ただの街(女子をこじらせて・東京に生きる/雨宮まみ)

大学受験のために上京して一人で泊まったホテルでペイチャンネルを見漁り、アダルト雑誌の編集を経てフリーのAVライターになった著者の自伝的エッセイ、2冊。

『女子をこじらせて』
この作品から、2014年の流行語にノミネートされた「こじらせ女子」という言葉は生まれたらしい。

スクールカーストに起因する自己肯定感の低さ。「女なのにエロをやっている変わった人」として扱われる以上、そこに特別な動機を求められる不自由。「しょせん女が書くエロってこんなもの」「だから女にエロはわからない」と「女」が馬鹿にされ、自分が小さな失態を演じるごとに、他の女性の努力を無にしてしまうプレッシャー。それでも、外から見れば「女を利用してトクをしている女」に見える自分への嫌悪。
これらに雁字搦めになった挙句、連載を放棄して地元に帰り、本当に書きたいものを自由に書けるようになるまでの道が事細かに綴られていた。ポップなタイトルと装丁に反して、とても、とても重かった。何よりも「女はこうでなくてはならない」という著者の思い込みの強さに愕然とした。

私は中高が女子校だったので、異性の目というフィルターを通したスクールカーストはなかった。また、友達は少なかったが成績はよかったので、絶望的につまらない学生生活の中でも、どうにか自己肯定感を保って生きていられたのだと思う。
女子校のメリットなど恋愛を忘れて勉学に集中できるという一点しかないと思っていたが、振り返れば、あの空間にいることで良くも悪くも「女だから」という視点を忘れさせられていたのだなと気づいた。
共学で、異性の目を気にして、より色濃いスクールカーストの下に置かれていたとしたら。
「あなたの顔立ちは綺麗だし、自分を卑下しすぎだよ」などとは思えなかったのかも知れない。


『東京を生きる』
フリーのライターとして、東京の高い家賃を払いながら生活し、時にブランド物を買えるほどの収入を得る。それがどれだけ難しいことか知っている人ならば、その事実だけで自分を肯定できるのではないか、と思っていた。
けれど、足りなかったらしい。この一冊の文章から彼女がすり減っていることが手にとるように分かり、読んでいてしんどくなった。

「女だから」というのと同じくらい、著者は「地元を捨てて出てきてしまったから」「東京だから」という思想に取り憑かれているように思った。
東京はただの街で、故郷もまた、ただの街だ。
それでも彼女にとっては、「東京で生きる」ではなく「東京を生きる」と題するほどに、東京は場所ではなく目的だったのだろう。
これを書いた翌年に彼女が亡くなったのは、目的を果たしてしまったからだろうか?そう思わずにはいられなかった。

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