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ロバート氏とヨリムキ女

「アマゾンでポチッたほうが、早いっすよ」

それは、その通りだろう。けれど、本を取り寄せたいとたずねた書店員さんにそう言われてしまったのは、少なからずショックだった。

「うちで取り寄せるとなると、うーん、一か月くらいはかかるかもしれないんですけど」そう前置きをしたのち、書店員さんはアマゾンでの購入をおすすめしてくれたのだ。

書店員さんは、店舗や系列店の在庫を調べたうえ、さらにトーハン(書店に配本している会社)取扱いカタログみたいなものを調べたうえで「アマゾン」の名を出した。書店員さんが悪いわけでもない。本は本屋さんに行けば買えるだろうと、何にも考えることなく問い合わせたわたしに問題がある。

「一か月かかっても良いから、本を取り寄せてくれ」と言えばよかったかもしれない。けれど、「一か月」という自分が想定していたよりも長い時間を提示されたため「じゃあ、止めておきます」と、すごすごと帰ってしまった。

ネットでポチればいいもんね。そう考え書店を後にしたけれど、やっぱりどこかもやもやした気持ちが残った。発売されて一週間ほど。著者も、本のタイトルも、発売日も出版社もちゃんとわかっている。それだけ分かっているのだから、自分で探しに行ったほうが早いかもしれない。そうとも考えた。

同じようなタイミングで、浅生鴨さんが「青山ブックセンター本店に、ロバートさんが6名いる」というようなツイートをされていた。青山ブックセンター(本店)に行けば、ロバート・ツルッパゲさんに会えるのか。よし、じゃあ、会いに行こう。ネットでも品切れになっているタイミングだったようで、待っているより、たぶん早い。

そうして、青山ブックセンター本店に足を運ぶことにした。この本屋さんになければ、おとなしくネットでポチっとしよう。

「ロバート・ツルッパゲとの対話」を出版されたセンジュ出版さんは書店との直接取引を行っていると、ホームページに記載されていた。

*重版のタイミングもあって今のところ表示されていないけれど、落ち着いたらセンジュ出版さんのショップページから本を購入できるようになるだろう。(2020年2月18日の時点では、まだ並んでいませんでした)


青山ブックセンター本店に行くと、とにかく目移りした。「あ、この本買おうかなーとおもっていた」など、予定外の本を手に取っては、棚に戻すのくり返し。いや、他の本も買って帰ればいいのだけれど。

「ロバート・ツルッパゲとの対話」は、二か所に分かれて設置されていた。浅生鴨さんがつぶやかれていたのは数日前。ロバートの何名かは、どなたかのもとで過ごされているようだ。

力強いまなざしの、その表紙は「おまえ、本当に手に取る気があるのか?」と言わんばかりだった。この本を買うために、青山ブックセンターを訪れたけれど、少し怖いような気もしていた。ワタナベアニさんの言葉を、わたしは受け止めきれるだろうか?

「ロバート・ツルッパゲとの対話」を読み進めていくたび、単純に面白いとは言えなかった。

ユーモアやらおやじギャグがふんだんに盛り込まれた内容だけれど、身につまされる内容が多い。いかに自分が何も考えずに行動しているか、発言しているか。読み進めると、自分に哲学的な考え方をしておらず、ただ流されるままだと恥ずかしくなってきた。

さらには、本を読む前にさらっとツイートした言葉すら、人としての謙虚さが足りない、傲慢な「ヨリムキ」の姿勢をさらしただけに過ぎなかった。

恥ずかしくて、穴があったら入りたい。けれど穴が見つからないから掘り進めているうちに、だんだんと穴を掘るのも疲れてきて「何のために穴掘ってるんだっけ? 温泉でも湧き出さないかな。油田でもいいわ」と考えるほどに傲慢だ。穴を掘っていた目的すら、忘れ去っているほどに。

あまりにも恥ずかしくて、ツイートを削除しようか迷った。けれど、いったん晒したものを削除するのもダサいし、「傲慢な姿勢だというのをさらしておくほうが、戒めになる」とそのまま晒しておこう。くだらないツイートにお返事くださったワタナベアニさんに対して、本当に申し訳ない。

わたしには、ロバート・ツルッパゲ氏との対話が圧倒的に足りていない。何度も本を手に取り、対話することになりそうだ。ロバート氏には、ヨリムキ女なんて相手にしたくないと一蹴されてしまいそうだけれど。




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