私の内面の感情をみてみよう。
何が起こったか…。

第4チャクラにあらわれている歪んだ不快感を第3チャクラで翻訳されていたであろう思い癖をなるべく客観的にみながら、第2チャクラでわき起こる感情にフォーカスしてみた。

そのとき起こっていた第一次的な感情をいくつか読み取ってみた。

それは以下のような子どもの感情だった。


「あの女の子はおかあさんに注意されない。ずるい」
「くやしい。あの女の子は叱られないのは腹が立つ」
「あの女の子は人に迷惑かけて何も言われなくて悔しい」
「なんでおれだけ怒られたのか」
「女の子を罰しないのは腹が立つ」
「自分は隠したのにあの女の子は罪の意識もないし自分のままでいる。なんてずるいんだろう。おれはそんな人間じゃない。正しくて(親から)ほめられるのが当然な良い人間だ」
「納得できない。ずるい。不公平」

…自分ながら疲れてきたので、その辺でやめて女の子を見てみる。
入り口にまだいた。
なんの罪悪感も感じてない素直でかわいい表情。
おかあさんといることがたのしそうに映る。

ほぼ自分にはさっきの怒りはなくなっていて…その子のことも意識から弱い印象にかわっていった。
そして、この文を書く以外に思い出すこともなくなった。


自分が親からどう思われていてどう思われなくなかったのか、
どう思われたかったかなどがなんとなくわかった気がする。

やれやれ、60歳をこえてまで、こんな感情を放置していたとは、
それでも今よりは、生きやすくなるように…自分を観察してみたい。