見出し画像

名前について思いを巡らす

「ひろの漢字は、弘法大師の こう です」

自分の名前を電話口で伝えるときに、なんと言えばいいのか、いつも悩む。

間詰ちひろ、というのはペンネームで、本名は弘子。呼び方は「ひろこ」。

わたしは自分の名前が好きでも嫌いでもない。両親が考えてつけた名前じゃないし、どちらかと言えば成り行きでつけられた名前だと思っている。もう、38年も一緒に暮らしている名前だから、折り合いをつけつつ一緒に過ごしているという感じだ。

弘子、という名前は父方の祖母が、懇意にしていたというお寺だかお坊さんだかから「頂いてきた」名前だという。とは言え、新興宗教とかでもない。どちらかと言えば祖母は信心深い方でもなかったように記憶している。なんで孫の名前をもらってくるようなことをしたのか、今でもよく分からない。祖母と関わりが少なかったので、もしかしたら信心深かったのかもしれない。祖母に聞きたいところだけれど、もう20年前くらいに亡くなっている。父に聞こうにも父も亡くなってしまった。母に聞いても「なんやよう分からん」と言われたので、あまり覚えていないか、それほど関心がないのかもしれない。わたしを出産した時は、母自身どうにも色々な病気などが重なって、身動きが取れず絶対安静だった。わたしの名前を決めるどころの余裕はなかっただろう。

わたしが「弘子」と名付けられたのには、はっきりとした理由がある。わたしは21日に生まれたからだ。21日は弘法大師が逝去された日。京都の東寺では毎月21日に弘法市が開催されている。

いまではなんとも思っていないけれど、幼いころ自分の名前の由来を聞いたときは、ちょっとショックだった。いくら有名なお坊さんだとしても、その人が死んだ(とされる)日と、わたしの誕生日が同じだからといって、そのお坊さんの漢字を使うなんて、と。

ただ、だからと言って「イヤだイヤだ」と泣いたわけでもなく、単純に「あ、そういう名前のつけ方なんや」とずしーんと胸に響くような、なんとも言えない気分になった。


自分の名前の漢字を説明するときに、「芸能人の誰それと同じ漢字です」とか、地名などのような一般的に知られているような単語から説明することが多いだろう。

しかし、わたしは「弘法大師のこう、です」と母が説明するのを何度も耳にしていたし、わたし自身も何回もその説明をした。はいはい、とわかってもらえた時はいいけれど、「弘法大師……?」と言われたときには、どうしていいか分からなかった。ずっと「弘法大師と共に我あり」という感じだったので、他に例える漢字がパッと思いつかなかった。伝わらない時は「え、弘法大師知らんの……?」と、ちょっと絶望的な気持ちになった。

ある程度成長すると、「(青森県)弘前市のひろ」とか、いくつかの地名で「弘」を見つけることができたので、その地名を伝えるようにもなった。「弓にカタカナのム」と、漢字を分解して伝える方法も覚えた。

けれど、最近になって、やっぱり「ひろ」は弘法大師の弘だ、としっくりくるようにもなった。おかざき真理さんの「阿・吽」を読んでいるのも、大きな理由のひとつ、と言えるかもしれない。

ただ、この漫画を読んでいると、弘の漢字を使われていることが、恐れ多い気持ちになる。(未読の方はぜひ! 読んでほしい)子供の頃とはメーターが真逆に触れたとでも言えるだろうか。

間詰ちひろの「ちひろ」は現在の苗字と名前の接続部分をとってひらがなにした。分かりづらくて申し訳ないのだけれど、「舘ひろし」さんで例を挙げたい。「たちひろし」の「た・ちひろ・し」のちひろ部分。ちひろは本名の一部だけれど、苗字でも名前でもない。苗字と名前の一部だ。(間詰は何かと聞かれると、理由はある。けれど、長くなるのでまたの機会に)

ちひろは漢字で書くなら「智弘」だけれど、より僧侶っぽい気がしてひらがなにした。ひろ、という響きは気に入っているし、名前に守られているような気分にもなる。

弘子のほかに、もうひとつ「名付けられなかった名前」がある。お坊さんが提示して、二択だったという。もう一方の名前になっていたら、わたしの人生はまた違っていたのかなあ? と時々ぼんやりと考えてみるけれど、答えはその時々で違っている。


この記事が参加している募集

名前の由来

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。