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車への情熱を人生のガソリンにして、自分のブランドで勝負。

こんにちは、freee個人事業部のマコッティです。フリーランスとしての生き方にフィーチャーする企画「フリーランスの生き方」をお届けします。

今回は、少年の遊び場がそのまま大きくなったようなガレージで、愛車を横に鼻歌を歌いながらデスクに向かうハイパーデザイナーやまざきたかゆきさん。グリーンの髪の毛、顔のピアスが印象的なやまざきさんは、車への絶えない情熱を燃やし続け、想定外で始まったフリーランスの生活でも最高の職場を手に入れます。

そんなやまざきさんに、これまでの仕事人生や、自己ブランディング、成功するフリーランスの心構えなどについて伺いました。


遊びと仕事の境界は曖昧。「嫌いなことを好きになるより、好きな事をどんどんやりたい」

ーーHondaにお勤めだったとうかがっていますが、まずはそれまでの経緯を聞かせていただけますか?
子どものときから、絵を描くことや、車、おもちゃが大好きな子どもでした。工業系の高校に進学してプログラミングを学びつつ、機械の使い方を覚えたりバイクをいじったりしながら、ラジコンやミニ四駆、プラモデルにもハマってましたね。

進路を考えたときに、漫画家やバンドマンなど色んな選択肢があったのですが、一番難しいものから攻めようと思い、Hondaのバイクデザイナーを目指しました。父親がHondaファンということも影響していたと思います。「Hondaに入るからお金出してくれ!」と親を説得して、長野から上京し専門学校になんとか入学したのが18歳のとき。

専門学校では、Hondaの採用募集がくると聞いていたのですが、待っていてもなかなかこなかったんですよ。おかしいなと思い、学校の先生に「俺の人生にとって、ものすごく大事なことなんで、試験だけでも受けさせてくれ!」とかけあって、なんとか試験を受けることができました。「これで落ちたら実家に戻るわ!」と親に宣言して臨んだんです。

試験で提出する作品は手持ちのものだけでいいと言われていたのですが、バイクの実車も持っていきました。そのほかにも置くところがないほどたくさんの作品を並べてやりたい放題。とにかく自分の好きなことを全部出し切ろうと。「いい思い出になった! よし、実家に帰ろう!」と覚悟を決めたところに、合格の連絡です。そりゃ嬉しかったですよ。

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ーー当時から情熱的だったのですね。入社後も熱意は変わらなかった?
Honda入社後も、グレてたっていうか。「とにかく自分のやりたいことをやりたい!」っていう生意気なやつで。今になって、あのときは生意気だったなって反省するんだけども、当時はイケイケだったんで「若い子向けのバイクなら、若い俺たちが作ったほうがいいものができる!」みたいな(笑)。

そんな感じで若い子達と一緒に騒いでたら、試しにプロジェクトをやっていいよ、という話になって、そこで生まれたのが、ZOOMER(ズーマー)やApe(エイプ)など。当時はビッグスクーターブームで、FUSION(フュージョン)の復刻版やFORZA(フォルツァ)のタイプXやXXといった若者向けプロジェクトに取り組んでいました。

当時、都内に住んでいたので、カスタムしたフュージョンを原宿あたりでぶんぶん乗り回していたら「かっこいいですね」なんて声をかけられて。次第に仲間ができ、図らずもユーザーと仲良くなりました。しばらくHondaに勤めていることは黙っていたのですが、ある程度リサーチができてから素性を明かしました。すると、「こうなればいいのに」とか「ここダサいっすよ」という意見がリアルにはねかえってくる。それを会社にフィードバックして改良していきました。

ーー仕事と遊びの境界が曖昧だったのでしょうか?
今も変わりませんが、当時から遊び半分、仕事半分でやってきました。結局仕事のことをいつも考えているし、遊びのこともいつも考えているから、やはりリンクしてますね。「好きなことだけやってる」って言うとかっこよく聞こえるけど、「嫌いなことを好きになる暇がもったいない」という気持ち。好きなことで、もっと知りたいことややりたいことが、未だにいっぱいあって、それを追いかけていることで忙しいので、嫌いなことをやっている時間がないんです。

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退職金を使い果たし口座残金50万円。知り合いのつてを辿ってフリーランスに。

ーーその後、フリーランスになった経緯を教えていただけますか?
Hondaに20年くらい勤め、とある理由で円満に会社を辞めました。その後お金を気にせず趣味で生きていける環境になりそうだったのですが、いろいろありまして稼がなければならなくなりました。詳細は割愛します(笑)。

退職金もそれなりの額をもらってはいたものの、秒で使っていました(笑)。まさかの事態です。口座に50万円くらいしかなかったので、公庫でお金貸してくださいと頼みました。そこで「担保はいくらぐらい?」と聞かれ、そこではじめて、お金を借りるのにお金がいることを知りました。お金がないから来てるんだ!と納得いきませんでしたが(笑)、とりあえず、なんとか借りられた額で食いつなぎました。

ーー想定外のことが続き、不安はありましたか?
会社を辞めるという選択肢は、前から思い浮かべてはいました。会社だと、指示されることと自分のやりたいことのギャップや、本当にお客さんにとっていいことなのか?などのジレンマがありました。それに、デザイナーがたくさんいるHONDAだと、プロジェクトが1回転するのに2、3年かかります。各プロジェクトで、4番の打席に立てる人も、ピッチャーも1人ずつ。そう考えると、定年までに果たして打順は回ってくるだろうか、という思いもありました。ある程度の年齢になると管理職にならなきゃいけないというのもあった。

ただ、辞めるきっかけがないし、辞めたあとの想像がつかないのでおっかない、と思っていた。そんなところに、神様がぽん、と背中を押してくれたのかなと考えています。

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ーーフリーランスとして具体的にどのように仕事をはじめていったのですか?
TOYOTAから独立した知り合いに声をかけてもらいました。「もしかしたら暇?」「暇っていうかやばいっす」「じゃあ仕事手伝って」という流れで、フリーランスとしての仕事がはじまりました。

この業界だと、フリーランスでプロダクト、お金、社会の仕組みだけでなく、工場とのやりとりや製造など広範囲にわたって理解している人ってなかなかいないんです。理解している人たちは、組織の中で重要なポジションを任されているから管理職になっちゃってるから抜けられない。彼らは組織内でゴールもみえているし、家も買っちゃって、子どもの大学費用とか考えちゃうからなかなか冒険ができない。

そんな背景もあり、人材として重宝してもらいました。最初に誘ってくれた方が、ミニ四駆やプラモデルメーカーのTAMIYAと仕事するようになり、そのつながりでこちらにもTAMIYAの仕事をもらえるようになりました。

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ーーTAMIYAとのお仕事には強い思い入れがあるのですね。
みんなが知っているTAMIYAの仕事をすることは、この業界で非常にブランディングになり、お金で換算できない価値があります。それはHondaブランドも一緒です。 「Honda」「TAMIYA」というパワーワードを持ちつつ、この(派手な)見た目。この見た目でここまで信頼されているなら、実はめちゃめちゃすごいんじゃないか、と思ってもらえる。ぼくはこれを劇場版ジャイアン効果と呼んでいます。映画どらえもんでのび太が転んだときジャイアンが「大丈夫か!」と駆け寄るだけで、普段とのギャップですごくいい人に見える。普通のことやっているだけなのに(笑)。

その他の仕事のルートとしては、専門学校時代に大嫌いだった先生にHondaを辞めたとき挨拶にいったら「何しにきたの? 仕事探してるの?」と。心の中で「挨拶だよ! 探してねーよ!」と相変わらず歯向かっていたけど、おとなしく「はい」と(笑)。すると「ここで教える? 私に教えられないことが、あなたには教えられるから」と言われ、それから7年くらい、母校で教えています。来年からは自分の学科としてAIをつかうなど、これからの未来のおもちゃについて学ぶ「ロボティクストイコース」も開設されます。

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ぼくが車、車輪がついてるものに惹かれるのは、本能です。

ーー現在は具体的にどんなお仕事をされているのでしょうか?
仕事内容としては、古い車の内装や色、顔つきやボディを変えるリノベーションと、TAMIYAのお仕事がメインです。

車のデザインに関して小さなものから大きなものまで、車輪がついているものはなんでも対応します。最近では電動の乗り物にも興味があり、新しい売り方のコーディネートもしています。

ーーなぜそこまで車への強い想いをお持ちなのでしょうか?
車、車輪がついてるものに惹かれるのは、本能としか言えません。タイヤのかっこよさについてだけでも三日三晩話せる自信があります。車は、手足の延長線上にあるもので、自分を加速してくれるもの。早く目的地に到着できたり、見せたい自分に見せてくれる。旧車好きのマニアな人やセンスのいい人ってみられるかもしれないし、街なかで目を引く高級車に乗るお金持ち、オープンカーの助手席に女の子を乗せるなんかチャラい人、とか(笑)。そうやって自分の見た目をコントロールしながら、なおかつ自分の身体機能を拡張してくれるっていうのが面白いところです。

そして、車には相棒感がある。今もガレージに愛車がありますが、にこにこ眺めながら仕事できることもすごく幸せ。車に「早くどっかいこうぜ」と、いざなわれている感じがします。愛情をかけた分、100%応えてくれるペットみたいな、無償の愛を感じる存在かもしれません。

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ガレージで車に囲まれて仕事ができる幸せな環境。人とのつながりを活かして仕事ができるのも魅力。

ーーフリーランスとして働いてよかったと思うことはありますか?
本当に幸せな環境で働いています。やっと手に入れた感じ。このガレージも使い始めてもう5年ほどになりますが、会社員時代だったら今の生活はできません。会社員時代に比べれば年収はすごくあがりました。個人事業主は、税金のことを考えると、会社員の時の2倍稼いでちょうどいい、といった話を聞いていましたが、3倍ぐらいいかないと余裕がでないかもしれない。

年収以外には、24時間の枠で動かなくてもよいこともメリットです。自分はスロースターターですが、一度動き出すと止まらないタイプ。毎朝決められた時間に出社することがすごく苦手でした。飲み明かしたりすることもありますが(笑)、そのときに出会った人とのちのちお仕事でつながることも。

ーー様々な人とお仕事ができるのも魅力でしょうか。
そうですね。会社だと、同じ人達と同じことをやって、マンネリ化しちゃうし、行き詰まってしまうこともあります。結局寝ても覚めても、大小様々な車やバイクばかり作っていますが、会社員時代と今で違うのは、スピード感。打順がバンバン回ってきます。フリーランスになって9、10年くらいですが、Honda時代の20年で経験した以上に、打席には立っている。

そして、自分のブランドで勝負している。例えばTAMIYAの商品に、屋号のロゴのステッカーが貼ってあるものがあります。それが見知らぬ誰かに手にとってもらえるのも、とてもうれしいし、この感動は会社員では味わえなかったはず。

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自分を的確に表現し、覚えてもらえるブランディングも重視。

ーーやまざきさんは「ハイパーデザイナー」という肩書で活動されていますが、自己ブランディングについて意識されていることはありますか?
アンダーグラウンド系のファッションブランドをやっていることもあり、プロダクトデザイナーだけだと表現しきれないので、「ハイパーデザイナー」と名付けました。「ハイパー」という言葉は、乗り物に関してのHondaの登録商標でもあり、親近感があります。
髪の毛の色も、昔は変えていましたが、とある会社のブランドカラーのグリーンにしたところ、その会社の人にすごくよろこんでもらえて「グリーンの人きたよ」と覚えてもらったので、それからずっとこの色にしています。

ーーブランディングもそうですが、人に好かれる「人たらし」な面もありそうですね。
自分でもそう思います。それはいい面も悪い面もありますが、仕事に関してはとてもプラスです。一緒に働く人をその気にさせることもできる。僕自身、みんなで一つのものをつくっていこうという雰囲気のほうが好きで、例えば3Dでここまでつくっちゃって、あとはそちらでお願いします、みたいなことがすごく嫌です。購買の人、パッケージの人、グラフィックの人など、それぞれが集まって、さぁどうやってつくっていこう、と議論して、みんなでフォーカスをあわせて化学反応を起こしながら一つのものを作っていくのが性にあっているんです。

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キャッシュレスで会計処理はほぼ自動。レポートやチャット機能を活用し無駄を省く。

ーーバックオフィスについてもお聞きします。普段の会計業務はどのように行っていますか?
一つのプロジェクトが大きいので、期間も短くて半年から一年半、2、3年に渡るものもあり、請求業務としては年に5、6回ほどです。知り合いの会計士さんが、確定申告に向けて最終的なチェックと提出をしてくれています。

ただ、1からすべてやってくれるわけではないし、自分で数字を把握しておきたいということもあり、独立当初からfreeeを使っています。当時会計ソフトのTVCMが流れていましたが、Macに対応してなさそうなものばかり。かといって、レシート貯めてコツコツ入力していくなんてそんな事務作業は恐ろしくてやってられないと、調べてたらfreeeに行き着きました。クラウドだし、インターフェースもスッキリしてて、価格帯も全然大したことない。会計士さんは別のソフトを使っていましたが、それぞれ使う分には問題ないこともわかりました。

ーー日常的に現金は使いますか?
小銭が大嫌いで、ほぼキャッシュレスにしているので、現金がイレギュラー。忘れないように、スマートフォンアプリで、その場で入力するようにしています。それ以外は自動連携で勝手に入力されていき、予測が学習してくれるので楽ちん。ファッションの通販でBASEと連携させていて、こちらも便利です。

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ーーそのほか使っている機能はありますか?
レポート機能は持続化給付金の申請にも役立ちましたし、日常的にもチェックしています。グラフで見られるのがすごく使いやすいですね。先々このくらいいくかな?と見通しも立てやすい。

チャットサポートも使っています。会計の知識って、別に詳しくなりたいわけじゃない。だったら聞いちゃったほうが早い。インターネットで調べても、あまりにも情報がでてきてしまって、結局その中のどれがいいの?となってしまうので、ピンポイントに答えてくれるのはとてもありがたいですね。

ーー会計士さんとはどのように連携していますか?
確定申告の作業自体は会計士にお願いしていますが、作業効率化もありますし、誰かにお財布事情を見せておくことも大事かな、と思っています。法人化のタイミングもアドバイスしてもらえます。とはいえ、立て替えや入金タイミングがずれると困ることもあるので、自分でも数字を把握するようにしています。

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ファッションへの注力と、次につなげる教育分野へも広げていきたい。

ーー今後やりたいこと、トライしたいことを教えてください。
車輪系の仕事については満足しているので、これをそのまま加速させていけばよいのかなと。ファッションについては、収益がどうこう、ではなく、今のブランドで納得のいくもの、着たいと思ってもらえるものを作りたい。

そして、教育に携わる割合も徐々に増やしていきたい。自分の発想力がいつか枯れてはくるだろうと思っています。その分、これからどんどん花を咲かせてくれる若い世代のお手伝いにシフトしていきたいです。

ーー次の世代につなげる番だと。
ファッションと教育に携わるうえで共通しているのが、毎年18歳に会えるということ。自分が何歳になろうが、毎年18歳と遊べるというのは、とても新鮮です。自分は歳を取るのですが、18歳の気持ちを持ち続けることで、幅が広がっていくんです。若ぶるとかいうことではなく、若者たちと、「わかるー!」と共感できるところもありつつ、こちらが大人として「それじゃいかんよ」とアドバイスすることもできる。

僕の教育は、これをつくれるようになりましょうとか、これを覚えましょう、といった、技術系ではない。魅力的なクリエイター、つまり「人」を育てる視点でやっているので、次の世代のためというだけではなく、自分自身も楽しめています。

ーー今後について明確に考えているのですね。
結局は「こうなりたい」というビジョンが大事ですよね。例えばこのガレージをもっと大きくしたい、ここにあの車を置きたい、といったビジョンを描くとする。じゃあお金を弾き出すと、いくら必要なんだろう。今の稼ぎだと絶対無理だ、とか、いや、こういう風にしてこうなったらいけるんじゃないか、とか。目指す理想像があって、それに向かって何をすればいいか考えていくことで、次に進んでいけるのだと思います。

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自分の価値を下げるな! プラスアルファができる人であれ。

ーーこれからフリーランスになる人や、なりたての人にアドバイスはありますか?
お金があるうちに借りておけということと、自分の価値を下げるな、ということです。

借りるうえでの話は冒頭でしましたが、価値を下げないことは本当に大事。値段的に安いけれど面白そうな案件などは、もともとの自分の定価から、割引価格でやります、というスタンスを崩さないようにしたほうがいい。例えば、50万円で受けたい案件だけど、30万円で提案された場合、見積もりには50万円と書くんだけど、御社特別値引きが20万円で、最終的に30万円とする。

フリーランスだと値踏みされるとか、工数やんなきゃだめという話はやっぱり聞く。そうすると価値が下がっていく一方になってしまう。お金が減ると、やっぱり人ってイライラしたり、そもそも仕事する気がなくなっちゃって悪循環にはいってしまったりしますよね。

安さを売りにするのではなく、納得する金額で受けて、継続的に追加発注がくる取引先とは真摯につきあうようにする。お互いその相場で納得し、仕事としても認めてくれているわけですから。1000円のカレーを800円にしてあげるのではなく、からあげも食べるかい?と、プラスしていく気持ちのほうが、お互いにとって幸せだと思います。

ーーからあげの法則、胸に刻みます。本日はありがとうございました。

前回のインタビューはこちら

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