夢を口にしてみて

先月、姉に第二子となる女の子が生まれて、今日の休みにようやく会いに行くことが出来た。

うちから約40kmのところにある姉夫婦の住まい。車を飛ばして下道で1時間半という絶妙な遠さだが、2歳になる甥っ子に定期的に会いたいという純粋な気持ちと、よくフィクションの中でみる親とは違った視点で助けてくれる大好きな叔父さんというポジションを獲得したいという邪心から、ちょくちょく通っている。

生後1ヶ月の姪っ子は、こんなに赤ちゃんってふにゃふにゃして小さかったっけ、と思うほどに小さくて、可愛かった。そして2年前にほぼ同じ姿をしていたことを忘れてしまうくらいに成長した甥っ子。絶賛イヤイヤ期の真っ只中とのことらしいが、なるほどたしかに、以前のようにこちらがコントロールして遊んであげるという方法は通用しなくなり、俺のやり方にあんたも付き合え、と言わんばかりのマイワールドを展開するようになっていた。頼もしい限りだ。

姉とは、無限の可能性を秘めた彼らがどのような人間になっていくのか楽しみだね、なんて話をしている。なんの責任もない、たまに来て可愛がるだけの叔父という高みの見物をしている僕と違い、母親という彼らの人生に多大な影響を良くも悪くも及ぼすであろう立場にある姉は、自分の幼少期と比較してどういう風に育てたいか、いろいろ思うところがあるそうだ。

そんな教育論などを話してた際に話題になったのが、自己肯定感の高め方だ。先日、姉は夫である義兄に、「君たちきょうだいは自己肯定感が低いよね」と言われたそうだ。自覚がなかったわけではないが、他人から言われたという事実がずっしりとした重みがある。

「うちのお母さんってさ、全然こどものこと褒めない人だったじゃん。」
確かに、うちの母は、わりと厳しい人だった。手前味噌でなんだが、僕も姉も、かなり優秀な部類に入る子どもだったと思う。小学校までテストで90点以下を取ったことなどほとんどなかったし、非行などをして学校から呼び出されることもなかった。学習塾などもほとんど通わず、進学校と呼ばれる中高に通い、国立大に合格した。反抗期らしい反抗期もなく、びっくりするくらい聞き分けの良い子どもたちだったと思う。

でも、母にはそれらについて大袈裟に褒められたことはない。うまくいった時に「良かったね」「おめでとう」くらいのことはもちろん言ってもらえてたと思うが、僕らきょうだいがそれ以上に覚えているのは、85点を持って帰ったときの「なんで間違えたの」や、水泳の大会でベストが更新できなかったときの、「なんでもう一踏ん張りできなかったの」なのだ。

母を決して責めたてたい訳ではない。僕は母のことが大好きだし、多少の紆余曲折はありながらもここまで生きてこられたのは大方母のおかげだと思っている。僕らきょうだいが、半分面白がってこういった幼少期のエピソードを話すと母は本気でバッドモードに入るので、最近は冗談でもこういった恨み節を言わないようにしている。

だけど、幼少期に適切に高められなかった自己肯定感の低さが、自分を苦しめている部分があるのも事実。とれた85点より、落とした15点を気にする性格。ていうか、そもそも85点を自己採点で付けないところ。100点じゃなけりゃ、人に披露するに値しないと思っちゃったり。

僕は批評性の高さとは裏腹に、根気のなさや諦めの良さがかえって功を奏したのか、妥協を許さない完璧主義者とは違った人間になった。だけど、高得点を取れない自分はダメな人間なんだと、卑屈になったり自虐に走ったりする癖は、すごくあると思う。

幼少期に養われてしまった自己肯定感の低さを変えるのって、すごく難しい。三つ子の魂100までなんて言うから、根本的には変えられないのかもしれない。

だけど、僕は僕を抜け出したい。やりたいことがあるのに、「どうせ自分なんかには無理だ」と決めつけてチャレンジしない自分を。考えるより先にまず行動してみる人、大きな夢を口にする人を、安全圏から眺めて、失敗したところを見て、「ほれみたことか」と安心する自分を。

まずは、できなかったことより、これまでやれてきたことを認めてあげようと思う。心からやりたいことじゃなくても、周りの期待に応えるため、真面目に積み重ねてきた幼少期。親元を離れて、はじめて自分の居場所を見つけられた大学時代。レールから外れて、自分の心にしたがって選択をした転職。きちんと積み上げてきた実績があるじゃない。

失敗したって、それをしつこく笑うほど、周囲は自分に興味ない。そう思えば、無謀だったり、行き当たりばったりな挑戦をしたいと思う自分の背中を押してあげられるのかもしれない。そんな風に思えたのは、なんだか最近ずっと心がザワザワしてるから。

実現させるには困難なこと、思いつきのちょっとしたやってみたいこと、今までは人にどう思われるか、笑われるんじゃないかって口に出来なかったことを少し人に話してみたら、それを実現させるためのヒントをくれたり、いいじゃん!って言ってくれたりした。

結局行動するかどうかは自分次第なんだけど、大きな夢も小さな夢も、口にしてこなかった理由ってなんだったんだろう。確かに、不言実行ってかっこいいけど、流されやすい、意思が弱い僕にはそのやり方は向いてなさそう。思いつきでもいいから、自分の希望を口にして、種を植えてみるのがスタートラインかもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?