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日記。働いています。これは私の毎日ですが、誰かの気持ちと重なる部分があったりするのでし…

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日記。働いています。これは私の毎日ですが、誰かの気持ちと重なる部分があったりするのでしょうか。歳を重ねるにつれ、後悔することが増えてきました。間違ってなかったねって自分に言ってあげられるように、自分を見つめ直したくて書いています。

最近の記事

蓋があいた記憶

私の祖父は、病気でも寿命でもない最期だった。 もう、十数年も前の出来事。 時が経てば経つほど、この出来事は鮮明になっていき、それと同時に感情が寄り添う。 溢れ出て止まらなくなる。 幼かった私は記憶がないし、もう誰も触れようとしない。 だから詳しくはわからないけど、一緒に過ごした思い出や、懐古し、交わされる会話の中でも、どうしても、無意識に、留まってしまう。 赤ちゃんの頃のホームビデオ。 まだ今ほどのコンパクトなサイズなど、とうにない時代だ。 大きな大きなビデオカメラ

    • 比較しなくても良い

      人と人を比べること。 過去と現在を比べること。 私たちは日々、幾度となく比較をして、 どちらが本当に価値のあるものなのかを、 確認しようとする。 それらを比べるとき、価値のある方はもちろん明確にできるが、 それと同時に、価値のない方、つまりは劣っている方がより浮き彫りになってしまって、 そのことばかりが大半を占めてしまうような考え方になってしまっていることに 気がついた。 良い方のメリットではなく、悪い方のデメリットばかりが。 それって、自分が本当に求めて

      • 小さくなった私の幸せ

        幸せだな〜〜 って思う時。感じる時。 どんな時ですか? コロナウィルスの影響で、緊急事態宣言が出た春。 私はずっと家にいました。 私だけじゃないですよね、多くの人が色んなことが制限されるようになって、ストレスを抱えていたと思います。もちろんいまも。 私は接客業なので、仕事にも行けなくなり、そもそも建物自体が閉まっていたので、お客さんが来れず、言い方を変えると行く必要が無くなってた。と言う感じでした。 一人暮らしですので、 家族や友達にも会えず。 不要に電車に乗

        • 隠すことは正直なこと

          私は、自分の気持ちを隠すことはいけないことなのだと思っていました。 例えば、嫌なことがあった時も、その嫌だって思った気持ちを隠してしまうことは、嘘をついてる気持ちになったり、 自分の内と外の温度が違うことは、 俗に言う性格の悪いひと なのだろうと感じていて、自分に対しての自己肯定感はいつも下がりっぱなしでした。 気持ちが過去になるまえに、リアルタイムで伝えなくてはいけない。 そう、縛られていました。 けど、最近、友達の話を聞いていて感じたのですが、 みんな結構、

        蓋があいた記憶

          なるべく会いたくない他人(ヒト)

          会うとどうしてもネガティブな気持ちになってしまう友達っていませんか? 最初はただ単に、今の私が他人(ヒト)に会うことが億劫になってしまったんだろうと考えていたのですが、どうやらそうでは無い?と気が付きました。 この、会うのが憂鬱な気持ちになってしまう友達は、私の学生時代からの友達で、いわゆる親友と呼べるような存在です。 一緒に旅行へ行ったりもしましたし、若い頃はお泊まり会したり、長電話したりと。 大人になってからは、お互い同じペースで大人になり、ご飯や美術館などにも一緒

          なるべく会いたくない他人(ヒト)

          過去の人生仮病だった

          最近気がつきました。 今までの私の人生、仮病でした。 なんであんなにできないふりや、やり気がないふりばかりだったのでしょう。 できないむり。 みんなすごい。 羨ましい。 やっぱり変われない。 など、そんな言葉をよく言いがちで、 なんか過去の自分を振り返ってみると、 なんかすっごく鬱陶しく感じてきました。 別に今の自分が当時の自分から何か変わったのか、と言われると、 全くそんなことありません。 むしろ状況や環境は何も変わってないです。 ただ、過去の鬱

          過去の人生仮病だった

          後悔は大正解

          後悔とは ①すべきことではなかったことを、したという思い ②すべきことを、しなかったという思い 全て過去への思い。 今この瞬間に”後悔”を体感することって無理なのですね。 となると、長く生きて、過去が多い方が後悔が蓄積されるので、 生きていく上で後悔することは、仕方ないことだとも思えたりもします。 過去はやはり戻らないので、 生きてきた月日が長くなると後悔とはとても辛いものだとか、 できればない方が良いものだとか、そういう風に認識しだし、 後悔しないために

          後悔は大正解

          友達を選んでしまう。

          私にも大切な友達がいて、私を好いてくれていて、 会いたいと思ってくれたり、話を聞いてくれたりします。 大切です。 私は私の友達に出会えたことが心から幸せだと感じています。 けれども、そんな大切に思っている友達でも、 ちょっとAとは今は会いたくないから連絡を控えようかな、とか、 今はBの話を聞く心の余裕がないな、だからCと会おう!とか、 自分勝手にそれぞれの友達との距離を調節してしまう自分がいます。 しかも期間限定なことが多いです。 ちなみに、私は、そんな自分

          友達を選んでしまう。

          私には優しさを受け取る価値がある。

          今月の頭あたりに、すごく落ち込んでいた私がいました。 仕事で失敗したとか、雨に降られたとか、これっていう理由があったわけではないのですが、誰にあってももうダメで、もうとにかく自己肯定感が下がりまくりだったのです。 そんな落ち込みモードのある日。 仕事から帰ろうと思って自分の荷物が置いてあるところを見ると、 あげる! と、メモを貼ったクッキーが置いてあったのです。 それをみた瞬間、 あぁ、なにもしてないのに、、でも私は人に優しくしてもらえる人間なんだ、、。 って

          私には優しさを受け取る価値がある。

          年齢がやっと心に追いついた。

          私はもうすっかり大人なのですが、学生の頃、中学生とか高校生とかほんとそんな頃。 それはもうすごく落ち着いている部分が多くて、まあただ、冷めていて、カッコつけたいとかではなく、精神年齢が当時の年齢よりも大人だったのだと思います。少なくとも周りのみんなよりは。 みんなが盛り上がるような、文化祭や体育祭などは一歩離れた所で見てるくらいの感じで、みんなでワイワイはしゃぐなんてそんなことはあまりなかったのです。 全くそういう気持ちがなかったわけではないのですが、自分の中ではそうい

          年齢がやっと心に追いついた。

          あなたの心の器を占めているものは?

          心の器の大きさというのは、人それぞれ違うのでしょうか。 もしかしたら器の大きさは、 みーんな同じなのかなって思ったりもします。 私は心の器は浅い、小さいと思ったりする場面もあったのですが、 でも、器そのものが小さいのではなく、 器の中が他の何かで占めてしまっているから、 もうそれ以上入らなくなってしまっているのかなって、思いました。 そこで、思うのが、 余裕 というものの存在。 余裕がない状態って、 なにかに冷たく当たってしまったり、 誰かの意見を受け

          あなたの心の器を占めているものは?

          意見と捉えるか、文句と捉えるか

          意見と文句の違い 文字にするとまったく違いますが、自分から発すると結構境界線が、グレーだったり、 どうみても文句なのに、 いやいや、これは意見だから。 と、聞こえがいいように、 勝手に正当化してしまったりと、 なかなか使い方がわからなくなってしまったり、してしまってます。 文句の方がやはり簡単ですね。 文句とは、 自分の嫌だと思った考えを、なにも考えずに口にすること。 そう、なにも考えずに、 いや、考えているのは自分のことだけ。でしょうか。 とてつもなく一方的

          意見と捉えるか、文句と捉えるか

          知らない自分が出来上がっていた

          自分の心から解き放ち伝えた気持ちは、 相手が受け取った時には言葉でしかない。 その気持ちを相手がどうやって、伝えた側の気持ちへと、受け取り方を変えてくれるのか。 それがとても複雑で、やはり目では見えない。 自分の思い描いていたものではない形で、受け止めてくれてしまっていることだってある。 思いを伝えて、相手の心に着地した部分だけで、伝わっているだろうと、うっかり満足してしまっていると、 それがどんどん積み重なっていって、 よくいうすれ違いになっていってしまうんですね

          知らない自分が出来上がっていた

          ”普通”に囚われ過ぎていた

          普通が一番。 普通はこうだよね。 普通に考えて。 いつも当たり前に口にしている 普通 と言う言葉。 私は普通というルールに囚われ過ぎていて、 きっとそこから外れることが怖くて不安で仕方なかったのです。 そもそも普通ってなんなのでしょうか。。。 世間一般、大多数の考え方? 友達みんなの行動? 教科書に載せて恥ずかしくないような出来事? 簡単に口にする 普通 そのものの基準すら曖昧なクセに、 普通を求める権利なんて、私にはないのです。 そもそも、本

          ”普通”に囚われ過ぎていた

          文字にすると簡単なことができない私

          私は、自分の話をすることが大好きだということは決してありません。むしろ苦手です。 けど、 相手に伝えなきゃ 自分の考えを知ってもらわなくては と思ってしまい、相手の話を聞くことが疎かになってしまっていたのだと思います。 大切な人に対してなら余計に、自分の思いや感じたことを知ってほしい!!と、力んでしまうことももちろんありました。 気付かなかったのですが、こうやって見てみると 不器用 すぎですよね、、、。 そして私は油断すると みんなは当たり前にできるのかな

          文字にすると簡単なことができない私

          自分の考えが一番怖い

          私はよく、誰かとの関係や出来事について考える時に あの人はきっとこう思うだろう、 こうされたら嫌だろう、 こうやって返してきそうだな〜 なんて想像して、改善策を考えていました。 これって私の中では、 学校の先生が言ってくれていそうな、 相手の立場になって考えましょう 自分がされて嫌なことをしてはダメ と言ったことと同じような考え方だと思っていました。 なのでもちろん私の考え方は相手を思いやっているという 自信がありましたし、 自分の脳内で考えることは無

          自分の考えが一番怖い