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私の中に眠るメンヘラ(明け方の若者たち/カツセマサヒコ)

某印刷会社に勤める友人から「辞めた先輩で面白い人がいて」とカツセ氏のツイッターを教えてもらい、それからずっとフォローしている。
140字を読むだけで彼が「面倒くさそうなメンヘラ」であることはよく分かる。それでも彼が多くの人に支持されている理由は、どんな戯言もアートに昇華し得るワードセンスを持ち合わせているからだと思う。

そんなカツセ氏が初めて書いた小説が『明け方の若者たち』。
希望の企業に内定をもらった人だけが集う「勝ち組飲み会」で出会った彼女に恋をして、会社では希望の部署に配属されず「こんなはずじゃなかった」と日々を過ごし、それでも夜の公園で彼女と親友と缶チューハイを飲む時間はかけがえのないものだった、という。乱暴に説明すれば、ただそれだけの物語だ。

帯にはこう書かれている。
「それでも、振り返れば全てが美しい。
人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。」

結婚をすれば飲み会は減るし、子供ができる頃にはローンや保険で苦しいし、子育てが終わったと思ったら親の介護で、全部終わる頃には自分の体力がない。時間とお金が自由に使えた唯一の期間、社会人2〜3年目のあの頃は、人生のマジックアワーだったのだと。

カツセ氏のパーソナリティーが全面的に反映された主人公は、人生における「彼女」の比重が大きすぎて、自我があまりにも強大で、手放しで共感できる存在では決してない。
それでも、平日の夜に飲み始めて気づいたら朝で、体を引きずるように出社した社会人2年目の一日が私にもあった。
スマホのアラームを止める瞬間に、返信がきていないことを確認して絶望した朝があったし、「沈黙は金」とわかっていながら、信じられないほど愚かな行動を取ってしまったこともあった。
主人公を肯定することはできなくても、一部分をじっと見つめれば、そこには昔の自分がいた。

過ぎていった日常を美化することは容易い。
なんやかんやあの頃は青春だったよねーと、年齢や社会的ステータスで括ってしまうことはもっと容易い。
だからこそカツセ氏のセンスで、美化できない物語を描いてほしいと思った。そこにも、自分の姿が見えるような予感がしている。

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