「政教分離」について少し誤解がないか?~本当に問題なのは何か?~

3日前に高校の同級生4人と久しぶりに会って盛り上がり、昨日は明治大学の飯田泰之氏と駒澤大学の井上智洋氏とのウェブ対談にお招きいただいたのですが、どちらでも政治と宗教の問題が大いに話題になりました。

そこで、少し考えていたのですが、一部メディアで語っている人にも「政教分離」について誤解があるような気がしましたので、いったん自分の頭の整理のためにも文章を書かせていただきたいと思います。なお、最初に言っておきますが、私自身は、たまに神社でお賽銭を投げたり、仏様に手を合わせたり、ふらっと教会に行ったりはしますが、特定の宗教の熱心な信者ではありません。

そもそも「政教分離」とは、「信教の自由」を認めるために、政治権力が特定の宗教を国民に強制すべきではない、という考え方に基づくものです。欧米ではキリスト教が国教になっているケースが多く、さらにキリスト教にもカトリックやプロテスタントなど流派があります。

特に欧州では、歴史的に、政治権力が特定の宗教を国民に強制してきたわけですが、カトリックが強い国においても、国民がプロテスタントであったり、仏教徒やイスラム教徒であったりしても迫害をすべきではない、という意味で「政教分離」が必要とされたのです。

従って、本来「政教分離」とは、政治家個人が特定の宗教団体からの支援を得たり、多数の宗教団体からの支援を得てはいけない、という考え方ではない、ということを理解しておくべきでしょう。間違っても、特定の宗教を信じる者を迫害することは「政教分離」ではありません。

さて、安倍元首相の暗殺の件で政治と宗教の関係が話題になっています。そして、多くの人は「この話に何か問題がありそうだ」と考えていると思います。それでは何が問題なのでしょうか。私なりに考えてみました。恐らく「政教分離」とは少し異なる観点から、以下の二つが論点なのではないかと思います。

1.宗教団体に限らず、特定の団体が公序良俗に反する活動をしていた場合に、政治家がその団体の支援を得たり活動に参加することで、当該団体の活動に与える影響(例えば、対外的な信用力を得る等)について道義的な責任があるのではないか。

2.政治家は、あくまで公共の利益のために行動すべきであり、宗教団体に限らず特定の団体の支援を得る等の見返りとして、その支援団体に便宜を図るのはおかしいのではないか。

一つ目の論点については、恐らく道義的責任はあるのでしょう。ただ、様々な団体から支援を得ている政治家が、特定の団体が公序良俗に反する活動をしているかどうかについて、いちいち把握できない、という反論はありそうです。もっとも、今回問題になっている宗教団体の場合には、メディアでも再三話題になっているわけですから、そういった反論は当たらないかなと思います。

二つ目の論点に関しては、現実には特定の団体に支援され、当該団体に便宜を図るために行動する政治家も存在しますし、多数の団体に支援され、その支援団体の期待に応えるように行動する政治家も多いでしょう。これについては、党内や国会の中で各団体を背負った政治家同士が意見を戦わせることで、最終的に民主主義が担保されているはずだ、という考え方もあるかと思います。とはいえ、その団体が公序良俗に反する活動をしていた場合に、便宜を図るのは論外であると言わざるを得ないでしょう。

以上、少し論点整理をしてみました。皆さんの議論の参考になれば幸いです。

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