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【vol.009】 内観し、取り除きたかった「経済的な不安」と「心身的な不安」


休んで、落ち着いてきて、内観ができるようになってきた

春になり、妻が二人の息子を連れて家に帰ってきてくれました。無事に一人増えまして。

それまでの冬の一軒家に一人で過ごしていた「陰」の暮らしとは打って変わって、「陽」の環境になりました。ポカポカした陽気の中で、長男のバタバタと廊下を走る音を聞いたり、次男のかわいく泣く姿を見たりしていると、少し、心が救われるようでした。


ようやく、家族から力を得られる環境になった、そんな感じがしました。


水を飲む一件から、そんなすぐにギャップがなくなったわけではありませんでしたが、それでもたかーく掲げていた理想の像はだんだん薄らいできていて、自分の中で許せる範囲が徐々に広がってきました。


例えば、働けない自分を許す。

心が落ち着いてきたら働けばいいんでしょうが、すぐには仕事復帰はできませんでした。春になってもまだ事務所にはちょっと顔を出す程度が精一杯で、日中は自宅でゴロゴロしていました。そんな状況を自分で考えるに、

「従業員が働いているのに、自分は家でゴロゴロして働いていない。経営者なんだから率先して働くべきだ」

という固定観念もありましたが、

「まぁ仕方ないや」

と許せる自分も顔を出してきました。



そうやって私がサボっている間は、息子たちと戯れたり、リビングのテレビに映し出されている映像をボーッと観たりしていたんですが、そうやって昼間から家でゴロゴロしていると、少しずつ、冷静に考えられるようになってきました。


鬱になって、とにかく他者を責めてきたけど、ところで一体自分はどうしたいんだろうか。どう在りたいんだろうか。そもそもなんのために生きてるんだろうか。そんなことを考えるようになりました。

それは自分の正直な思いを言語化する作業とも言えました。



内観して見えてきた「経済的な不安」と「心身的な不安」

そうして、自分の外に向いていたベクトルが、だんだんと自分の内側に向くようになってきたところで、自分の本心が何なのかを問い続けてみると、


「今は自分の中に不安がたくさんあって、怖い」


という感情があることがわかってきました。そしてその感情を受け入れないとこの状況を脱することはできなさそうな感覚はありました。


しんどいけど、その自分の身の回りにある「不安」ってものを分析して、取り除き、安心できるようになったら、この鬱から抜け出せるんじゃないか、そんな気がしました。


じゃぁその不安材料は一体何なのか。

それを考えてみると、大きく2つありました。


一つは「経済的な不安」

これから私は家族や従業員を経済的に困らせないだけ稼いでいけるのか。

そしてさらに言うと、それは金額の多寡だけによらないんだろうな、と思っていました。というのも、月商を何倍と伸ばしても不安が消えなかった実体験があったからです。

これは、お金の稼ぎ方や自分のライフスタイル、考え方など、様々なことが絡んできている、そんなふうに思いました。



そしてもう一つは、折れてしまったこの心が、もう二度と復活しないのかもしれないという「心身的な不安」

自分がなぜこのような鬱の状態になったのか、そのメカニズムさえわかれば対処ができるかもしれないけれど、メカニズムがわからなければこの不安な気持ちは消えないんだろうな、と考えていました。



しかし、どうやったらこれらの不安を取り除くことができるのか、その当時はノーアイデアでした。まったくわかりません。不安で抑鬱な日々が続きました。



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