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大叔父の経験に基づくアドバイス、または呪い

猫野サラさんが「みんな、方言でnote書いてみない?」という企画をたてていらっしゃいます。

参加されているみなさんのnoteを読むと、方言って良いなあとほんわかします。けれどその反面、胸を張って方言を話せなかった自分がいて、ちょっと胸が痛みもする。

企画の趣旨とはかなり違っているけれど、方言にまつわる思い出(?)を書いてみます。

***

「もしな、大きぃなって東京へ行かなんようになったらな……」

大叔父と向かい合って話した記憶はほとんどない。

けれど、この会話は小学生のわたしにとって、かなり衝撃的だったこともあり、忘れられずにいる。

祖父の葬儀か、その後の周年法要の席での話だ。

大人になって、東京に行くことがあったら……? わたしは大叔父の話を子供ながらにも真剣に聞き、話の続きに耳を傾けていた。

「大阪弁は話したらあかん。東京モンは、方言をバカにしよる。うまいこと隠していかなあかん」

大叔父は少し眉間にシワを寄せながら、渋い顔をして湯飲みに手を伸ばしていた。何かを、思い出しているらしく、険しい表情はなかなか和らぐことはなかった。

なんで? 大阪弁は嫌われるん? 普段しゃべってる言葉をバカにされるなんてイヤやなあと思ったものの、その疑問を大叔父に投げかけずにいた。わたしは大叔父が苦手だったし、その質問をしても、楽しい会話が続くとは思えなかったからだ。

ただ、その時の大叔父のアドバイスは胸に刻み込まれた。隠し包丁を入れるみたいに、心の裏側にスルリと。「NHKのニュースを読む人みたいに話したらいいんかなあ?」とぼんやり考えたところまで記憶が残っている。

大叔父には子供がおらず、小学生のわたしとどんな会話をしていいのかわからなかったのかも知れない。ただ、「東京で大阪弁を話すと、バカにされる」という言葉は、アドバイスというより、むしろ呪いの言葉でしかなかった。そしてその呪いは、わたしの心の奥に、傷のように残っている。

***

高校卒業後、わたしは神奈川の大学に進学することになった。ただ、受験の時以外では関東に行ったことがなかった。中学の修学旅行は長野、高校は沖縄だった。

神奈川での一人暮らしが楽しみな反面、恐ろしく思うところがあった。それは大叔父の呪いである「大阪弁を話してはいけない」というもの。高校生活はそれなりに楽しく過ごしたものの、中学時代には二度と戻りたくないような生活を送っていたこともあり「人からバカにされる」状況に怯えていた。

「大阪弁を話さんで、暮らしていけるんやろうか……?」 

ふとした瞬間に大叔父の言葉を思い出し不安に駆られる。そもそも、それまでの暮らしで標準語を必要としてこなかったので、標準語が喋れるかどうかもわからなかった。

勉強についていけるか、とか一人暮らしをうまくやっていけるか、というような不安はなかった。ただ、どちらかといえば奇妙な「大阪弁を隠して暮らして生活できるやろか?」という不安があった。

けれど、その奇妙な不安は、大学で講義が始まった日にほんのすこし晴れたのだ。

初めての講義を受けたとき、隣に座った友人が青森出身だった。また、少ししてから話すようになった子は広島、福岡の出身だった。もちろん神奈川の大学なので圧倒的に神奈川育ち、東京育ちのひとが多い。

それでも地方出身者が半数を占めている場所で、あからさまに方言をバカにする場面に立ち会うことはほとんどなかった。

それでも、青森出身の子も、広島出身の子も、そしてわたしも。標準語に近い言葉を話していた。言葉の端々で「あ、方言かな」と思うイントネーションはある。でも堂々と方言を話している人はそれほど多くないように感じた。

大学を卒業し、就職した場所でも、できるかぎり大阪弁は話さないようにしていた。当時は窓口に立って、不特定多数の人と話す仕事に就いていた。新人の女というだけでも「お前じゃ話にならん、男の上司と代われ」と言われる。それに加え、方言が少しでも出ると「田舎もんにはわからん」と怒鳴る客もいた。

「大阪弁で怒鳴りつけてやればいいじゃん、ダウンタウンのハマちゃんみたいに」と職場の先輩は言うものの、そんなことをしたら処分対象ものだったろう。

それほど多くはないけれど、「大阪弁話してみてよ」と笑いながら言われることもある。方言ではないけれど「大阪の人は面白い話ができるでしょ? 話してみてよ」とも。(どちらかといえば、こっちの方が多い気がする)

「大阪出身のみんながみんな、おもしろいわけじゃないから。ごめんね」と、わたしはできる限り標準語のニュアンスで話すと、「なぁんだあ」とあからさまにガッカリされた。

方言をできる限り隠して生活する。見つかってはいけない十字架を、そっと握りしめるように。

それでも、どうしても方言がでることもある。とっさに声をかけるときや慌てているときに決まって方言になる。

「えーなんやえらいややこしなってんなあ」とか、「どうしはったんですか? なんか、手伝いましょか?」などがそうだ。

いくら標準語を話して暮らしていても、とっさの時は大阪弁が口をつく。ほんの数秒の差とはいえ、体に染み込んだ言葉が出てくるのだろう。

大叔父の呪い、または経験に基づいたアドバイスは、いまでもわたしの胸に刻まれている。大叔父が言いたかったことも、ほんの少し分かったようにも感じる。

けれど、とっさに飛び出る言葉が大阪弁であることは、今はすこし誇らしい。





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