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悲しみに続編は存在しない(紙の民/サルバドール・プラセンシア)

メキシコで幸せな結婚生活を送っていた主人公、フェデリコ・デ・ラ・フェはある日突然妻に出ていかれ、娘と二人でエルモンテという町に移住する。その間ずっと「何者かに見られているような感じ」を覚え、その正体が土星であることに気づき、エルモンテのギャングEMFのメンバーと共に対土星戦争を始める、という物語。

この設定だけでもだいぶぶっ飛んでいるが、加えてシュールな登場人物(紙でできた女性や、予言者の赤ちゃん「ベビー・ノストラダムス」)が出てきたり、本の構成が急に3段組になったり、横書きになったり、巨大な黒い●で文字が隠されたりと、遊び心にあふれた1冊だった。

この作品における土星は惑星ではなく、”小説を書いた作者自身”の暗喩である。(暗喩といいつつも、土星=作者であるとはっきり書かれている)
人々が「土星に全ての行動を監視され、会話を聞かれている!」と憤慨し、壮大な戦争を仕掛ける物語…つまり作者は、物語の全てを操る自分に対して登場人物が怒っていると妄想し、それをそのまま書いた、ということになる。
クスリでもやってるんだろうか?と疑ってしまうほど突飛な発想だ。

登場人物がわりと多いので、カタカナの名前を覚えるのが苦手な私は相関図を書きながら読んだが、基本的にはそれぞれがそれぞれの物語を展開していくだけなので何の意味もなかった。笑
題材がシュールすぎて深読みしようと思えばいくらでもできてしまうが、あまり深いことを考えずに楽しむのが正解だと思う。

そんなぶっ飛んだ物語の締めくくりの文章が、

悲しみに続編は存在しないのである。

ちょっと素敵すぎやしないだろうか。

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