こもクラブメルマガvol.30

こもクラブ会員の皆様、こんにちは

塾長です


最近、よく私は「縄文時代に回帰しましょう」


というお話をさせていただいておりますが、


縄文時代の遺跡からは、人を殺めるような武器や


また、縄文人の遺骨からは、ケンカや争いなどからできた傷で


殺傷力のあるような傷が一切見当たらないそうです。


しかし、その後の弥生時代から、


人を殺めるような武器や矢の刺さった遺骨や


致命傷になるような傷がついた遺骨が発掘されたというふうに言われています


間違いなく、縄文人は人と人の争いがない平和な時代でした。


縄文時代というのは、まさに調和の取れた時代で、


やはり、そこに私たちは戻るべきではないかと、私は常々考えております


そのDNAを私たちは元々持っているのですが、


長い年月、”争い”という歴史がずっと続いているため、


この歴史が、縄文人のDNAを奥底に閉じ込めてしまったと言えると思います。


では、縄文人がなぜ”調和”だったのか・・・


私の持論ですが、縄文時代は衣食住がマコモ中心だったというのは、


色々なところから想定できるのです。


まず、千葉県船橋市にある貝塚の縄文中期の竪穴式住居跡から、


真菰のモミが発見されております。


そこから、おそらく主食はマコモライスだったと想定できますし、


竪穴式住居の柱や梁は木材で作りますが、


今で言う外壁に当たる部分の外堀は茅葺だったと言われておりますが、


当時、茅葺というものがあったかどうかは定かではありません。


なぜかというと、茅もイネ科なので、


稲作の伝来というのは縄文の後期というのが明らかになっております。


そこからも、恐らく真菰が外壁に使われていたと思われます。


当時の縄文時代は非常に日照時間も長く、温度も高かったと言われております。


どうやら今の青森県が沖縄くらいの気候だったようで


当時の東日本は常に40度くらいの温度があったそうです


ここから、私がよく言う『マコモの活性化3要素』である、


『太陽光』『空気』『温度』が関係してくるのですが、



その気温の中、太陽光が真菰に当たり、そこからマコモ菌を生み、


おそらくマコモ菌がたくさん生活に密着して存在していたのではないかと言えます。


マコモ菌は調和の菌なので、


どんな菌も攻撃しない共生菌で、全ての菌がマコモ菌に寄って来ます。


そういったものを体内に常に保有していたからこそ、


縄文人は調和が取れていたのではないかというのに、


それがいつしか米が伝来し、主食が米になり、


茅葺というイネ科のものが茅になり、


マコモ菌ができなくなったから、争いの時代に入っていったのではないかと


私は感じております。



なので、今、これからの支配等を止めるのは、マコモしかないと確信しております


ちょっと究極な持論になってしまいますが、私はそれを信じてやまないのでございます。


ということで、ぜひとも一人でも多くの方にこのマコモ菌を摂取していただいて、


体にマコモを保菌していただいて、


縄文回帰、真の平和、調和の取れた世界を構築していけたらと思う次第でございます。


ということで、最強マコモ菌、史上最高含有率のマコモレジェンドプラスを飲みましょう!!



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