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マゴムスメ・ライブラリー 12

 巡る季節は、いつも美味しい味をもたらした。
 夏には、とうもろこし。
 雨が過ぎれば豊かな実りが待っていたから、梅雨は嫌いじゃなかった。
 そう、私の祖母は語る。

 私の雨好きは今に始まったことではなくて、思い返せば中学生の頃から雨雲に見惚れていた。
 繰り返し聴く音楽は、気がつくと雨が歌われているものばかりだったし、傘立てには何本ものお気に入りの傘が身を寄せ合っていた。
 そんな私でも、くる日もくる日も続く雨にはため息が漏れる。
 じっとり水を含んだスカートの裾や、びしょ濡れの傘をたたんで乗り込む電車のにおい。
 少し気を抜くと、それらはたちまち憂鬱を運んでくる。

 果実や草葉は、欲しいと思えばすぐさま温室からぽんぽん飛び出してくる……そういう今とは違う暮らしの話をしてくれたのは、96歳になる祖母だ。
 昔、人は自然を操ろうとしなかった。
 春には春の、夏には夏の実りがちゃんと食卓にやってきた。
 「野菜や果物が育つためだからね、6月の長い雨はいやじゃなかったの」
 それは自然と人にとって、なくてはならない時季だった。
 
 「今よりずっと、食べ物が大事だったのよ」


 びしょ濡れになる。洗濯物を外に干せない。
 梅雨のため息の理由は、生活が不便になることばかりだ。
 どれも、何かしらの工夫によって乗り切れる。
 雨の恵みによって生かされていることを忘れ、テレビを見ては「梅雨明け」の文字を探していたなんて、なんというさびしい人間なのだろう、私は。
 年若い頃の祖母を真似て、水を含んだ季節に目を凝らしてみると、6月の雨はここぞとばかりに草木を輝かせている。
 ドウダンツツジや露草、そして紫陽花の、青、白。
 「そうそう、ばあば。この前行った明月院に、紫陽花が咲いてたよ。他にもたくさん花が咲いていてね、友達と『あやめが素敵だね!』って何度も大声で言ってたら、実はしょうぶだったよ」
 無知な孫娘の恥ずかしいお土産話に笑って頷き、祖母も話し出す。
 「明月院の紫陽花は、綺麗だったわ。昔、パパが連れて行ってくれたの」
 「じいじと!? ザ ・鎌倉デートじゃん」

 記憶の中に咲くうす青い花は恵みの雨に洗われ、今年も鮮やかにはえる。




読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!