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Tips.(3)

前回のあらすじ。

久々に現れたアリサはとても格好良くなっていると「私」は思ったが、周囲からはそれで男を召し取った泥棒猫のようなレッテルを貼られていた。飄々としながら罵倒を躱し、一人飲みをしているアリサと次のイベントの打ち合わせをする私たち。そんな時、食事をとっていたはずのアリサよりLINEが入っていた。

こっちからも。

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 アリサさんがすたすたと歩いていき、私が追いかけて行くのはほんの5分もしないうちに終わった。くるり、と振り向いて笑顔で私に手を振ったアリサさんは今、誰よりも悲しそうで、誰よりも美しかった。先ほど、三人の子供たちに囲まれながらも食事と酒を楽しんでいた人とは真反対の様を見せた彼女に愛おしささえ覚えるほどに、アリサさんは弱々しく感じていた。既にその両の手には、500ミリリットルのレモンサワーがある。
「寂しいものね」缶チューハイを手渡されると、アリサさんは私に口を開く。「ちょっとした過ちから人はみんな敵になって行くんだから」
 おしゃれな象徴の駅前のコンビニ。私たちはレモンサワーのプルタブを開けながら、会話する。
「ケイさんとの不倫のことですか?」
 訊くと、一度だけ首を縦に振った。
「私ね、あの時の自分は本当に彼に愛されたいがためにしか自分を存在させていなかったんだと思う。だから、彼に一方的な別れを告げられた時、全員が敵になってまるで私という存在が最初から無かった物にされていくのがとても辛かった。体中から魂が抜けていく感じっていうのかな。そこに自分がいるはずなのに、自分が居ない感覚になっちゃってね」
 ちくり、と私は胸が痛んだ。それはさっきまでの私だった。周囲のことよりも自分のことさえ変えられていない私にその言葉はクリティカルに響いてしまっていたのだ。
「だからね、あそこに居所のなさそうなあなたを見た時、なんだか懐かしくなっちゃったの。それに久しぶりの再会だし。あなたも居所が見つかれば、うんと輝く女性になれると思うよ」
 それなのに、そんなことを言われてしまって。私は思わず顔が赤くなるのを感じる。アリサさん、こんなに人の心に入るのが上手かったかな。そんなことを思いながら。おかしいな、シャンパンではそんなに酔わなかったのに。缶のレモンサワーは人の心をあけっぴろげにしてしまうのだろうか。
 おしゃれな駅のロータリーは人が出て行ったり、中に入ったり。いつまでもグダグダと居れば、サクラたちとばったりなんてことがある。だから、歩きましょうか。そう言われた時、横顔からなら恥ずかしさを隠せるなんて事を思ったり、でもやっぱりちょっぴりうれしい気持ちも伝わってしまったりするかも、なんてことを考えてついていく。
「張りぼてで、虚飾に満ちた輝きや自分なんてすぐに剝がされちゃうの。思うと、彼との恋はそうだったんだと思う」
 寂しそうに笑うアリサさんはそれだけでも美しかった。どうやら、恋をしていたというのは本当のようだった。だからこそ、切り出し始めた。
「じゃあ、今回の恋は素敵な恋だったんですか?」
「ええ、もちろん」
 先ほどとは違った、明快で朗らかなトーン。それは幸福に満ちた顔で。
「どこで出会ったんですか?」
「そうねえ。私、あれからカフェで働いていたんだけれど、そこの常連さんでね。ただ、面識も無ければ特別それまで挨拶さえしたことなかったの。それこそあの黒ぶちメガネってあなたたちがバカにしていた冴えない男のような顔をしていてさ」
 思い出す。自分の身の丈に合わない事ばかりを宣っていた、陰気な黒ぶちメガネの男を。
「焚火をしていたの。一人で寂しそうに。物思いに耽りながら、タバコを吸っている様はなんだか格好を付けているだけのようにも見えたけどね」
 笑いながら。繁華街からは遠く離れて行き、ただ線路沿いを歩いている中で忙しなくJR線が走り回っている。
「焚火にはパーマをかけた金色の髪の毛と髭面、ダボッとした服とレースアップされたブーツ。最初はビジュアル系が崩れたのか、チャラ男かと思ったわよ」
「言われてみると」
 クスリと私は笑う。
「ビスケットとマシュマロを持って『これがやりたかったんだー』なんて笑う、子供のような人だった」
「なんだか、それこそケイさんと全く違う人ですよね」
「うん、そうだと思う」
 ケイさんはそれこそ、企業人といった趣で何よりも仕事や誰かを幸せにすることだけを考えている人だった。それは家族であったり、またアリサさんであったり。あれもこれもときっちりしている人で、誰と会話をしても人当たりの良い爽やかな人ではあった。けれど、どうしても時々見せる薄っぺらさが鼻について、好きになれない人でもあって。ただ、そうした人当たりの良さから周囲からは強く信頼されていたし、むしろアリサさんとくっつくことが出来ればみんな幸せになるとさえ考えていた。
 そうして無理に作り上げた信頼を失いたくないから。薄っぺらさを隠したいから。アリサさんを不利に貶めるようなことをして、自分が被害者でアリサさんを加害者に仕立て上げる必要があった。その言い訳はさながら演技が多少入っているようにも思えたのだけれど、いずれにしてもアリサさんに弁解する言葉が無かった。そもそも、アリサさんは向こうが結婚していることさえ知らなかったのだから。そうしてアリサさんという存在を周囲から消去した。そうしないと、自分が周りから消されてしまうから。スーツやポロシャツでぴたりと止めた服装のケイさんを思い出しながら、金髪パーマの男の話がさらに深くなる。余計にビジュアル系崩れが気になって仕方なくなる。言葉をアリサは続ける。


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