月と陽のあいだに 104
浮雲の章
ナーリハイ領(5)
「白玲様、馬車へどうぞ」
武人の言葉に、白玲はその場に跪いた。
「馬車に乗る前に、ナダル様の傷の手当てをさせていただけないでしょうか。お願いいたします」
そう言って、白玲は頭を下げた。どうぞお顔をお上げくださいと言われて、白玲はナダルの傍に膝をつき、合い着の袖を引きちぎって裂いた。傷はさほど深くはないようだったが、出血は止まっていない。手巾を当てた上に裂いた布をきつく巻き付けながら、白玲はごめんなさいと何度も繰り返した。先ほどまで役人頭を脅していた少女とは別人のように、その目には涙がいっぱい溜まっていた。
ナダルは黙って頭を下げると、白玲を立たせた。白玲とコヘルが兵士に導かれて馬車に乗り込むと、ナダルはホスロと共に馬に乗った。
やがて馬車は、何事かと見守る人々を後に、街道を遠ざかっていった。
馬車には、壮年の男が一人乗っていた。服装から武人でないことは見てとれた。男は白玲に席を勧めると、自分はタミアという月帝付の文官であると自己紹介した。そしてコヘルと顔を見合わせて、我慢できないというようにくすくす笑い出した。
訳が分からない白玲が、涙を拭って怪訝そうな目で見つめると、失礼いたしましたと詫びて話し始めた。
「手はず通りカシャン領で待機していたところ、領境の宿場に向かう合図の狼煙が上がりました。皇帝旗を掲げてナーリハイ領に入るのは、最後の手段でしたが、間に合ってよかった。こんなに早く騒ぎになるとは思っておりませんでした。姫様が役人を脅すとは、予想もしておりませんでした、良い時間稼ぎになりました。護衛二人とコヘル様が姫様に助けられるなど、実に珍しいものを見られました。当分、話題に事欠きませんな」
じっとタミアを見つめていた白玲は、頬を赤くするとコヘルに言った。
「つまり宿場のことは、もともとコヘル様が仕組まれたことだったのですか? 私だけが知らずに役人を脅したりして、とんでもない茶番劇を演じてしまった訳ですね。コヘル様はものすごくお人が悪い。まさかナダル様もわざと斬られたのですか? 私は涙が出るほど心配したのに」
白玲が口を尖らせてコヘルに抗議した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?