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お正月

お正月。
五煙草氏は、母方の実家に来ていた。
母親の兄(五煙草氏の叔父にあたる)はやけに豪華なおせちを用意して上機嫌で待っていた。
「よく来たね。1年ぶりじゃないか?まったく君ときたら放って置けば正月が来るまで一度も顔を見せないのだから」
五煙草氏は70歳近くになった叔父に煙草の差し入れをした。
「いや、こんなのはとうの昔にやめたと言ったじゃないか」
叔父は煙草の差し入れにがっかりしたようだった。
「でも、ほら縁起ものですから」
五煙草氏は無理やり叔父の胸ポケットに煙草を差し入れた。
「全く困るな。お前からの煙草が山ほど棚の中にあるぞ」
そう言って叔父は、後ろにある棚に煙草をしまった。たしかにそこには大量の煙草がしまってあった。
「お前の名前を五煙草なんてつけたやつがわるいんだ。せめて三茄子くらいにしときゃよかった。茄子ならまだ食べられるからな」
叔父はぶつぶつ文句を言っていた。

「まあ、気を取り直して飲みましょう」
と言って、底抜けに明るい五煙草氏の父親がお屠蘇を継ぐ酒器を持って、盃にお屠蘇を注いで回った。
五煙草氏に「五煙草」という名をつけたのがこの底抜けに明るい父親なのであった。
「さあ、さあ、みなさん。盃をお手元に取ってください。あれ、金糸雀さん、今日はどうしたの?烏龍茶なんて手に持って」
底抜けに明るい父親は、座の下の方にいる派手なおばあさんにそう言った。
「ちょっとこの後、別のお座敷にも顔を出さなきゃならないの。お酒飲んで飛ぶと木にぶつかったりして危険でしょ」
金糸雀のおばあさんはそう言った。金糸雀ジョークを言ったつもりだろう。
「もう歳なんだから、そんなに何個もお座敷をはしごなんかしなくてもいいじゃないか」
と叔父さんはそう言った。
「あら、あなたに言われたくなんかないわ。どこぞの外国のお方に夢中なくせに」
そう言って金糸雀ばあさんは桃色の舌べらを出した。
「やあ、すみません。余計なことを言いましたな。お屠蘇飲みましょう。さあ、五煙草、一番若いお前から飲みなさい」
底抜けに明るい父親は五煙草氏にお屠蘇を注いだ。
みりんのほんのりと甘さとサンショウの香りが鼻を抜けた。
五煙草氏は30歳になったばかりなのでまだこの爽やかな薬っぽさが好きになれない。

「これで一族、苦しみなく繫栄します」
五煙草氏は飲み終わった後、お決まりの文句を言った。
五煙草氏がお屠蘇を飲み終えると、年齢順に次々とお屠蘇を飲む順番が回っていった。
五煙草氏の叔父さんは年長者であるので一番最後に他の者より一回り大きな盃でお屠蘇を飲み干した。
「これで日本人、苦しみなく繁栄します」
叔父さんは満足そうにお屠蘇を飲み干して、堂々とした顔つきで盃を五煙草氏に渡した。

「さあ、これでお決まりの儀式は終わりです。どうぞ、おせちやカニや餅などを好きなだけ食べてください」
叔父さんは得意げにそう言った。
宴会では、底抜けに明るい父親と陰湿的な母親が短歌を披露したり、金糸雀ばあさんが歌を歌ったりした。
金糸雀ばあさんが歌うと皆は黙って金を小さな袋に入れて、金糸雀ばあさんのポケットにそっと入れた。
金糸雀ばあさんはひとりひとりの手を握って、
「ありがとう」と言った。
その痩せた体のどこにそんなエネルギーがあるのか、温かく、力強い握手だった。
「これであなた方一族、お金に苦しみませんよ。そして、私の歌声のようにいい情報だけがあなた方の耳に届くでしょう」
金糸雀ばあさんはそう言って、お辞儀をすると宴会かを後にした。
「縁起物ですからね」
と底抜けに明るい父親は言った。
陰湿な母は何も答えず、恨めしそうな顔をしているだけであった。

金糸雀ばあさんがいなくなると、顔を赤く塗った白髪の男がふたり入ってきた。
「やあ、お屠蘇をどうぞ。自家オリジナルの配合ですぞ」
底抜けに明るい父親は、赤い顔の白髪男たちにお屠蘇を注いだ。
赤い顔の白髪男たちはお屠蘇を一気に飲み干し、そのうちの一人が底抜けに明るい父親にむかって、
「あなたでいいですか?」
と聞いた。
「え、今年はわたしですか!義兄さん、わたしでいいですか?」
叔父さんがうなずくと、底抜けに明るい父親は見るからに場違いにはしゃいでいた。
「うれしいな。やっぱりこういうのはうれしいな」
そう言って底抜けに明るい父親は、赤い顔の白髪男たちに頭を差し出した。
赤い顔の白髪男たちは、唐草模様の風呂敷をかぶると踊り出した。
赤い顔の白髪男たちは踊りながら底抜けに明るい父親の頭を噛んだ。
「いたたたたた」
底抜けに明るい父親が嬉しそうに男たちに頭を噛まれている間、陰湿な母と叔父さんはお金を投げた。
赤い顔の男たちは踊り続け、父親を噛み続けていた。
まだ金が足りないということだろう。
「五煙草、そこの引き出しに小銭がもう少し入っているからそれを持ってきなさい」
と叔父さんは五煙草氏に命じた。
五煙草氏は引き出しを開けると、そこにあった小銭を全部叔父さんに渡した。
「あれ、こんだけしかなかったかい?これじゃあ、足りんだろう」
叔父さんは赤い顔の男たちに小銭を投げつけた。父親にかみついていない方の男が首を横に振った。
「ちょっといいですか。今この家にある小銭はこれで全部なんです。足りないですか?」
男たちの踊りを遮って叔父さんはそう言った。
「うーん、いろいろ燃料や材料が高騰してますからね」と赤い顔の男たちは難色を示した。
「あなたたち、タバコ吸う?」
叔父さんは突如そんなことを言った。
「吸うわけないでしょ、イマドキ」
赤い顔の男たちは、「イマドキ」っぽい言い草でそう言った。
「五煙草、おばあさんの部屋から小銭を借りてきなさい。いいかい、おばあさんは寝てるから、起こさないようにそっとな」
五煙草氏は席を立って、おばあさんの部屋にむかった。
陰湿な母が、「お金に困らないって、言ったばかりじゃない。御利益もなにもあったもんじゃないわ、あの金糸雀ばばあ」とつぶやいた。
たしかに金糸雀ばあさんは言った。
「これであなた方一族、お金に苦しみませんよ。そして、私の歌声のようにいい情報だけがあなた方の耳に届くでしょう」
「縁起物ですからね」
頭を赤い男に噛まれながら、底抜けに明るい父親は言った。

おばあさんの部屋は細長い廊下の突き当りで、一番日当たりのよい場所にあった。
部屋の襖をあけると、おばあさんは布団の中でじっと眠っていた。
枕元には正月用の小銭を用意した赤と黄色の巾着が置いてあった。
五煙草氏はそっとその巾着を持ち上げた。チャリン、と音が鳴った。
「私の安眠を願っておくれよ。安眠できるなら死んだって構わないんだから」
とおばあさんは言った。
安眠と死について、五煙草氏は考えた。
「もちろんです。おばあさんの安眠を願います」
五煙草氏はおばあさんの白髪の頭をなでてそう言った。

五煙草氏はおばあさんの巾着を叔父さんに渡した。叔父さんは中身を確認し、1枚、1枚小銭を赤い男たちに投げつけた。
17枚目を投げつけると、赤い男は父親の頭を離した。
底抜けに明るい父親も頭を撫でながら苦笑いをしていた。
「あなた方みなさんの邪気を食べましたから、わるいことは起きません」
と赤い男たちは言った。
五煙草氏は、
「おばあさんは安眠できますか?奥の部屋で寝ているのですが」
と聞いた。
「もちろんです、邪気を食べましたから、よく眠れます」
赤い男たちはそう言って出ていった。

五煙草氏の一族は正月早々にお金がすっからかんになった。
底抜けに明るい父親は明るさを減じ、明るい父親になり、陰湿な母は陰湿さを減じ、とげとげしい母になっていた。
「もう、縁起物の人々を家の中に入れないでください。効き目なんかないんだから」
と母は叔父に文句を言った。それは純粋な文句であった。
「まあ、まあ、正月なんだし」
と加速度的に明るさを失いつつある父親はそう言った。
「分かった、もう来年は縁起物を招き入れるのは辞めよう。五煙草、だからお前ももう来年から煙草を差し入れるのを辞めなさい」
叔父さんは五煙草氏にそう言って、問題を上手くすり替えた。
父親と母親は、形容詞のない父親と母親に戻り、特徴のない父親と母親は五煙草を母親の実家に残し、自分たちだけさっさと帰ってしまった。

「五煙草、お前に話がある。ちょっと座りなさい。2人だけで話そう。もうちょっとお屠蘇でも飲みながら話そう」
叔父さんは五煙草氏にお屠蘇を注ぎながら話をはじめた。

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