今日もどこかで生まれる命へ
はたしてこの世界は不自由なのだろうか。戦時中のようだという人もいるけれど、世界中の人と手のひらの画面の中で通じ合え、ボタン一つで全国各地の食を取り寄せられる。嘘もホントも愚痴も希望も、好きな数だけ叫べる。
生計さえ立てば、このまま生きていくことだって、できてしまえそうに思える。
だけどそれは、外の世界の記憶があるからで。
今日が世界のスタートだったら。外に出ないことが当たり前の世界しか、知らない命が進んでいくとしたら。彼らはどんな感受性を持つのだろう。
人と触れ合わないことが当たり前で、スポーツもダンスもキスもハグも、ない世界で。これが10年も、20年も続くとしたら、命だって体外受精でしか生まれなくなるかもしれない。
もちろんそんなことはなく、1年前後で闇は明けると信じているけど。ときどきふっと心配になる。私たちが必死で守ってきた文化は、習慣は、取り戻せるほどまだ近くにあるのかどうかということを。
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