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【自分は“どう在りたいのか”その答えを見つける為スペインへ】

強豪関西学院大学サッカー部で、自分のポジション、役割を掴みかけていた。ミーティングでは常に中心となり、1年時には育成カテゴリーでの「日本一」をも経験している。

しかし、途中退部した。自分にはチームの中で重要な役割を任されていた。しかし、それだけではいけなかった。このままこの環境にいると「自分自身が衰退していく」のが目に見えていた。

だから、周囲の反対を押し切ってスペインへ行った。

今回は、先日取材させていただいたsunnyさんが『FC pSols』でサポートする太田潤選手(21)に取材させて頂きました。

【周りが気付かせてくれた自分だけの武器】

ーーさっそくですが、スペインに行った経緯を書かれたnoteを拝見させて頂きました。その中でも「ナショナルトレセン等の選抜にも選出され、岐阜県のサッカー協会の人間であれば太田の名前を知らない人は居なかった。しかし、“何か”が足りなかった」というところが非常に印象に残っています。その“何か”とは具体的にどういう事でしょうか?

「この後の話にも繋がるんですけど、圧倒的な「武器」が無かったということです。つまりは相手から怖がられるようなプレーが出来なかったんです」

――相手に怖がられる「武器」ですか。

「そうです。当時の僕はというと攻撃全般の事はどれもこなせるレベルで、そういう器用さみたいなものを評価されていたと思うんですよ。ただそれは所詮岐阜県内での話で、もっと視野を広げ、いざ自分を客観視した時にそれ同様の評価はないなと感じました。改めて自分を自分で評価してみて、駄目だなと気付く事は出来たんですが、自分は何をどのようにアピールしていいかが分からなくなりました」

ーーなるほど。能力が均一的で秀でた武器が無かったという事ですね。では、その欠陥にいつ気付き始めて、克服する為にどのような取り組みをされたんですか?

「そこに気付く決定的なきっかけは、小学3年生の時に受けた名古屋グランパスのジュニアのセレクションです。最後の3人までは残ったのですが合格できず、これも小学校6年生の時に受けた福島アカデミーのセレクションにも補欠合格からの不合格で、その時に、『俺って最後の最後で駄目だな』と」

――ある程度の評価までは漕ぎ着けるけど、最後の決定打を打ち切れないという事ですね。

「そうなりますね。その後も中学になると、どんどん周りの選手たちの体が大きくなり、フィジカル的側面ではなかなか勝負できない時もあって。その時が一番『俺は何で勝負するんや』って考えました」

――考えた結果、結論は出たんですか?

「たぶん、やっていたポジションがボランチや二列目という事もあって、色んなプレーをこなせるようになったんだとは思うんですけど、けっきょく高校に入っても、『これだ』っていう自分の武器には気付けていなくて。それは自分が『思い描いていたプレイヤー像』と、周りから見られている『客観的な評価』とで、ズレがあったからだと思います」

――自分が「思い描いていたプレイヤー像」とは?

「昔から好きだった選手はバルセロナにいたシャビです。クレバーな判断と卓越された技術で相手に触れられずにゲームを作ってアシストしまくるみたいな感じですね」

――なるほど。では「客観的な評価」はどうだったんですか?

「前置きがあるんですけど、大学までサッカーをやっていると、周りのレベルも自然と上がってきて、最低限の事はそれなりに出来るような選手ばかりなんですよね。その中でシンプルに俺って皆より『長い距離蹴れるな』とか、ミドルシュートなどに関しても『パンチやばいね』ってよく言われる事があって、『自分の中で普通だと思ってた事が、特別な事』になっていた事に気付いたんです。というよりも周りが気付かせてくれたんですよね」

ーーなるほど。小学生中学生の時はまだまだ周囲とのレベルの差にもバラつきがあるから、比較しにくいが、段々と周囲のレベルも押し上げられてレベルの差が平均化される事によって、改めて自分の特別な部分に気付けたという事ですね。

ちなみに、過去のnoteを通して、他に挙げられる武器として「対人」と「球際の強さ」も挙げられていたんですが。これらのスキルはいつ頃から意識するようになったんですか?また意識し始めたキッカケなどはありましたか?

「そうですねー。もともと僕は守備が本当にダメで、中学までは守備しないキャラでした(笑)
中学の時はボランチで周りに指示を出し、自分はパスカットをするか、『ゴー』をかけて取り所を設定するくらいしかやってなくて、人からボールを奪ったり、特に球際に関しては皆無でした」 

――そこからどのように「守備」を武器だと言える状態に持っていかれたんですか?

「昔から守備は出来るようになりたいなとは思っていたんですけど、高校3年生の時にボランチからサイドバックにコンバートされて、その時に嫌でも守備に焦点を当てないといけなくなりました」

ーーあくまでも、「自ら新しい武器を獲得しよう」としたのではなく、「環境がそうさせた」という事でしょうか?

「そうですね。自分の中では味方と協力して奪ったり、自分がコース限定した後は守備が得意な味方に奪わせたりすればそれでいいかって言うスタンスでやってました。でも、そうはいかなくなったので」

【組織に所属するなかでの“個性”の出し方】

ーーなるほどですね。では少し角度を変えて。現在はコロナの影響でプレー出来ていないとは思うんですが、スペインでのプレーはいかがですか?「完全実力主義」スペインでのプレーという事もあり「実力をどのようにアピールするのか」という所が大事になってくると思います。太田選手の武器である「キック、対人、球際」をアピールする為に心掛けていることはありますか?

「スペインでも対人という部分は練習からすぐにアピールできるものでした。普段の練習から負けないという気持ちがあれば発揮できます。ただ、普段の練習では基本ハーフコートくらいの大きさでしかやらないので、自分のキックの部分だったり攻撃の部分をアピールする事は少し難しいなという印象です」

――どういう事ですか?

「攻撃の部分を『少ない機会』の中でアピールしようとすると、どうしても『ボールを持って何かしよう』と考えてしまって、なかなかうまくいかない。この試行錯誤の中で、キックを活かす為には極力ほかのプレーはシンプルにして、常にキックを活かせるシチュエーションでボールを受けようと意識し、少しずつ出来るようになりました。あとは、『チームのやり方に従いながら隙あらば自分の判断でアピールする』ですね」

――なるほど。組織のやり方に「迎合」しつつ隙あらば自分の個性を出すんですね。

「そうです。そこは難しいなと思っていて、実際にそのチームのプレー基準に沿わないようなプレーをしてしまうと評価は下がります。が、もし『自分の判断』でプレーし、そのプレーからチャンスに繋がったりすると、『それはれで評価される』のがサッカーなので。そこの兼ね合いを考えながらプレーしています」

――確かに難しいですね。それは決してサッカーだけではなく会社組織でも同じ事が言えると思います。会社の為の一ピースである限り、会社の方針に従うしかないのですが、自分が実現したい社会や自己像の為、自分の判断で業務を遂行する。その意思決定が功を奏す時もあれば、会社からこっ酷く怒られるという結末にも至る事もありますからね(笑)

「そうですよね。守備の部分でも練習でいきなりファールギリギリの際どいタックルをしたら、『何してんだよ』みたいなこと言われて(笑)舐められないという意味では良かったかもしれないですけど、いきなりだったからか、若干チームに馴染みにくい空気感は感じました(笑)」

「でも、それら一連の流れから思った事は、まずはチームに認められる事が優先なのかなという事です。その為にはチームが必要としている最低限のことをしっかりやって、その後に自分をアピールしていくのがいいのかなって思ってます。もともと自分は周りからの評価を積み重ねる練習を通して勝ち取るというか『分かってもらう』タイプだったので、『トライアウトという短期間』で自分をアピールしなければいけないという状況はまた新しく、勉強になりましたね」


組織に自分をどう当てはめるのか。サッカーとは11人で行うスポーツであり、組織があって初めて自分という選手が成り立たせる事が出来る。すなわち自分の事だけを考えてプレーするという事は不可能だという事であり、

そのなかで組織に「迎合」するのか。隙あらば自分の個性を出し、自分の「アイデンティティを守る」のか。一選手として生き残って行く為にはこのような判断が常に迫られる。よって、長いサッカーキャリアにおいて何度もプレースタイルに変化をもたらしてくる選手も多いという訳だ。

太田選手は、トライアウトの「限られた機会」の中でどうすればサッカー選手としての「存在価値」を出せるのか、答えを見つけつつあるのかも知れない。

【スペイン人と触れ合う事で感じる人間の多様さ】

ーーところで、大学を中退しスペインへ行かれた訳ですがスペインへ行く前と、行った後では太田選手の価値観にどのような変化がありますか?

「サッカーとは関係無いところで言うと、スペイン人は日本人よりも人との距離が近いなと思っていて、日本でいう知り合いがスペイン人からする友達くらいの距離感になってるんです。バスで自分より年上の方が乗ってきたら、スペイン人は躊躇せずに必ず席を譲ろうとするし、知らない人でも挨拶して会話しちゃう。そういうのを目の当たりにして、俺って意外と冷たかったんだなと思いました。もっとフランクに色んな人に親切にできたらいいなって」

「あと、やっぱり日本にいる時はどうしても話し相手が基本的に日本人なので、共通理解というか、日本人としての常識的なものが今までの生活や教育からあると思うんですよ。なので無意識のうちに『分かってくれている』前提で話している自分がいたことに気がつきました。
スペインでは『分からない』からスタートするので、より相手を理解しようとするし、『違って当たり前』だし、分からなくてもそれを否定しないです。僕は今まであまり他人に興味が無かったし、自分を理解できない人とはあまり接してこなかったんですが、こっちに来てからは、そういった人達とも会話をするようになりました」
「サッカー面だと、今までは部活で同じような年代の人達としかプレーしてこなかったんですが、スペインに行ってからは幅広い年代の人達ともプレーしたので、プレーの幅が広がりました。やっぱりベテランは経験値がはるかに高いから局面局面での戦い方を知ってるし、冷静なんですよ。逆に自分より若い人たちは勢いがあって、まだ状況判断的なところは独りよがりな部分があるけど、そこが良かったりして、『多様性』がめちゃくちゃあるなって思いましたね」

ーーなるほど。では最後に「フットボーラー・太田潤」、「人間・太田潤」としてどのようになっていきたいかをそれぞれでお聞かせください。
「フットボーラーとして、誰かを熱くさせ、応援したくなるような選手になりたいと思っています。人間としては、俺の挑戦を見る事により他の誰かが自分も何かに挑戦してみようと思ってもらえる事をし続けたいし、自分でも『格好いい』と思える生き方をしたいですね」

インタビューを通して、サッカー云々もそうなのだが、一人の人間として自分はどう在りたいのかというテーマを考え続ける太田選手が浮かび上がってきた。

僕のこの仮説が正しいかは分からないが、最後の「自分でも格好いいと思える生き方をしたい」という事はそういう意味ではないだろうか。

サッカーの結果だけではなく、生きる姿勢を通して勇気を与えたいと願う太田選手のこのインタビューを通し、皆さんも是非考えて頂きたい。

自分は「どう生きるのか」を。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

太田選手のTwitterhttps://twitter.com/jun_ohta1014?s=09
太田選手をサポートする【FC pSols】https://fcpstore.thebase.in/