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"新製品開発は「新しい文化を創る」こと" 三宅秀道「新しい市場のつくりかた」

読書メモ#9です。

水泳キャップやウォッシュレットなど身近な事例をもとに、新たな文化を形成しながら社会へ浸透し、継続的な利益を挙げ続けるビジネスの在り方を訴える三宅秀道さんの著書のメモです。
「新商品の開発は文化を創造するという姿勢を持て」という本書は今まで自分が読んだ本の中でも非常に高い視座での製品開発の考え方が論じられている気がします。自分が仕事の中でも取り組んでいる「ブランド」よりももっと高い視点というか、製品だけでなくそれを取り巻く社会との関係性をデザインして文化を創造する、というめちゃくちゃスケールの大きな話が非常にわかりやすい事例をもとに論じられています。

なお、この本はエイトブランディングデザインの西澤明洋さんのセミナーでの読書課題になっていた本でした。

製品開発は文化創造であるべき

製品開発において当たり前のようにその製品の技術の向上が議論されています。例えばカメラならより解像度の高いものを、パソコンならもっと処理性能の高いものを、というようなもの。

しかし、本来製品開発においては、技術それだけの向上では成功することはなく、その技術と世間の用途との結びつけが行われない限り価値が発生しません。

このような課題は様々なビジネス本で語り尽くされているテーマではあるのですが、本書ではその解決策としてタイトルにある通り「新たな市場をつくる」ということを提唱しています。

誰も気づかなかった「新たな問いや需要」を発見・発掘し、そこに新たな市場を見い出し、その市場の中で文化や生活習慣、ライフスタイルを醸成させていくようなことがビジネスに求められていると説いています。
しかし前述のような「技術的な課題」から生まれる問いは、言語化が容易で定量的な評価もしやすいためしばしば「製品開発における問題」として重要項目として取り上げられてしまいがちです。ただ、このような課題は課題自体が誰にでも発見可能という側面もあり、他社との差別化要因となり得ません。
そのためには何よりもまず誰も認識できなかった「新たな問い」の発見が重要となります。

例えばトイレのウォッシュレットは今では生活の中に不可欠な存在です。実は、ウォッシュレットの機能を要素分解していくと(電動で出るノズル、水を吹き出す仕組み、、など)、その技術自体は実はエジソンの時代からあったものの組み合わせに過ぎません。
しかし、「トイレに入ったらお尻を洗いたい」という今までになかった新しい需要を発掘し、それを文化として根付かせていった部分にウォッシュレットビジネスの成功の背景があります。


新たな文化を根付かせるには"問題を発見"した後の"認識の定着"までをデザインする

市場ができるには

1.問題が発見され、それが技術的に解決できる
2.解決方法を使用・消費する環境が整っていること

という2つの条件が必要です。

ウォッシュレットの例で説明するなら、問いが発見された時点で1の課題はほぼクリアされていました。
しかし2の整備が整っていなかったため、トイレに電源を引くような住宅設計を普及させたり、ウォッシュレットを体験してもらうことで「ウォッシュレットがないと不潔かもしれない」という意識を根付かせる啓蒙活動をしたりなど、地道な努力が積み上がり、現在のトイレ文化が根づいたのだと言います。

ここで、さらにこのエピソードを具体化させると、4つのステップがあることがわかります。

1.問題開発
 トイレの後にお尻を水で洗えたらいいんじゃないか?

2.技術開発
 便器に取り付ける水の出入り口と、電気で出し入れできるノズル

3.環境開発
 トイレの中にコンセントを設置してもらうような住宅設計

4.認知開発  
 「ウォッシュレットがないと嫌!」という欲求の喚起


新しい問題はハプニングから発見される

新しい問題を発見するには、「自然界」のようなすでにそこにあったものを前提とするのではなく、その先にある理想の世界を妄想し、「何ができたらよしとするのか」と言った文化創造の議論をまず行う必要があります。
ウォッシュレットが出る前は誰も「お尻を水で洗いたい」なんて考えていなかったはずなのに、考えもしなかった問題が発見されたことによりウォッシュレットは社会へ浸透しました。

妄想を実体化するプロセスでは、自然の物理法則に逆らえるわけではありませんが、もとのコンセプトは、私たちの外にある正しさではなく、自分の中から出てきた構想を事後的に正しくしようという行為なのです。
(中略)自分の抱いた新しいビジョン、それを叶えたいと思うことが理想の構想であり、それと現実とのギャップとして新しい問題が発明されるべきときには、「自分の外にある正しさ」を探しに行く態度は、ただただ受け身になってしまいます。それでは現状から出発して、現時点での構想に向けた改善にとどまってしまいやすくなります。

つまり、構想の時点で「この問題は正しいのか否か」という議論は不毛であり、その問題を正当化させるようなプロセス自体が新たな市場を作ることにつながると言います。

ではその根本の問題はどう発見すればよいか。

それにはハプニングが必要と言います。これまで自分が培ってきた知識と、全く異なる出来事によって頭の中で化学変化が起き、それが新しいアイディア、問題の発見につながります。しかし、特に現代においてはこのハプニングが起こりづらい。

人は得た知識を判断材料に次に得る知識を無意識に設定しています。それを情報獲得の合理・合目的性と言ったりするそうです。
プログラミングを学んだ人はWebの知識をだったり、UIデザインを学ぼうとするということもあるかもしれませんが、ニワトリの育て方を学ぼうという気にはならないかと思います。

このように、いくら好奇心があり学習意欲が高い人でも無意識的にこの「情報獲得の合理・合目的性」の枠に押さえつけられていたりします。
さらに現代ではAmazonやYouTubeを始めとしてAIがユーザーの嗜好を分析し、本や動画をリコメンドしてくれるようになり、この情報獲得の合理・合目的性が加速されてきました。

このような現代においてはつい自分の周辺の知識を得てすべてを知ったような気に陥ってしまいがちです。しかし、ハプニングが発生しづらい時代においては「何かを知らないことを知っている」という自覚を持ち、意識的に自分と異なる世界の情報も取り入れる癖を持つこと、ハプニングを引き起こす姿勢が必要と言います。


ハプニングを阻害する大企業の"マネジメント"の罠

このような論調を展開する本書では、繰り返し大企業に勤めていることの危険性が訴えかけられています。

大量の人材を保有する大企業においては、人材を効率的に意図通り動かすために徹底した人材のマネジメントが行われます。これは生産性を求める資本主義社会において、大企業の構造上仕方ないものであったりします。

しかし、このように徹底的に管理されたマネジメントの配下ではどうしても意図しない出来事、ハプニングが起きづらい状況に陥ってしまいます。

そのため能動的にハプニングを得るには、大企業というシステムを抜け、社会へ飛び出すことが必要です。

すでに書きましたが新しいコンセプトの実現、すなわち新しい市場の開拓には技術的解決だけでは不十分です。使う人の行動のありよう、考え方、問題意識、価値観との整合性を取りながら社会へ適合させていくことが求められます。

それを調整するのは、部品という要素を組み合わせた製品全体が、その外側の世間のさまざまなファクターと上手に付き合いをしなければなりません。そしてうまく働くようにする「商品の対世間整合性の改善」をしなければなりません。

ちょっと抽象的な話ですが、このことは田川さんの著書で述べられていた「製品の社会実装」のフェイズのことと全くの同義と感じます。
(ご参考↓)

ちなみにこの「社会実装」のフェイズでのデザイナーの立ち回り方を、西澤さんのセミナーを通して田川さんに直接尋ねたのですが、やはり「製品はリリースして終わりには絶対にならない」、「粘り強くユーザーと向き合い改善していく」ということをおっしゃっていました。とにかく答えのないなかでも動き続けて社会と向き合う姿勢が大切なのだと感じました。(とにかくやれ!の精神、)


先に文化を築き上げた者は他に追随されない

もしある製品が新たな文化を築き上げることができたなら、他社はなかなか追随できないと言います。

文化ができ、そこにうまみのある市場が出来上がると当然他社もどんどん参入してきます。当然、後発の他社製品は先発の製品よりも技術的、もしくは価格的優位性でもって先行者との差別化を図ろうとします。

しかし、一度先に文化を作った製品についたユーザーにとって、技術的に優れた製品が出てきたとしても、どうしてもそちらへ文化・社会ごと乗り換える必要があるため莫大な労力やストレスがかかり、結局は先に市場を開いた製品の地位は揺るがないと言います。

例えば本書で紹介された防犯ベルの例。最初は品川区の中小企業のエンジニアおじさんたちが、子どもたちのために防犯ベルを作ろうとするも、そのものだけでは犯罪の抑止力になりきれず、防犯ベルが作動したときの地域住民、行政の動き方や振る舞いのシステムまでを含めてデザインをしていったというエピソードがあります。

たしかのこの例を考えると、たとえより高性能な防犯ベルが出てきたとしても、先発の防犯ベル自体が地域社会の一部として取り込まれているため、その地域住民から防犯ベルのみを取り出して置き換えさせるということが非常に困難です。文化を築いた先行者の優位性は技術的な優位性よりに勝るということがこの事例からもわかります。

確かに事実とは思いつつ、ウォークマンが生み出した文化はiPodに取って代わられたりといった反例もありますよね。ただいずれにせよ、後発者はユーザーに乗り換えコスト以上の価値を提供しなければならないという高いハードルを否応なしに負わされるというデメリットがある点は間違いないかと思います。


新しい問題は”言葉にできない”

なにか問題を思いついた時、「それが新しいのか否か」を考える上で面白い考えがあったので紹介します。

新しい商品企画を策定しようとする時、大企業は顧客調査などをして問題を掘り起こそうとします。その背後にある考えとしては「今解決すべき正しい問題があるはず」という科学的観点での探求です。ユーザー調査の結果は数字などわかりやすい指標で整理され、論理的に説明可能なものであるがために非常に強力な説得力を有します。

しかし、本来見つけるべき「新しい問題」はそもそもユーザーも作り手も気づいていない、この世に存在しない問題であるはずなため、数字やすでにある名前でうまく説明できない性質があると言います。

著者の三宅さんは様々なイノベーティブな経営者と話す中で、このような「何と呼んだらいいのかわからないくらい新しいネタ」を持っていたと言います。なにか問題を思いついた時点で「それは容易に言語化できてしまうものかどうか」を考えてみるのは非常に面白いなぁと感じました。


感想:文化創造には会社を飛び出して社会と対話を!

超個人的な自分語りになってしまうのですが、今会社の昇格研修のようなものの中で「自分のこれまでの経歴をいい感じに語る」資料を作成しているのですが、結構困っていました。

そもそも自分は大学院でデザインをやっていたもののその内容は「日本の食文化の研究」とものづくりを通した「文化の再生」でした。具体的に言えば日本文化の書籍や論文を読んで、木を切って家具を作ってました。

しかし就職はIT系メーカー、さらにもともと商品企画で採用だったはずが最初の配属はシステムエンジニア。そこで疲弊していたところにたまたま社内のデザインポストに空きができたという連絡が同期から入り、藁にもすがる思いでそのポストに飛び込んだことで、現在ではものづくりだけでなくさらに上位のブランドづくりまでやらせてもらえています。

言うまでもなく勇気を出してデザイナーに飛び込んだことで今はサイコーに楽しいですが、自分の経歴を振り返ると就職後は外的要因に流されていた分脈絡がないし何より「自分がこうしたい」という意思を持って道を切り開いた物語性・キャラクターがうまく演出できずにいました。(そもそも事実を脚色した演出が必要な資料を求められることもどうかと思うのですが、)

そんな中この本に出会い、「文化を創る」という言葉を発見し、今は資料でそのままこの言葉を使っていたりします。

大学院での研究は、古い文化を研究してその良さを現代に再興させるというもの。つまり「新たな文化創造」とも言えます。

その大学院時代の自分と今製品のブランドを夢中で作っている自分が重なることに気づきました。自分はものづくりというよりも、ものづくりを起点として新たな文化を作りたいんだということをこの本を通して自覚できた気がしています。

前置きがめっちゃ長くなりましたが、そんな感じで自分の中にあった自分の仕事での命題のようなものがハッキリした瞬間に、会社のものづくりにおいてこの本のような「社会との対話」の機会がまったくないということに気づきました。本の中で大企業が陥っている罠と全く同じ現象。

デザインは机にへばりついてMacとにらめっこして作り、作ったものは社内の人間に伺いを立てて進めていく。これが当然と考えていたのですが、自分が取り組んでいる製品とユーザーとの間にある問題がなかなか解けない現状を見るとやはりもっとエンジニアやデザイナーが社会に飛び出してユーザーや社会を観察し、問題を定義する必要性を強く感じました。

ちょっとコロナで外へ出ることが難しい状況ではあるのですが、そんな中でも常に社会を俯瞰して見渡す広い視野と、文化を生み出すという気概を持ってものづくりに取り組む姿勢をこの本から学びました。



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