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【観劇レポ】『オイディプス』

力のある作品、というものがあると思う。

演者の力、製作の力、演出の力、経済的な力。
そのすべてを兼ね備えた舞台を見た。

『オイディプス』

市川海老蔵10年ぶりの現代劇!
黒木瞳と市川海老蔵の初共演!
森山未來との再共演!
英国演劇界の実力派マシュー・ダンスターが演出!
DISCOVER WORLD THEATREシリーズ第7弾!

インパクトのあるキャッチコピーを数多くつけることができる初期条件だけで話題沸騰が確実な作品だ。

煽り立てられた期待を胸に会場に入った瞬間まずは舞台装置に驚かされる。

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重力に縛られた人間は上へ上へと憧れを募らせている。そして、それは舞台の演出においては日常感じるよりもずっと顕著でずっと強い。なぜなら短期間でその世界を終えてしまう空間で上空を使うことはかなりの力が必要だからだ。力を使えるものだけが舞台の上空を使うことができると言っても過言ではない。
舞台作品の演出家はステージの上に広がる空間をいかに使うかに苦心する。人が自由自在に浮かぶわけにはいかないから大抵が憧れを残してその空間は広がっているだけなのだが…オイディプスにおいては通常空が広がっているはずの場所には床があった。
2階建ての舞台セット、その壁は自由自在に上下し、ある時は室内を見せ、ある時はスクリーンになり、また、外界からこの世界を隔離する扉は頑強で巨大だ。演出家の力とそして、経済的な力。二つの力にまず圧倒される。

そんな舞台上をよく見ると舞台上にはすでに人がいる。最近よく見られる演出のようにも思うが、すでに舞台上に人が動いていることで作品世界は緩やかに始まっており、観客の思考を自然に作品世界に引き込むことが可能となるのであろう。暗転前のブザーも注意喚起もなし。

幕開け。

現代劇だと事前情報を頭に入れておいたにも関わらず、登場人物の服装に一瞬あっけにとられる。スーツ、そしてドレス。そうだこれは現代劇だ。
しかし、現代だろうが古代ギリシャだろうがたとえ江戸時代だろうが、その時代設定なんてすぐにどうでもよくなる。そこは他の何にも代えられない「オイディプスの世界」だ。

私は観劇直後にこんなツイートをした。

いまだこの衝撃をうまく言葉にはできないが“凄み”、最初に述べていた力でいうと“演者の力”、これを強く感じた作品だった。

まず幕を開けたのは森山未來の凄み。波動、というのだろうか。静かにとうとうと流れる波のようであるがその感情はその言葉は寄せては返し観客の心に覆いかぶさってくる。テーバイ(物語の舞台の地)の民の不安が森山未來の凄みに乗って観客の心に押し寄せてくる。

作品のバランスを保っていたのは黒木瞳だ。彼女が平静を保ち品よくたたずむことで舞台上の秩序が保たれる。しかし、悲劇が進むに連れ、彼女自身の感情も乱れ、それに従うように会場の空気も乱れていく。それが黒木瞳の凄みである。彼女の叫びは観客の心をかき乱し、息を詰まらせる。

さあ。最も救いから遠い者は誰だ。
そう。オイディプスだ。
予言によって自らの運命を宣告され、そこから逃れようとしては捕まり、信じていたものはすべて虚構だった。虚構が崩れた先に見えたものは想像も及ばない残酷な現実。
次々と降りかかる不幸と呪いとを一身に受け止めたオイディプス。その悲劇の人が乗り移ったかのような市川海老蔵の凄みが見事だった。救いのない状況に嘆き、苦しみ、狂う様は観客を張り詰めた空気にくぎ付けにし、この時ほど自分の唾を飲み込む音が大きく聞こえたことはない。

オイディプス。あまりに有名な救いのない物語。
しかし、市川海老蔵のすごさはその救いのなさの表現だけではない。すべてを失い絶望したその姿が最後舞台から消えるとき、なぜか彼の消えた空間には一抹の救いが残ったように思う。どろどろの後味の悪さを予想していたのになぜかまばゆい光が差し込んだような美しさが残った。もしこれからこの作品を観る人がいたらぜひその目で結末を確かめてほしい。

まちがいなく、力のある作品、なのだ。

10/27まで。シアターコクーンにて。

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