見出し画像

地テシ:229 「狐晴明」の基礎知識! 朝廷篇

先週は台風、今週は地震と天災銀座のような関東地方ですが、皆さまにおかれましてはご無事でしょうか。大規模感染症だけでも大変なのに、これ以上騒ぎを大きくするのは勘弁してほしいものです。

さて、10/6(水)に全国100館以上の映画館(なんと台湾でも!)で行われました「モフモモフモフモフフモフ」いや「狐晴明九尾狩」ライブビューイングはお楽しみ頂けたでしょうか。公演会場にお越しになれない方でも気軽にご覧頂けるライブビューイングというのは実に画期的なシステムですよね。
劇場での臨場感は少なくなりますが、その替わりにアップになったり意外な角度から楽しめたりと、これはこれで楽しい体験だと思います。
私も楽屋廊下に設置された専用モニターを出番の合間にチラッと見たりしておりましたが、実に新鮮な感覚でしたよ。


そんな「狐晴明」をより楽しんで頂くための基礎知識講座。今回は朝廷篇です。

今作では幼い帝の母親である元方院(げんぽういん)を高田聖子さん、左大臣である藤原近頼(ふじわらのちかより)を私、右大臣である橘師師(たちばなのもろもろ)を右近健一くんという劇団員たちが演じております。
とりあえずこの三人が朝廷の人々ということでザックリと説明していきたいと思います。

今作の時代背景である平安中期といえば藤原氏による《摂関政治》ですよね。そう、日本史の授業でも出てきました。ちょっとおさらいしてみましょう。
天皇がまだ幼いなどの理由で政務が執れない場合、替わりに政治を切り盛りする役職が摂政です。そして成人した天皇を補佐する役職が関白です。平安中期にこの摂政や関白が政治の実権を握った期間を摂関政治と呼んでいるのですね。
摂関政治で一番有名なのは藤原道長(ふじわらのみちなが)でしょう。自分の娘を天皇の后とし、その子供(つまり道長の孫)を三代続けて天皇に即位させて外戚(がいせき)として権力を振るいました。と、習ったはずです。おぼろげにでも思い出して頂けましたでしょうか。

と、摂関政治について説明してきましたが、これは今作には直接関係はしてきません。なんだよ! 関係ないのかよ! ええ、関係ないのです。今作で権力を握っているのは幼い帝の母親である元方院なのです。

平安期に皇后が権力を握った時期はなかったように思いますが、神話時代の神功皇后(応神天皇の母)や奈良時代の光明皇后(孝謙天皇の母)などの権力を握った皇后は存在しますし、源頼家・実朝の母である北条政子や豊臣秀頼の母である淀君など、幼い権力者の母が実権を握った例もたくさんあります。元方院もこのようなタイプの権力者だったのでしょう。
で、その元方院に阿っているのが右大臣の橘師師であり、従うフリをして権力を狙っているのが左大臣の藤原近頼というワケです。近頼は娘を帝に嫁がせて外戚になることを望んでおり(ていうか私が自分で言うのですが)、つまり摂政の座を狙っているというコトです。ああ、やっと摂関政治に繋がりましたね。

とにかく、平安時代といえば多くの貴族たちが権力を狙い、お互いを陥れようと様々な権謀術数を巡らしていたのです。中には政敵を呪ったりする輩も居て、その呪いから逃れたりするために陰陽師たちが重用されたりもした時代なのです。


妖かしたちから「臭い臭い」と揶揄されるほどに欲にまみれたこの三人ですが、それぞれが三者三様のその後を迎えます。ご覧になった方にはもうお判りですね。ええ、ああなるんです。この三人の対比が面白かったですよね。ええと、まだの方はゼヒ劇場でお楽しみ下さいませ。



さて、ここからは日本史余談です。どうぞお気楽にお読み下さいませ。

左大臣と右大臣。どちらもなんか偉い人なんだろうなあという認識で大丈夫なのですが、気になる方のためにちょっと解説を。
律令国家の行政を担当する太政官(だじょうかん)には太政大臣・左大臣・右大臣の三官が置かれました。ただし、太政大臣は名誉職のために権力はなく、実質は左大臣と右大臣が行政の長です。
では、左大臣と右大臣のどちらが偉いのか。実は左大臣の方が席次が上なんです。「天子南面す」の言葉通り、帝が政務を執る時には南に向かって座り、帝の左手側(東側)に左大臣、右手側(西側)に右大臣が座ります。
太陽は東から昇り西に沈みます。そのために古来より西よりも東の方が上位というしきたりがあったのです。なので東側に座る左大臣の方が上席ということですね。

京都市には左京区と右京区という区がありますが、左京区が東側、右京区が西側です。つまり、我々が日頃見慣れている北を上とする地図では左右が逆になっているように見えますが、これも「南面した帝から見ての左と右」によって大きく分けられた「左京と右京」という呼び名の名残というワケです。
まるで池袋駅の「ひがしが西武で、にし東武」みたいなコトになっておりますが、いやそれとはちょっと違う気もしますが、まあとにかく、日本では伝統的に東の方が偉いのだと覚えて下さい。

演劇でも、舞台を南に向かって作ると(その方が明るくて見やすいからね)、東側(つまり客席から見て右側)が上手となっているのですよ。歌舞伎や能などの古典芸能では、客席から見て左側(下手)に花道があってアクセスの導線です。右側(上手)には家があったりして、右奥には奥の間がある設定です。つまり右側(上手=東)の方が偉い人の居る設定なのです。吉本新喜劇などでも同様の舞台セットですよね。


また、先ほど書いた藤原近頼、橘師師の《藤原》と《橘》というのも日本史の授業でよく聞いた名前だと思います。奈良・平安時代に繁栄した名家を「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と言いまして、《源氏》《平氏》《藤原氏》《橘氏》の四氏のコトですね。日本人のルーツを探ると多くがこの四氏に辿り着くと言われているほどに繁栄した名家です。
奈良・平安の頃に活躍した貴族や武士にやたらとこの四氏が多いので、日本史の授業にも沢山出てきたというワケですね。この辺りは面白いのでいくらでも深掘りができるのですが、今作とは関係がないのでこの辺りにしておきましょう。


ええとすみません。少しは面白くしようとしたのですが、なんだか普通に日本史の授業のようになってしまいました。ちょっと悔しいです。
でも、歴史って自分の好きなところだけを切り出して深掘りしてみると意外と面白いもんなんですよ。よろしければ色々と調べたり調べなかったりして下さいませ。


さて、「モフモモフモフモフフモフ」いや「狐晴明九尾狩」の東京公演もあと一週間ちょっと。色々と小さなトラブルはありますが、なんとか無事に公演を重ねております。何とかこのまま東京公演を、そして大阪公演を無事に終えられるように、様々なコトに気をつけながら頑張っていきたいと思います。
よろしければどうぞ応援して下さいませ!