「時空を超えて出会う魂の旅」特別編~印度支那⑨~
東南アジアのある地。
出家を経て、戒名「慧光」を私は授けられる。
仏縁により、故郷より遠方にある大寺院に導かれ、
”巨大寺院”への推挙を受ける。
歩むことすらできず、慧光は大地に崩れ落ちていた。
いつの間にか、懇意の尊師の目の前にいた。
慈愛に満ちた瞳をむけながら、尊師は口を開いた。
「慧光殿。なぜ、この寺院におられるのか。」
「はい、尊師様。仏の導きにより、光となるためです。」
「明晰な答えよの。
今般、貴殿が巨大寺院に推挙されることこそ、仏の導きぞ。
そなたは、より広きを照らす光となるのだ。」
「尊師様。我は業の深い人間です。このような我がなぜ。
我さえいなければ、生きていなければ、
愛する者たちを苦しめることはないでしょうに。」
その刹那、尊師は鋭い眼を慧光に向け、その言葉を反芻して問うた。
「慧光殿。仏の道に、貴殿は一心に生きているのか?」
「はい、いかにも。」
「そうであろうな。私が貴殿に問うまでもないことだ。
しかしながら、貴殿は、自らの魂には問うべきだ。
『仏の道に、自らは一心に生きているのか?』と。」
長男として生まれた我は、家督を継ぐことは、選ばなかった。
魂の望むまま、仏の教えを守り、生きる道を選んだ。
今も一心に・・・・・・・。
”慧光よ。なぜ、盗んでおるのだ?
仏の道を、何と心得ていることか。”
・・・・・・・!!!
何と恐れ多い、貴方様が直々、おいで下さるとは。
とんでもございません、我は盗みなど・・・。
”盗んでいるのだぞ、わかっておらぬ様子だな。
愛する者達から、盗んでおるではないか。”
なんと、愛する者達から・・・。
我は、皆に愛をもって接してきました。
与えることはあっても、盗みをした覚えは全くありません。
一体、何を盗んでおりますのでしょう。
”そなたは。
そなたの愛する人の人生を、盗んでおるぞ。”
人生を、ですか・・・!
”この世の遍く魂には、辿る生がある。
そなたの母は、そなたを身籠り、寿命を全うする人生。
そなたの父は、そなたの母を亡くし、継母を娶る人生。
剛充は、父母から疎まれる人生。
蓮花は、そなたを慕うが、結ばれることは叶わない人生。
茉莉は、元下男と結婚する人生。
全ての人生は、円である。
全てを満つ、完璧な取り計らいであるぞ。
何人もその生に正誤や善悪、苦楽の別を挟む、盗みをしてはならぬ。”
ああ、何ということを、我は・・・。
己を戒め、精進いたします。
”そなたは、なぜ殺しておるのだ、慧光よ。”
この我が、殺生を・・・!?
僭越ながら、
我は命を奪うようなことをした覚えは、全くございません。
”そうか。近すぎて遠きものに、気づいておらぬようだな。
確かにそなたは、身の回りの命を生かしてはいる。
その命を奪ったことも、無い。
しかし、自らの命は、どうだ?”
我が命を、ですか?!
”そなたは、自らの命を生かしておるか。
その命を損ね、奪ったことは無いと。
さあ、どうだ、慧光。省みよ”
・・・・・・・・・・。
”円の人生にある自らを、蔑み。その肉体をも、蔑み。
これこそ、殺生そのもの。何と道外れたことを。”
誠にその通りでございます。
我は、我が命を、殺しておりました。
”慧光、己が歩むべきところを、歩め。”
はい。
確と、心得ます。
優しい満月の光に。
慧光は、我に戻った。
この世は全ては、円である。
我も、円である。