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7月 夏の夕暮れに  心配りの夕暮れに

夏が近づくと思い出す匂いがある。


蚊取り線香の ゆらゆらとした たゆたう静かな匂い

花火が燃え尽きた後の ほんのり焦がした 赤い匂い

和室の畳からは 乾いた草むらの中で包まれる むせぶような匂い

朝の暑くなる前の ほんのりしっとりした さわやかな匂い

そして、夕日が沈みかけながら かいた汗をいざなってくれる 凪風の匂い


思い出せばキリがないほど。

7月は夏の匂いがゆっくりと漂い始める。


7月はどうしてこんなにワクワクしてくるのだろうか。


夏休みがスタートする月という幼少期の記憶からか。

暑く照りつける日差しが体温をあげて
活動意欲が生態的に増幅されることからか。


7月はワクワクが自分よりも少し前を進んでいる


7月夏の夕暮れに

今年、息子が中学に入り、自分が中学に入学した頃をふと思い出す。

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小学生の頃は、自宅から徒歩で15分ほどの小学校に通学していた私は、中学生になると自転車通学が許される距離のところに通うこととなった。

福井県鯖江市にある鯖江中学校は、1986年当時、男子は丸刈りが校則。

ご多分に漏れず私も丸刈りの中学生となり、真新しいヘルメットをかぶって少し大きめの大人用の自転車にまたがって通学をすることになった。

生まれて初めて丸刈りにした時の晴れ晴れしさと寂しさ。
手で触った時の手のひらに吸い付く感覚。
汗が頭皮をツーっと流れてくる感覚。
その一つ一つが気恥ずかしかった。

小学生の頃から学生服だったが、中学からは詰襟の学生服となり、襟には校章に英数字で「I」と入っているバッジをつけているのが、映画か何かで見た軍人の軍服に付けられた勲章のようで、なんだか誇らしく思えた。

ランドセルから横向きの皮の学生カバンとなり、まるで診療医のように最大にカバンを広げ、教科書を詰め込んで自転車を漕ぐ日々を始めた。

中学生活で大きく変化するのは部活動があること。
私はバレーボールと書道を選択したが、本格的なスポーツ競技を始めたのは生まれて初めてだった。

それまで、近所の付き合いがある子たちとトランポリンの教室や学校のクラブ活動でバスケットボール、体育の延長で走り高跳びなどを行っていたくらいで、習い事はもっぱら書道だったから部活動で団体行動をすることが新鮮でたまらなかった。

バレーボールを選んだ理由は、お金がかからなかったから。

シューズだけでよかったから。

親に負担をかけたくなくて、この競技を選んだのだが、バレーボールはほぼ全員が中学からスタートする競技だったので、みんなで一から成長していくようで、仲間意識も高かった。
当時富士フィルムのチームに所属していた河合俊一選手が徳永英明の「輝きながら」の歌に合わせてCMでかっこいいスパイクを決めている映像を頭に描きながらスパイクを打つ練習をしていた頃だ。


そんな、部活の日々を送り始めて、7月に入った夕方。

自転車で自宅に帰ると家の前でうまそうにタバコを吸いながら、庭の岩に座っている親父がいた。
玄関には車を取り囲むように庭木が両脇に植えてあり、その庭木の周りをスイカサイズの岩が順序よく並んでいる。
その角の一つの岩に腰をかけながらニカッと笑っている。

「ただいま。」

「おぅ。おかえり。」

無口な親父だったが、庭いじりが好きだったので、なんとなく庭を手入れしていたのだろうと思いながら、自転車を玄関脇に止めて家に入った。

それから、よく家の前でタバコをふかしながら待っている親父を見かける機会が増えていくのだが、ある日お袋がそっと話してくれた。

「お兄ちゃん、最近部活、部活で帰りが遅いから、お父さん心配して玄関でず〜っと待ってるんやで。」

「・・・そうなんか。」

『待ってなくても、ちゃんと帰ってくるから心配しなくてもいいのに。』

お袋がその事実を私に伝えてどうして欲しいのかよくわからないまま、かといって親父にその理由を聞くこともないまま、日常は過ぎていった。

本当に些細な日常の一コマだ。

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今思えば

心配だった」のではなく

心配したかった」のだろうと思う。

大丈夫なのはわかっている。
けれども、「心配をすること」が親として楽しいものであることを、
タバコを吸いながら夏の夕暮れの凪風を味わっていたんだろうなと思う。


心配りの夕暮れに

夕方はなんとなく寂しいものだ。
数時間もすれば辺りは暗くなり、街頭の照明と虫の鳴き声に包まれる。

夕飯の後、巨人戦を家族で見ながら、お袋の内職の手伝いをする。
メガネのレンズを薄くて柔らかい紙で包み、紙のケースにしまう。
25枚で一箱が組み終わるのだが、その一箱で三円くらいの内職仕事だ。
そんな内職をすることに何の疑問もなく、貧乏だという自覚もそれほどなく、
野球やプロレスを見ながら他愛も無い学校での出来事を話す日々が楽しかった。

無口な親父は小さい頃はどう接していいか、正直わからなかった。
厳しい人であることはわかるが、自分自身に対しての厳しさがあるため、
私自身も自分にはある程度厳しさを持つものだなと背中を見て思っていたせいか、
接し方がわからなかった。

だが、中学に入ってから、夏の夕方の姿を見るようになってから、
色んな話ができるようになってきた気がした。

世の中のこと
将来のこと
人として大切なこと

今まで考えたこともなかった。
親父への心配りをしている自分がいた。
それまでは、自分の事しかあまり考えてなかった。
親父がどんな話を自分としたいか?なんて考えもしなかった。


相手のことを考えるようになったのは
あの夏の夕方
夕日の中で
ニカッと親父が笑ったからだ。

心配りは難しい。
どんなに思っても、そう思っているとは限らない。
相手の立場に立ってみて、本当にそう思っているとは限らない。

それでも、そこに心を配ることは尊いことであると教えてくれたのは

7月夏の夕暮れに 心配りの夕暮れに
そこに一人でたたずんでいた 心配りの父親に


今度は私が息子に心配りをする番だ。
どんな部活に入るのか。
コロナの影響で部活はまだ始まっていないようだ。

そして親父がしたように
私も早く帰った日は
表に出て待ってみよう。

心配りの夕暮れを
親父のように味わいたい。

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