「人それぞれ」なんてよくも軽々に言えたもんだ

 勤務地だけ変わり,自宅はそのまま。そのため,今年度はしばらく片道1時間かかる車通勤である。似た境遇の先輩からは「人と比べて1日が2時間短い」と言われた。この2時間をどうやって意味あるものにするか。もっと言うと「意味あるものになったと思い込むか」がしばらく大事なテーマになるだろうと思っている。そこでここ最近は,ぼんやりと遠大なあれこれを考えるようにしている。

 学級経営は人それぞれ。児童も,発達の段階も,学校ごとの風土も違うから。何度となく「人それぞれ」と言われてきた。そりゃあそうだろうな,人それぞれだよな,うんうん。そうやって12年を通過してきた。そこではたと思い至る。12年前には絶対に立つことのなかった問いが立つ。
 「なぜ人それぞれなのか」
 もっと言うと
 「なぜ人それぞれになって『しまった』のか」

 その答えは,薄暗い山中の国道を走っている中で案外すんなりと導き出せた。「教員それぞれの育ち方・生き方が反映されるから」であり,もっと言うと「特に母親との関係性による影響が大きいから」だ。

 そもそも私がこの職に就いたのは母親の影響が大きく,教員としての母親の影をどこか追い求めていることが今までもあった。母親は(もっとおおらかな時代の教員ではあるが)家庭で絶対に仕事の愚痴を言う人間ではなかった。とにかく「子どもは可愛い,面白い。授業を考えるのは難しいが,楽しい」そういうタイプの人である。実情はわからない。母親の精神世界でどんな黒い渦が立ち上っていたかは何も想像できない。しかしながら「教職というのは楽しい世界なのだ」ということを予感させてくれる人であった。
 「仕事の愚痴を家で言わない」。一見するとなんだかいい感じに聞こえるし,実際良い。幼少期から少年期までの私の精神はそれなりに安定していた。しかし,だ。薔薇に棘あり。毒の牙が2本ほど隠されていた。

 1本目の牙は「愚痴の吐き出し場所がない故に自分の精神を削り取る」こと。これは母親の精神力,というか「無意識に愚痴のもつ毒を無害化する精神構造」によって無効化されていた。母親は,こう言ってよければ天然だった。

 2本目の牙は私たち,特に私に突き立てられる。「公の場で,他者がいる場で,愚痴をこぼすことはみっともない」という観念。
 幾度となく「抱え込むんじゃない,もっと周りに話した方がいい,愚痴を聞いてもらえばいい,弱音は吐いてもいいんだ」という言葉をもらったが,それは私の心には一切届いていなかった。今なら断言できる。言葉上の意味として,文字の連なりとして理解はできたし,空気の振動として聞こえてはいたが,心には,魂の奥底には何も響いてはいなかった。私の幼少期から共にあった無意識は,それらの言葉を恐ろしいまでの防御力でブロックし続けていたのだ。これは,母親が私にくれた贈り物であり,祈りであり,呪いでもある。親元を離れて16年が過ぎた。まだまだなくなってくれないだろう。

 当然,こんなことがあっても私は母親のことが好きだし,尊敬しているし,できる限り長生きしてほしいと願っている。コロナ禍の毎日を無事に生き抜いてほしいと願っているし,怪しい電話に引っかからないでくれと思っている。血の濃さを想う。私はあの人の息子であり,あの人は私の母である。その事実だけで充分だ。2本目の毒の牙でさえも「これは呪いかもしれないが,祈りでもある。ひとまず,あって良かった」と受け入れることができる。

 こうやって1000字に渡って書いたことが,多分「人それぞれ」の学級経営を形作るのだろうなあ,とぼんやり思う。その理解に12年かかったが,そうかそうか,そういう構造になっていたのか。

 明日からまた,片道1時間の通勤が始まる。母親が愛してやまなかった子ども達に会いに行く。牙が抜けるのはまだ先だろうな,と思いながら。