「文化の育まれ方」について学ばせてもらいました。”あいまいえ”での有難いシェアハウス生活のはなし。
2020年10月31日、
「あいまいえ」というシェアハウスが終了した。
あいまいえは、日本の都心のど真ん中にあった。
日本橋らしく伝統と革新を感じるスタイリッシュな外見で、
中に入ると、まるで秘密基地のような佇まい。
あいまいえは、僕らの居場所だった。
ここが開かれていたのは、2016年~2020年だから、
当時大学生~若手社会人だった頃の話だ。
”対話的”な文化を作りたいという想いにがむしゃらだった立ち上げ期
基の起源をたどると、北鎌倉の古民家で共有していた
「人と人が信頼や存在で繋がる”あたたかい”場を東京にもつくりたい」
という事にあったんじゃないかと思う。
(確か、沙織ちゃんが言い放った言葉がきっかけになった記憶)
(写真は、あいまいえの隣のビルで住人企画会議をしていた時の写真)
あいまいえという名前の由来について
あいまいえの名前の由来は何だっけ・・?
無事契約が済み、6人での暮らしがスタートした当初、
まだ全てのものが新鮮で真新しかった。
確か、「この家にこもっている想いにちなんだ名前をつけよう」と
手繰り寄せるように、言葉を探していたのを覚えている。
(結局、最後は、酔っ払いによって名付けられたんだけどね。)
無茶苦茶な企画を連発していた立ち上げ期(0-1年目)
今から、立ち上げ期を振り返ると、
「よくこんな事やれたな」無茶苦茶な試みがいっぱいあった。
歓迎の気持ちのしるしに、お茶碗を渡していたのは序の口、
ストイックな時間から始まる住人朝会議も、確か毎週行われていたし
居住者のご家族に、あいまいえにお越し頂いて、
交流を図る「家族参観」という強行企画も行われた。
あいまいえの住人OBで完了キャンプ@箱根を行った時に
この話が話題に上がり、
「何のためにやったのかや、どんな効果があったのか本当に思い出せない・・」となっていたので、
本当にただの強行だったのかと、過去をあさっていたら
なんと、、、見つけてしまいました。(禁断の当時のブログ)
でも、この時も「対話を絶対にあきらめない」とか、
今、世間に注目されている「拡張家族の走り」みたいなことを書いてて、
一貫している側面もあるなと見返して思いました。
あいまいえを離れ見守る立場になり
文化というものへの見方が変わる
”文化”というものを語るのに、4年間という年月は短いが、
それでも、この4年間で解像度は確実に上がった。
4年間のうち、実質住んでいたのは最初の1年。
残り3年は、茶室を対話で利用させてもらったり、東京予定が重なるときに、滞在させてもらっていたという関りだ。
自分はあいまいえに対して、何ができただろうか?
最初の1年は、あたたかい繋がりの場を作ろうと我武者羅に頑張っていた。
しかし、住人ではなくなって、見守る立場を経験させてもらってからは、
文化が育まれるには2つの条件があると分かった。
1.それぞれ異なる背景や想いを持っている1人ひとりが、本気で生きている事によって、面白い人間ドラマがいくつも生まれる事。
2.それらが、まるで織物のように、組み合わされ、奇跡的に1つの共通の価値観を帯びている事。
文化は1人の主役では作れない。
言葉で書くとなんだか当たり前のようだが、
とても大切な事を学ばせてもらったと思う。
自分のいない3年間,あいまいえの対話文化が途切れる可能性は十分あった。
しかし、
・ぽんくんと、まいまいの癒しの思い出
・たくや,かっちゃん,るかちゃん,みかんちゃんの打ち解けた思い出
・ぺぺとぽんくんの笑ってしまう縁の思い出
などに代表されるように、
住人一人一人が一生懸命生きてくれて、
自分のキャラクターを存分に発揮してくれて
数々の心に残る思い出を作ってくれた事にとても感謝している。
そして、それが”文化として”毎回正しき方に重なったことは
(何かあった時には、対話を重んじ、自分と人に向き合うという選択)
ほとんど奇跡だと思う。
退去日当日、思わず出た大家さんへの言葉
2020年10月31日の土曜日、
契約期間中は全くお会いする機会がなかった大家さんが、
立ち合いに来てくださった。
その時に、ほとんど考えも無しに、以下を口走っていた。
「ここでの時間が財産になりました。」
そうか、これまでの機会は本当に有難い信頼によって
成り立っていたんだ。
という事を思い出したのだ。
新卒で入社した会社を半年で卒業して起業したばかりだった自分には、
挑戦するための金銭的原資も信用もなかった。
しかし、
「別の物件でご挨拶した事もあり、大丈夫そうと見てくださった大家さん」
「息子と同じくらい年齢の若者の挑戦を応援したいという不動産屋さん」
「発起人と同等の初期費用を、想いに共感して投資してくれた初代の住人」
これらの人達が”信じてくれた”おかげで、
財産となる貴重な経験ができ、それらが今に繋がっているのだと。
(写真は初代の住人+未来の奥様/女将になる土肥)
そんなことが、身に染みて感じられた瞬間だった。
別れ際、不動産屋さんからも「今後も応援しています」という一言を頂いて
信用を積むというのは、こういう事なのかと感じながら、
鎌倉の家路に向かい、心地良い電車の揺れで子供と寝落ちした。
あいまいえが終わっても、未だ分からないもの
2020年10月31日、あいまいえという日本橋にある物件は、
2年契約を1度更新し、4年間(24か月)の年月を経て
確かに満了した。
しかし、あいまいえが終わっても、未だ分からない事がある。
それは、ハードの拠点が無くなった後に、
「ソフトカルチャーがどのようになっていくのか」
という事だ。
自然に解消していくのか、かえって結びつきが濃くなる時があるのか
全く見当がつかず、どうなるか分からないのが、
文化やコミュニティの面白いところ。
「だって人は生き物だし、自然だしね」
計画や予測、コントロールできるものではないのです。
できる事は、一所懸命生きる事だけ。
それぞれが異なる経験を経て、それらが重なる瞬間が「またある」事を
期待しながら結びとしたいと思います。
4年間、あいまいえと関係する全ての方々に
「有難うございました。」
2020年11月19日 町塚俊介
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