北大祭④

 北大祭の前日、北斎が描くような鋭い雨が札幌中に降り出した。夜には一時的に大雨洪水警報が出される程、その雨足は強かった。若者たちはそんな中、食材の買い出しに行かなければならなかった。晴れであれば自転車で行くことを予定していたらしいが、雨なので、仕方なく電車で向ったようだ。当然、彼らには車もないし、タクシーを使うお金もない。また大勢で乗れば電車よりもタクシーの方が割安であるという経験値もない。にも関わらず、買いだす食材は合計で何十キロに及ぶくらい膨大な量である。なぜ配送にしてもらわないのか?その辺りは今だに理解できないが、いずれにせよ彼らはその非常に重い荷物を自分たちで運ばなければならなかった。

 何人もの人が駆り出され、結果、彼らは全員雨でぐしょぐしょになった。地獄絵図のようであろう、それはまるで大名の食糧を江戸まで運ぶ困窮した農民のように違いない、と僕はスターバックスでカプチーノを飲みながら想像していた。しかし、彼らはそんな僕の貧弱な想像を悠々と超えていった。後にアップされた写真を見ると、彼らは楽しそうに笑っていたのだ。飛び跳ねたり、変顔をしたりと、悪ふざけをしているものすらある。僕はその写真を見て、また非常に不安になった。
『自分は明日から上手く彼らとやっていけるだろうか?』

 翌朝、僕は5時に目を覚ました。寝るには寝れたが、とても浅い眠りだった。現場にはNさんの代わりに8時に行けばよいので、5時は早すぎたが、僕は戦いに出向く兵士のように、入念に準備を行わなければならなかった。まず汚れても良いような服を選び、髪の毛が落ちないよう後ろで一本縛りにした。メガネもいつもの丸メガネではなく、ずいぶん前に買ったウェリントン型をかけた。そして荷物を何度も確認した。エプロン、三角巾、手袋、教科書・・・教科書?

 最後に、座禅をして念仏を唱えた。心を落ち着かせた。準備万端である。しかし、いざ鏡の前に立つと、僕は急にこれではダメだと思った。自分の姿がまるでラーメン屋の兄ちゃんのようだったのだ。焼きそばを作るには完璧だが、いつもはジョン・レノンや又吉のような外見なので、あまりにそのギャップが大きすぎる。僕はちょっとやりすぎたと思った。これでは、『小松さんはずいぶんやる気を出してきたな、もしかしたら女子がいる所でちょっと格好をつけてるんじゃないか。』と若者たちに裏で笑われかねない。僕は気を揉んで、まるで初めて女の子とデートをする時のように、服を着替え始めた。何着も鏡の前で僕は服をコーディネートした。だが、結局、僕はシンプルなパーカーに帽子をかぶるという、なんとも面白味のない格好で手を打つことになった。あれだけ早起きしたのに、時間はぎりぎりになっていた。

 クラスのテントに着いたのはちょうど8時ぴったりだった。僕はテントをくぐる時、飛び込み営業をするような気持ちで、えいや!と門をくぐった。ジンクスなどないが、なぜか右足から入ろうとした。

 テントの中には深夜番をしていた若い男女が6人ほどいた。彼らは皆ジャージ姿で、気怠そうに座ってトランプをしていた。僕は聞き取れるか聞き取れないかくらいの声で「おはよう。」と挨拶した。すると、彼らは急に意識を緊張させて「おはようございます!」と言った。僕は誰とも目を合わすことなく、キョロキョロしながら空いている席に座った。営業マンが通された後に、緊張で動きが固くなるように、僕の動きもカクカクしていたと思う。座り方も雑だったので、椅子はいつもより騒がしくガシャンと音を立てた。

 僕の前に座っていたのは、野球部の青年だった。彼は筋肉質な小太りで、腕は僕よりも何倍も太かったが、恐い感じは一切なく、優しい感じの好青年だった。どちらかというと野球部というより、人が良すぎて全く勝てない相撲部のようだ。彼は僕が座るなり、僕のいつもと違う格好を見て「なんか芸能人みたいだ。」と皮肉もしくは褒め言葉を言った。僕の姿はシンプルでお洒落ではないにしろ、ジャージ姿の彼らとは全く違っていた。明らかに浮いていた。僕は彼の言葉に『やってしまった!』という後悔と異常な恥ずかしさを感じたが、その感情を露わにしては、また新しい後悔と恥ずかしさの連鎖に巻き込まれてしまうので、なんとか「そんなことないよ。」という無感情を装った言葉を返しただけであった。