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空白をうめるすべ(ft.『Sparkle』)【Sandwiches #53】

 ささ、昨日はおそろしく内容のない文章で醜態をさらしてしまったけれどもよ、今日は「楽曲紹介」シリーズ、しっかり臨みたい所存ですわよ! もう無駄むだな導入はいっさいこねません。さっそく2ndアルバム『KINŌ』から、M6「Sparkle」を聴いていただこうと思います。

 ここで気づいたのですが、なんと奇跡的な符合か、このMVの公開日はちょうど一年前の5月31日やった! とても驚いたのと同時に「もう一年も経ってしまったのね」と複雑な感慨も一緒にございます。

 映像はサムネイルのロゴの通り、Jardinという新鋭のクリエイティヴ・レーベルが手がけてくださったもの。当時として、maco marets史上もっとも大がかりな撮影が行われたビデオでした。まるで天国のようなうつくしいロケーション(これは小室山リフトという場所に協力をいただいています)をバックに、後藤早貴さん&東秀起さんのおふたりが登場し、ワンカットで踊り続ける……シンプルで衒いのない映像作品となっています。曲にもぴったりね、ここだけの話、キスシーンには最初びっくりしたけれどね。

 基本的に内向きな曲の多いmaco maretsにあって、この「Sparkle」は存外明るく、外向きなテンションです。再三この「Sandwiches」で申し上げてきたようにバックトラックの力も大きく、ちと単純ではありますが、この「Sparkle」やあるいは「Hum!」「Peppermint」など、アコースティック・ギターのサウンドを主としたトラックでは、その柔らかく開放的なmoodもあってか比較的軽やかな歌になりやすい。

 「Sparkle」に織り込んだ主題のひとつはずばり「喜び」のような感覚で、それはこのトラックをはじめて聴いた瞬間に喚起されたイメージをそのままトレスするような作業だったかもしれません。あんまり歌詞に詰まった記憶がないので、さらりさらりと書けたのでしょう。

 ちなみにちょっと合唱チックなコーラスワーク(のちに「Wash」や「Howl」などでも取り入れているもの)もここではじめて試したスタイルでしたが、サビの「(言葉もなく)その空白を埋めるdays いつも」の「(言葉もなく)」の部分を歌詞カードを見ずに聴き取れた向きはおられるのやろうか。おったらモサやねえ。

 とかく、一連の歌詞をみなおして(あくまで個人的に)印象的だったのは奇妙なほどの素直さと穏やかさで、同じように「喜び」をテーマとして、いまこのような曲が書けるやろうか? ちょいと考え込んでしまった。たとえば冒頭をまるっと引用しますと、

繋がりちぎれてまた繋がって
踊りだした喜びのfragment
映す言葉を探している 今
ぼくが特別なぼくであるため

 このようにはじまっていきます。とくに「ぼくが特別なぼくであるため」なんて、矢鱈めったらきらきらした目をしたフレーズは、いまひり出そうとしてもけっして出てこないであろう種のもの(なぜかって、年齢を重ねるごとにひねくれた言葉づかいばかりが板についてしまったからよ)。しかして同時に、今に至るまで変わらぬおのがスタンスを直截にあらわす一文でもあります。

 そもそもなぜ曲をつくっているのか、なぜことばをつむぎRapというスタイルであらわしているのか、その正確な動機についてはあえて言語化することを避けてきました。自分の中で陳腐化するのはこわい、ゆえにこれからも明言は避けたいが、ただやはりかおのれのためであることだけはかたく、そう、他人がどうこうではない、いつだってわたし自身が「特別なぼくであるため」の営為であるとそれは断言できます。

 それはつまり「Sparkle」のサビで言うところの、日々抱える「この空白を埋める」手段として音楽が存在しているということなのかもしれません。や、音楽だけではない、このnoteのようにとりとめもないことばをつなぐ作業かて同様でしょう。

 「なんのために生きているのか」なんて、あまりにもありふれた命題をさらいたいわけではありません。ただ、わたしたちの毎日にはいくつもいくつもそんながらんどうの空白感がぽっかり口をあけていて、ひとたびそのうちに落ち込んでしまえばただただもがくほかなくなる。そんななか、なんとかおのれを浮上させるすべとして音楽や、ことばや、あらゆる人の営為があるのだと思うのです。

 やあま、こんなしたり顔で語るまでもないことだと自覚はしておりますよう。ただ、いつだってきらりきらりと喜びの輝く瞬間はあって……、その感情を断片的にでもおのれの手にすることができれば、きっとすこしは空白の感も満たされてくれるのじゃないか。それは先に使ったことばを引けば結局「陳腐化」なのかもしれぬが、そう、幼いころにお気に入りのおもちゃの足の裏に自分の名前を書き込んだように、たとえ他人からみたところの価値が損なわれていたとしてもよ、それが「特別」であることの実感がなによりおのれ自身にとって大切だものね。

 ぼやぼやしてきました。最後にわたしについて言うならば、まだまだ「Sandwiches」も、そして曲の制作も、やめることはなさそうです。あっぷあっぷの状態でもちょっぴしの「喜び」をこの手に獲得できるもんやし、や、情けないことにいまほかの方法は思いつかないし。みなさんは、いったいどんな方法で日々の空白感を埋めてらっしゃるのやろうか。いい機会があれば教えてください。

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 本日のおたよりはこちらです。

●ペンネーム:Ydさん

maco maretsさんの文章にちょいちょい家族の話が出てくるの、仲良いんだなーってなってほっこりします☺️

>>投稿ありがとうございます。やや、やっぱりばれておるよね、自分でも読み返していると家族の話題が多いなって思っておりました。いまの自分を形成する要素要素の根っこをほり出そうとすれば、とうぜん多くの原体験は幼少期にあるもんだから、必然的に地元や家族のことにも紐づいてしまうのでした。もっと現在の友人関係だったり、ふだん関わるクリエイターの方々について触れられたらと思うのだけど、なにやらそうしずらいトピックばかり選んでしまっているのだなあ。とはいえ「」の話も大事だと思うので、そうね、短い文章の日にでもぽろぽろこぼしていきたい所存です。あ! そいから家族はね、とても仲良しですよ。

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