脳科学者 毛内拡先生に学ぶ!長く健やかに働くために知っておきたい脳研究
心身の健康を保ち、仕事や生活と上手く向き合うには、どのような脳科学的アプローチがあるのでしょうか。今回は、健康経営の取り組みの一環として従業員向けに開催されたセミナーをレポート!脳科学者であるお茶の水女子大学の毛内拡先生から学びます。
脳の数だけ「見える現実」がある=みんな違って当たり前
脳の重さは成人の場合およそ1,300gで、体重の2%程度。しかし、その基礎代謝量は20%で、筋肉や肝臓に匹敵します。一方、脳が活動するときの電力は20ワットと、トイレの電球より暗いです。同じ計算をスーパーコンピューターで再現すると200万ワットもかかると言われており、脳は非常に省エネな臓器であることが分かります。
記憶や認知のメカニズムも省エネとなっており、その一つに「認知バイアス」があります。これは思考のショートカットのこと。例えば、たった一回の失敗で、「人生終わりだ」と感じたり、上司からのメールの全部が怒られているように感じたり……。皆さんにもそんな経験があるんじゃないでしょうか。これって実は脳が省エネしている結果。脳が正常に働いているから起こることなのです。
また、脳は外界からの刺激をそのまま全て処理しているわけではありません。多くの情報から自分に必要な情報だけを取り出し(第一のフィルター)、経験とこれまでの記憶から作った、こう見えるだろうという予測情報に基づき、「脳内モデル」を見ています(第二のフィルター)。加えて反応を出力する際も今までの経験や予測に基づいて行います(第三のフィルター)。これらの反応はすべて人によって異なる。つまり、脳の数だけ「見える現実」があり、脳が違えば認識や思考が違って当たり前と言えます。このような脳の性質とうまく付き合い、自分が持っている「ヘンテコな認知のクセ」に気付くことが重要です。また、周囲の人も同様の性質を持っていると理解することも、コミュニケーションにおいては大事なことですね。
能動的な新しい体験が、脳の成長を促す
脳は非常に柔軟で、環境に合わせて生涯変わることができる性質を持っています。これを「脳の可塑性(かそせい)」と呼びます。
人の成長から考えると、脳も20代がピークであとは衰えていくように感じる方もいると思います。しかし、脳においては必ずしもそうではありません。脳の成長を促すために重要になってくるのが、能動的に自分で経験を積むことです。
有名な実験に、アメリカの心理学者による“ゴンドラネコ”の実験があります。2匹の子猫を装置に入れ、1匹は自分で歩き回れる状態に、もう1匹は歩き回る猫の動きと連動したゴンドラに乗せます。すると2匹は同様の情報を視覚から得ていたにもかかわらず、ゴンドラに乗せられていた猫は視覚を正常に発達させることができませんでした。視覚と自分の運動感覚を結び付けられたのは、自分の意思で歩いている猫だけで、能動的に空間を探索できなかった猫は、その機能を発達させられなかったのです。
これは、人間にも当てはまります。日々の仕事において、例えば上司から指示された仕事だったとしても、自分なりの工夫を施す余地はあるはず。脳を活性化させるためには能動的に取り組み、それを楽しむことが重要なのです。
健康的な活動にはやっぱり睡眠が大事。おすすめはスマホの通知オフ!
脳は臓器ですので、細胞からできていて、活動することで老廃物が出ます。その老廃物がいつどうやって排出されているのかというと、睡眠中に「脳脊髄液」が洗い出してくれることが分かっています。ということは、睡眠不足になると、脳はゴミだらけになってしまうんです。
睡眠時間を削って日中できなかったことを夜にやろうとする人が時々いますが、これはお勧めできません。「ショートスリーパー認知症」といって、睡眠時間の1日平均が短い人は70歳以降に認知症と診断されるリスクが高まります。具体的には、平均7時間以上の人に比べて、6時間以下の人は約1.2~1.4倍、4時間以下では約3倍、リスクが高くなります。特に中高年期における睡眠時間が慢性的に短い人は、認知症の危険度が30%も高いのです。若者でも、一晩6時間以下の睡眠を2週間続けると、2晩の徹夜に相当する認知機能障害が生じることが分かっています。「睡眠負債」という言葉がありますが、体は2週間分の睡眠の不足を記憶しているため、週末2~3時間多く寝た程度では回復しません。つまり、週末の「寝溜め」は意味がない、ということです。
ここで私のおすすめは、スマホの通知機能をオフにすること。脳は新規性を求めているので通知がくるとつい見てしまうんですよね。ただ、脳が一回集中力を失うと、回復するまでに23分もかかるのです。通知をオフにして日中の作業に集中し、夜は睡眠に充てた方が、健康的に活動するためには有効と言えるでしょう。
AI時代に求められる「脳の持久力」
AI時代の到来と言われる今、答えがあることに対する情報を瞬時に取得する領域では、どうしてもAIが勝ります。では、人間ができることはなんでしょうか。それは、答えがない問題に寄り添うこと、不確実なことに耐える「ネガティブケイパビリティ」を育てることではないでしょうか。私はこれを「脳の持久力」と呼んでいます。これを鍛えるには脳内のグリア細胞の1種、「アストロサイト」が重要な役割を果たします。
アストロサイトは、神経細胞(ニューロン)に栄養を与え、脳脊髄液が脳内の老廃物を洗い流す仲介をしています。つまり、脳にとってはヒーローの様な存在。進化的に複雑な脳を持つ動物ほどアストロサイトの数が多く、この重要性にいち早く気付いたアメリカの研究者が、人のグリア細胞をマウスに移植しました。すると、普通のマウスと比較して記憶力が2.5倍高まったという研究もあります。つまり、アストロサイトは頭の良さに関係している、ということです。また、多くの精神的不調や脳の疾患はアストロサイトの機能不全だということも分かっています。残念ながら脳細胞は後発的に増えることはないため、「脳の持久力」を発揮するためには、アストロサイトを鍛え、活性化させる必要があります。
では、アストロサイトをどのように鍛えるのか。これには、「新奇体験」と「情動喚起」が効果的です。「新奇体験」とは普段しないことをしてみること、「情動喚起」は喜怒哀楽に働きかけたり、ハッとするような体験をしたりすることです。具体的にはアートやスポーツを楽しむこと、一人旅がおすすめです。旅が難しければいつもと違う道を選んで帰ってみるのも良いでしょう。先ほど能動的な経験の重要性をお伝えしましたが、自ら今回のようなセミナーに参加してみる、新しい人と出会う、読書を通じて新しい著者や世界観を知る、なども効果的です。ぜひ試してみてください。
マクロミルさんは若い世代が活躍する企業だと聞いています。私は普段、学生と接する機会が多いですが、特に若い方はすぐに答えを求める傾向にあると感じます。例えばMBTIという性格診断が流行っていますが、自分という人間に対して答えを与えられることが安心につながるのでしょう。しかし、「自分がどのような人間か」という問いに対して答えはありませんし、「自分はこういう人間だから」と決めてしまうことが、かえって可能性を狭めてしまいます。ご自身の可能性に蓋をせず、失敗を恐れずさまざまなことにチャレンジしていただきたいですね。また、上司の皆さんは、部下の挑戦を応援し、失敗を許容してあげてください。それが答えのない問題に寄り添う力の向上につながり、ひいては日常生活の充実や仕事のパフォーマンス向上につながるのではないでしょうか。
(編集後記)
本セミナーに参加した従業員のアンケート結果では、97.1%が「良かった(非常に良かった+良かった)」と回答!「リサーチャーとして知っておきたい人の脳の特徴を聞くことができ、業務とリンクさせることができた。」「自分や他者の認知を知ることができ、コミュニケーションに生かせそうだ。」など、業務に繋がる知識を得られたという感想が寄せられました。今後もこのようなイベントを開催予定とのことで、健康意識の啓発とともに従業員にとっての「新奇体験」につながる機会となりそうです。
\毛内拡先生の新著のご紹介/
『心は存在しない 不合理な「脳」の正体を科学でひもとく (SB新書)』が2024年11月7日に出版!不合理な心の正体に科学的に迫る一冊です!
■編集
池田牧子(広報・ブランドマネジメント部 PRユニット)
■撮影
柳川亜紀子(広報・ブランドマネジメント部 デジタルデザインユニット)
■画像制作
田代正和(広報・ブランドマネジメント部 デジタルデザインユニット)