たすかりたい

とは思うけど何から助かりたいのかがわからない、けど助かりたいし楽になりたい。今は幸い希死念慮にまではいってない、けどそれでも常に漠然とはやく死にたいという気持ちはある。どうせ生まれたときから消化試合の人生みたいなものだし。これはもう病気とかじゃなくて気質みたいなものでしょうがないのかもしれないけれど。そういえば書いてたら思い出したけど、付き合ってた頃に同じことを立風くんも言ってたな。結局死んじゃったけど。ああ、そんなことを思い出してたらわたしもいつか死を選んじゃうんじゃないかってこわくなってきた。死にたいのに死ぬのがこわいのはわたしはまだ大丈夫ってことなのかもしれない。
そもそもわたしは死にたいのに何故か「泥水啜ってでも生きてやる」という気概を学生の頃から合わせ持っている。矛盾してるのに。不思議だね。

最近はこれでも精神は安定してる、ただちょっと疲れているだけだと思う。
10代の頃は「成人して全部を自分の責任にできるようになったら死のう。」と言っていたのにまだ生きてる、いまは自分が音楽をやっているわけでもないのに「27歳で死にたいな。」と思っている。図々しい人間なので、それを過ぎてもきっと生き続けてしまうんだろうけど。これまでもロックバンドのライブという目の前の希望を頼って拾って重宝してなんだかんだ生きているし、これからもまた同じように生きていくだろう。ロックバンド、ありがとうね。

syrup16gの「旅立ちの歌」という曲で「もうあり得ないほど嫌になったら逃げ出してしまえばいい」と五十嵐隆が歌っている。

わたしは実際には逃げ出すことができない人間だけど、それでも「逃げ出してしまえばいい」ということばでゆるされる気がして幾分か気持ちが楽になる。誤魔化し誤魔化しでも、これからも生きていけたらいいね。とりあえず遅死11.02までは。

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