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本を読むときのムード

読書が苦手なんだけど、どうすればちゃんとした本を読めるようになる?
と、たまに相談される。

ちゃんとした本って何だろう?
と思いながら
自分が読みやすかったものや、その人が好きそうなものを勧めてみる。

出版社から刊行されていて「ちゃんとしてない本」に私は一冊も出会ったことがないので、
小説でも、エッセイでも、詩集でも、漫画でも、新書でも
ジャンルを絞らずに、自分が読んだことあるものを勧めることにしている。

でもそういう勧め方をしたとき、
大抵の人は、購入(借りる)まではするけど、最後まで読まないんだろうなあ、とも思う。

だから、自分が良い本に出会った瞬間について考えてみた。
そうして、良い本に巡り合うには
「どうして読もうとしたのか」と「どう読むか」が重要なのでは、という考えに至った。

「どうして読もうとしたのか」

その本を読み始めるきっかけってなんだっけ。

自分の部屋の本棚を見つめていると、一つ一つの本を手に取ったきっかけを鮮明に思い出せる。

国内の一般的な本屋で購入できる本というだけで、もう信じられないほど莫大な冊数がある。
そこから、ある一冊を選んで、読む。
その選択には、何かしらの理由があるはず。それをあえて意識してみる。

本のタイトルに惹かれたから。
装丁に惹かれたから。
好きな著者の本だから。
好きな人が勧めてくれた本だから。
映画版が面白かったから。

理由はなんでも良い。
選ぶ理由を少し頭で意識するだけで、その本への愛着は変わってくる。

恥ずかしながら私は、「自分が選んだ」という行為を経て出会った本の方が、前のめりになって読む傾向がある。

本屋に行って、本棚の周りをぐるぐる歩き、好きな著者の並んでる棚を眺めた後、タイトルが気になったものを手に取ってみる。
今の自分が欲してるかどうか、お財布と相談してレジへ持っていくかを決める。
レジへ並んでいるときにはもうすでにワクワクしていたりする。

同じように、本屋で楽しそうに本を眺めている人たちはみんな自分なりの本の選び方を持っている人たちだろう。
本屋でいい顔をしてる人とすれ違うと、嬉しくて私もニヤニヤしてしまう。
もしかしたら気持ち悪がられているかもしれない。

オンラインも便利でいいけど、特別な出会いはどうしたって書店にある。
無くならないで欲しいな、読む理由が見つかる場所。

「どう読むか」

本の価値を決めるのは読者個人だと思う。

昔、私が大好きな著者の本を友達に貸したら
「あんまおもろなかったわ」と言いながら返されたことがある。
なんじゃおりゃ、と憤慨して、手近にあったライターでも投げてやろうかと思ったけれど、
友達は細かく感想を聞かせてくれたので、なんとか思いとどまった。

私が面白いと思ったものを、面白いと思わない人もいる。
しかもちゃんと面白くないと思う理由があった。なるほど。
ちょっと考えてみれば当たり前のことを、このとき初めて頭と身体で理解した。

読書は自分1人の中で完結させることができるものだ。
だからこそ
どう読むか
で読書はさらに面白くなるはず。

下の文は、又吉直樹さんの『夜を乗り越える』(小学館よしもと新書)に書いてあったこと。
自分が思っていたことがあまりに的確に言語化されていたので、引用してみる。

感覚の確認と発見の両方があり、それがせめぎ合っている本が僕は好きです。読者である僕達がそれを意識して楽しもうと思うことによって、読書はさらにおもしろいものになってゆくと思います。(P119)

これを読んだときに、
共感が読書の面白いところであるのは間違い無いけど、自分になかった新しい感覚を発見していくのも別の面白さだ
と改めて確かめることができた。

だから私は、
どう面白く読んでやろうかなあ、という気持ちで本を開いてみる。
すると、思いもよらない面白いものが次々に飛び込んでくる。
知らなかった世界が見えると、脳がクルッとまわって喜ぶ感じがする。

その読み方に変えてから、面白さの違いはあれど、全然面白くない!と思う本はなくなった。

どうやら私にとっては
面白い=共感
では無かったらしい。

そして再読するたびに違う良さが見えてくるようにもなった。二度も三度もおいしい。

まずは、新しく本を読み始めるとき、
どう面白がってやろうかなあ、と舌舐めずりしてみてほしい。
自ずと知らない場所へ連れて行ってくれるはず。

長々と。
読んでくれてありがとうございます。

涼しくなってきました。
各々の読書の秋を
楽しんでいきましょう。

渡部有希

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途中で引用した、又吉さんの『夜を乗り越える』とてもおすすめです。

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