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ゼッケン

 ゼッケンがいちばん似合うのは、身長三十センチほどの小人である。深夜の公園、滑り台でふたりの小人がよく遊んでいる。滑り台のそばには背の高い照明が伸びていて、その灯りが、かれらがふたりの小人であることを強く主張するのだ。お揃いの真っ白い体操服と紺色のショートパンがよく似合う。かれらは運動会の練習をする小学生ではない。どこからどう見ても彼らは身長三十センチの小人なのである。
 ふたりの背中には⑪番と⑫番のゼッケンがついている。ゆえに便宜的にかれらを⑪番あるいは⑫番と呼ぶことにする。⑪番と⑫番は基本的には仲良しなのだが、実は互いに相手に対する不満がある。不満を相手にぶつけることなくなんとか仲良くして過ごしてきたが、近ごろ、それぞれ我慢ができなくなってしまった。
 ⑪番の説教が始まった。⑪番は⑫番の在り方にとうとう我慢できなくなってしまったようだ。⑫番は⑪番の言葉を珍しいもので見つけたばかりの三歳児のように嬉しそうに両手をぴしゃぴしゃ打ちながら聴いている。
「⑫番はいつも身勝手でひととしてあたりまえにするべきことにはほとんど関心がない。社会の一員として自分に出来ることはないのかを模索することもない。いつも花びらの数を数えたり、通り過ぎるひとたちの靴の色を確かめたりするのに夢中だ。それでいて酒を飲むと死刑制度には反対であるとか、デモクラシーに完成形はないだとか、宗教という言葉の本当の意味を人間は知らないなどと口走るのだ。⑫番の話を聞いてやれるのは同じ小人の僕だけなのに。つまり⑫番は世間を支配する暗黙のきまりを一切無視して、やりたい放題好きなことばかりやっている。同じ小人として恥ずかしいよ。⑫番は借りたものは借りっぱなし、プレゼントされてもまったくお返しをしない、誕生日に「誕生日おめでとう」と手紙を出しても、返事はない。⑫番はいつもごろごろ寝てばかりだが、最近は妙な本に入れ込んで僕が貸してあげた素敵な本には眼を通してもくれない。結果、⑫番のともだちはみな離れ、きみはいつもひとりぼっちだ。だから僕があれこれ気にかけて僕なりの知性と教養を働かせ、⑫番のために⑫番が好きそうな人形や楽器を熱心に選び、⑫番にたくさん送ってあげているのに、ありがとうの一言もない。⑫番はすぐに恩を忘れてしまうのだ。⑫番は実にダメな小人だ。」
 ⑪番の説教が終わると⑫番は首を左右に振り、両方の耳に右と左の人差し指を突っ込んで耳垢を確かめ、それから唐突に話し始めた。人差し指を空中で振ると⑫番の耳垢はさくらの花びらみたいに優雅に落下する。
「プレゼントされたお返しをしないのは、プレゼントされたことを忘れちゃうから。借りたものを返せないのは借りたものと最初から自分が持っているものの区別がつかなくなっちゃうから。本や人形や楽器をたくさん贈ってもらってもわたしにはわたしが好きな本や人形や楽器がたくさんあるから。だから⑪番から送ってもらったもので遊ぶ時間がないの。自分の誕生日もどうでもいいのに、他人の誕生日なんていちいち覚えていないわ。⑪番がわたしをダメな小人というのなら、その通りなんだと思う。百万回叫んであげてもいい、わたしはダメな小人です。百万回叫んだら喉の奥が切れるから現実的にはせいぜい三回、わたしはダメな小人です。わたしはダメな小人です。わたしはダメな小人です。でもわたしは死刑制度にはどちらかといえば、反対だし、先日はアメリカの新聞がラディカルデモクラシーという言葉を使っているのを見たの。ラディカルデモクラシーとか聞いちゃうと、はて、それはいったい何なのかしら。最低でも3時間はそれについて調べたり考えたりできる。あと何だっけ?宗教?この世界で金を稼いでいるのはほとんど宗教屋さんよ。神についてなんらかの思惑を持った人間は、その思想を大げさにふくらませ、荒稼ぎしようと企んで他者の魂と懐を狙うの。本物の宗教はいつだって自分の言葉の中に隠れてる。誰かに頼ったり誰かの言葉をそらんじているうちは本物の宗教にはたどりつけない。たどりつく必要もない。でも厳然として本物の宗教は個人の言葉の中に隠れている、誰かと共有することなんてできない、宗教は極端に個人的な体験でそれ以上でもそれ以下でもないの。同時にその個人的体験は人間の魂にとって、とても重要な事実になる場合があると私はずっと考えているの」
「だからさ、⑫番。そういう話をするより前に、きみは朝起きたら布団を干して、部屋を新鮮な空気で満たし、ラジオ体操をしてから朝食の準備にとりかかるべきなんだ。食器を洗い、洗濯をする。窓の外にはもしかしたら富士山だって見えるかもしれない。それからきみは僕が今まできみにしてきてあげたことに対して最低限の感謝をするべきなんだ。僕だけじゃない、今までとことん身勝手なきみに関わってきてくれたすべての心優しいひとたちに対して、いちいちお礼の手紙を書いてもよさそうなものだ」
「そんなことしないわ。そんなことするヒマがあるならわたしは一冊でもよけいに本を読むの。疲れたら頭の中をエッチなことでいっぱいにして、木陰のベッドでそのあたりの男が寄ってくるのを待つわ」
「前から思っていたよ。⑫番。きみは今まで何かを後悔したり反省したりしたことはないの?よく言うでしょ、我が身を振り返り、反省し、同じ過ちを犯さないように努める云々」
「わたしはただの小人になるよりずっと前に二度と反省なんかしないと決めたの。今、天の月の誘惑に負けて⑪番、あなたの首をナイフでかき切ってしまったとしても、たぶんわたしは反省しない」
「どうしてそんなにどう猛になってしまうの?ただきみは本当は淋しいだけじゃないのかな?⑫番」
「もしわたしがただの小人じゃなくて、海に裸身を洗われるワカメの精であるのなら、ワカメの言葉でささやくわよ。わたしは淋しい。ワカメ語で淋しいってなんていったらいいの?⑪番」

ふたりのこびとはそのうちくたびれ果ててすべり台のてっぺんで互いに背中を寄せ合って眠ってしまったので、背中の⑪番のゼッケンと⑫番のゼッケンは見えなくなった。公園の灯りの下にゼッケンのないふたりのこびとの頭が並んでいる。ふたりは埴輪のようである、こけしのようである。ずっとそうしたいのをこらえていたわたしはどうにもこうにも我慢ができなくなってこびとの頭に手を伸ばす。わたしの指先がこびとの硬い頭に触れたそのとき、わたしは全身で世界の音を聴いた。世界は心臓と同じリズムを繰り返している。やがてわたしは世界の音と自分の心臓の音との区別がつかなくなった。わたしの頬を涙が伝う。流れ星のように牧歌的な涙を舐めたい、わたしは自分の頬に舌を伸ばそうとするが、ごく一般的なわたしの舌はどれだけ強く伸ばしても頬の涙にはたどりつけそうにない。

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